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落ち込むこともあるけれど、私、この町が好きです

光の方へ

久々に朝からひどい落ち込みの波に引きずられて目の前が真っ暗になった。けれども、かわいいシェアメイトが「苺食べる〜?」といつものように朗らかに聞いてくれたので、はっと気持ちが光の方へと向いた。舌から苺の甘酸っぱさが染みわたり、重い身体にかすかな電流が走った。

先日、門司港にアジールをつくりたいという主旨の記事を投稿したが、結局のところアジールをいちばん必要としているのは他でもない私自身なのである。

アジールの崩壊

2020年は破局とコロナのダブルパンチで私のアジールが崩壊した私史上最悪な1年だった。8年同棲していた元恋人との最後は耐え難いほどに酷くて、思い出すだけでも反吐がでる。それでも彼を失った後遺症にはだいぶ苦しんだ。

ひとりのベッドの広さに慣れず、睡眠薬なしには眠れなくなった。一緒に食べる相手がいない虚しさから、食事が喉を通らなくなった。仕事で疲れて家に帰ったときに、抱きしめてくれる人も、一緒に眠ってくれる人もいない生活は転げ落ちるように脆弱なものとなった。そして、私は大好きな仕事を頑張れなくなった。

日常の拠り所が失われたうえに、コロナでソーシャルディスタンスまで叫ばれて、2020年の私の心は完膚なきまでに打ちのめされた。

門司港への移住と回復

でも、だから、勢いで門司港に移住した。温度感のある生活がしたくて、誰かと日常を共にしたくて、私は門司港のオンボロのシェアハウスに住み始めた。汽笛の音と潮風の匂いがする港町の風景は私を癒し、シェアメイト達や門司港のご近所さん達と触れあいながら暮らしていくうちに、私は徐々に元気と正気をひとつずつ取り戻していった。

ひとつ、門司港のご近所仲間との交流で、愛や興味関心を分散することを覚えた。アートや文化の話をする人、悩み事を相談する人、恋愛相談する人、他愛もない話をする人…これまでひとりの人間と共有していたものをより多くのひと達と共有できるようになった。気軽に連絡を取り合って、ご飯を一緒に食べる仲間も増えた。スープの冷めない距離に頼れるひと達がいる安心感。ひとりでもひとりじゃないという感覚をはじめて味わった。

ふたつ、シェアメイト達との暮らしで誤魔化しながら日常を続けていく術を学んだ。生きていくうえでの悩みや虚しさは解決できるものばかりではない。焦点化することで余計にその苦しみが悪化することもある。今思えば同棲していた頃はお互いを心配するあまり、二人で一緒に底なし沼に入ってしまったことが多々あったように感じる。でも、シェアハウスで暮らしていると、冒頭の苺のエピソードも然り、ふとやわらかい風が吹いて空気が変わる瞬間がある。ひとりで煮詰まったときはシェアメイト達との他愛もない会話や出来事がいつも私を軽やかにしてくれる。

みっつ、門司港には何故かクリエティブな人が集まっている。人が集まれば何か楽しい企みがはじまる。この街に暮らし始めて、私も色んな企画やらイベントやらに巻き込まれることが多くなった。

最近、いのっちの電話など自殺者を減らす活動をしている坂口恭平氏の『自分の薬をつくる』という本を読んだのだが、彼は虚しさや絶望に飲み込まれないようにするためには日常的に何かを作り続けることとアウトプットすることの重要性を指摘している。

たしかに、自分で何かをつくることは何かを消費することよりも楽しいし、生きている感じがする。私が運営するシェアハウス門司港ヤネウラでも、度々ご飯会やイベントを企画してきた。その時間それ自体が楽しかったのはもちろん、プロセスも楽しかったんだよなとあれこれ振り返って思う。門司港には楽しいことを思いついたとき、それを面白がって一緒につくってくれる仲間や場所がたくさんあって本当に幸運だ。

自立した生活を取り戻す

恥ずかしながら、いま私は三十路にして自立して健全に生きる方法をこの街で学び直しているのだと思う。ここでの「自立」とはもちろん「誰にも頼らずひとりで生きるための自立」ではなくて、「依存先を増やして自分らしく生きるための自立」を意味する。どの街でどのように暮らすかでQOLはこんなにも変わるものなのかと日々驚きは絶えない。今回の引っ越しで通勤時間は15分から1時間に変わったけれども、今の私は確実に昔より幸せだ。

門司港はいわゆるデートスポットとして世間では認知されているけれども、実は失恋に優しい街なんじゃないかと密かに私は思っている。まだ完全回復というわけではないけれども、それでもこの1年で私は随分と元気になった。喜び悲しみ含めてなんやかんや楽しく暮らせていると思う。「落ち込むこともあるけれど、私、この街が好きです」というかの有名な彼女の名言が頭をちらつく。


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