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母乳育児という贈与の呪いと解放

まだマスク生活でなかった約5年前、
赤ちゃんだった娘を抱っこして電車に乗っていたとき、突然「母乳?」という質問を、知らないおばちゃんによく聞かれた。

児童館で同じく赤ちゃんを抱っこしたママさんからもよく聞かれたものだった。

当時この質問をされることが心底辛かった。

初めての母乳育児は、想像以上に全然うまくいかなかったときにされた質問だから「母乳と粉ミルク‥‥です」と正直に答えるのが辛かった。

娘を産んだとき、死ぬほど痛い目をしてやっとの思いでこの世に送り出した。というのに、ゆっくり休んでいる暇はなく、産んだ4時間後には赤ちゃんに母乳をあげなければならなかったことに戸惑った。

しかも初めての母乳を与えるときってめっちゃ乳首が痛い。

母乳って、産んだらすぐ出るもんじゃない。赤ちゃんに乳首を吸ってもらうことが脳への刺激となり母乳が分泌されるそうだ。だから痛くても何度も赤ちゃんに吸わせることにより、母乳の出がよくなる。ということも産んでから改めて知ったことだ。

出産後ボロボロの身体が悲鳴をあげている中、夜中に2〜3時間毎に起きて母乳をあげるまったく寝られない日が続いた。
寝たいのに寝られない。
夜の闇での孤独感と痛い授乳時間が恐怖でしかなかった。自分の母乳が出るまで時間と痛みの戦いだった。
母乳が出たら出たで、今度は母乳を飲ませないと乳腺が詰まって石のように胸が固くなったり、熱を帯びてくる。


寝られない日々と自分の身体に限界を感じたある日から母乳の後、粉ミルクも飲ませるようになった。
粉ミルクは腹持ちが良い。
夜中もよく寝てくれるので、私も寝られるようになった。


ただ粉ミルクを飲ませるときに毎度申し訳なさを感じていた。「私は母乳で育ててもらっていたのに、娘には粉ミルクも飲ませるなんて」と。


実は私は母乳で育てられたことを小さなころからしょっちゅう母から聞かされていたから「自分がもし子供を産んだときには同じことをしてあげなければならない。」って強く思っていた。


なのに、自分は辛さ故に母乳を与え続けることを早くに挫折した。粉ミルクをあげることで逃げている酷い母親、ダメな母親だとさえ思ってしまった。


さらに追い打ちをかけて、他人から気軽な挨拶かの様に問われる、「母乳?」という質問。当時の私には辛い質問だった。

辛かった感情を数年間見過ごしていたけれど、約2年前に「世界は贈与でできている」(著者:近内悠太さん)という本に出会い、何となく自分の辛さはこれだったのかな、とわかった。

「僕らはときとして、贈与を差し出す(ふりをする)ことで、その相手の思考と行動をコントロールしようとしてしまうのです。そして実際、相手は贈与の力によってコントロールされ、そのコミュニケーションの場に縛りつけられてしまうのです。贈与の呪いは、相手がそれに気がつかないうちに、相手の生命力を少しずつ、確実に奪っていきます。」(P.814)


母乳育児=自分の母親から受け取った贈与だと受け取っていた。
自分が受け取った贈与を、母になった今、娘にも同じことをして渡さなければならないと信じていた。

「僕らはときとして、贈与を差し出す(ふりをする)ことで、その相手の思考と行動をコントロールしようとしてしまうのです。そして実際、相手は贈与の力によってコントロールされ、そのコミュニケーションの場に縛りつけられてしまうのです。贈与の呪いは、相手がそれに気がつかないうちに、相手の生命力を少しずつ、確実に奪っていきます。」(P.814)



「贈与の差出人は「これは贈与だ」と宣言してはならない。」「手渡される瞬間に、それが贈与であることが明らかにされてしまうと、それは直ちに返礼の義務を生み出してしまい、見返りを求めない贈与から「交換」へと変貌してしまいます。そして交換するものを持たない場合、負い目に押しつぶされ呪いにかかってしまう。(P.926)」

母から受け取った贈与を娘へ渡さなければならない。と返礼の義務を感じていたのだ。
でも返礼する母乳が上手く出ずに粉ミルクも一緒にあげていた私はずっと負い目に感じていた。
母乳贈与の呪いにかかっていたんだと気がついた。

贈与の呪いに気づいた途端、自分の母(贈与の差出人)が私に贈与の話をしたから私は返礼の義務を持ってしまった、と母に対して少し腹が立ってしまった。

でも本を読み進めるうちに私が受け取った贈与は違った形で返礼できるのだと知った。

「私は贈与のバトンをつなぐことができない」というのは、本人がそう思っているだけではないでしょうか。僕らは、ただ存在するだけで他者に贈与することができる。(P.2348)

言葉にする必要はありません。自身の生きる姿を通して、「お返しはもうできないかもしれない。けれど、あなたがいなければ、私はこれを受け取ることができなかった」と示すこと自体が「返礼」となっている。(P.2372)

自分にとって、救いの一説だった。
「私はバトンを渡すことができない。」というのは私がそう思っていただけなのだ。私が幸せに生きていることを示していればきっと周りの人たちも幸せなのだと思うことにした。

今となっては、母乳だろうが粉ミルクだろうが我が子は元気に育っているからどっちでも良い。
でもあのときの私は目の前の生命を守り育てることに必死だったのだ。

この本を読み終えたあの日から、母乳贈与の呪いにかかっていた自分を解き放った。
あと私は娘や赤ちゃんを抱いたお母さんに「母乳?」と聞く質問は絶対にしないと誓っている。

(文章途中の引用ページはKindleで読んだときのページ記載となります)


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