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生粋の広島人で放射線科出身が見た映画『オッペンハイマー』

映画『オッペンハイマー』は半年前ぐらいに公開されたものの、原爆を題材にした映画から日本の公開はせず、配信サイト限定になる…と言われていたが。
なんとこれがあれよあれよという間に人気が人気を呼び、つい先日広島でも公開が始まったという。とんでもない映画だ。

しかも広島で結構ガッツリ上映していて、それは大変興味がそそられた。
また、自分でもノーラン監督作品は大好きで全作品視聴済だったから、配信までどれくらいかかるだろう…と心待ちにしていたから、正に青天の霹靂であった。
勿論見に行った!

観る前の専門用語知識。

この映画なのだが、主人公は原爆の父、オッペンハイマーだ。
勿論量子力学の話になるだろう予想は出来ていたが、想像以上に専門用語しかない…。
私は放射線医学を専門にしていたことがあったので問題なく鑑賞できたが、恐らく殆どの人は訳が分からないまま終わってしまいそうだったので、少し解説をしたい。
この章に関しては映画を鑑賞する前に知っておくと良い。

アインシュタインの相対性理論と特殊相対性理論の上に、オッペンハイマーの量子力学があるイメージ。
量子力学では分子は弱い力と強い力によって形が保たれている。(核力。)
アイソトープ →医療用に精製された微量の放射性物質。
指数関数的に →倍々に増加。(放射性物質のエネルギー増減はそもそも指数関数的変化する。)
基本構造は原子力発電の核分裂と同じ。(制御棒がない原子炉)
トリチウム →H^3安定しない水素。
フロイト心理学の本が沢山あるがユング派 →ユングはフロイトの弟子だが、フロイトの説を真向に否定したのがユングの心理学説であるため、フロイトを理解する事はユングを理解する事でもある。

物理学者ジョークやら物理学的口説き文句があるが、マニアックでいいよね。
多分上記の知識があればある程度は大丈夫かと。


感想。

やっと感想が書けるよ…。
映画の構成は半分が放射線物理学。あとは政治論だ。
そしてノーラン監督作品ではあるあるの時間軸バラバラの構成が最初からフルスロットルだ。
しかも3時間ある…。集中力がギリギリだぁ!と叫びそうな映画だ。
ちなみに放射線物理学を知っていてこの映画を見ると大変理解が深まる事と、オッペンハイマーの言葉やアインシュタインの言葉をジワリと感じられるのだけど、余りにもマニアック過ぎるぜ、ノーラン監督…という第一印象だ。

しかしながら放射線物理学を理解していて、放射線医学を専門にした経験があり、
且つ原爆についても英才教育を受け、
更に祖父母と曾祖父母が被爆者である歴史を持つ私がここでこの映画の話をせねばならないと思うのは当然の事だろう。

1.境遇の話

他県出身者では体験できないことであるから、少し広島の英才教育の話をしよう。
私は広島市内の生まれで、それから高校まで広島市内の学校に通っていた。
小学校は公立であり、学区内の学校に通っていた。
つまり、大半の広島市内に生まれた人間の教育について語る事になる。
しかし今では多少異なるかもしれない。それはまぁ世代的な変化だと思っている。

初等教育の前に折り紙を習うのだが、それは最初の平和教育の第一歩になる。
”広島出身者は誰もが折り鶴を折れる。”
平和を祈って折るのだ。最初はなんてことない折り紙の遊びから始まる。
そして野外活動として被曝建造物を巡り、時にはスタンプラリーという遊びも交えて生活の中にある被曝建造物を見て、時には写生もする。
そしてその度に、平和について何度も感想文を書く事になる。

被曝建造物は特に何てことない、町の中に佇んでいる。
古いレンガ造りのもの、コンクリートのもの、現役の電車の車両、特に名前の無いもの…。
ありとあらゆる場所に存在し、私たちの生活に溶け込んでいる。
だから今更感はない。
本当の爆心地は原爆ドームではなく、そこから少し街に入ったちょっとした石碑に書かれていることも、私たちの中では生まれ育った街の中にあるのだ。

そして被爆者の話を聞く会が不定期に開催される。
広い体育館で祖父母くらいの年齢の人が実際の体験を語る。
いつでも怖くて、大変辛い気持ちになっていたことを思い出す。
そして夏が近づけば、校内にある原爆の資料を展示した特別な部屋が公開される。
それは原爆の資料を見る時に開かれる教室で、部屋の事を思い出すだけで原爆の被害の写真をありありと思い出せる。
焼け爛れた皮膚、白血病患者、ガラスや木片が体中に突き刺さり水を求める、炭化した人間、下敷きになったかと思えば燃える家、全て吹き飛ばされて川に飛び込む、恐怖というより地獄、地獄というよりあってはならない光景。
それが写真や絵画として、絵本や小説として、また映像や漫画としてそこに展示されている。
自分の家が見える広島市内の地図に、吊るされたピンポン玉。そこから均等に~Km半径に描かれた円。それはすべてを吹き飛ばした単純な円。
それを覚えている。

そういう事が幼少期からあったからなのか、血に対する恐怖感が薄い気がするのだ。
母や友人では内臓を嫌がるから、自分だけかもしれないが。
ただ、逆にそういう表現が少ない事に違和感を感じるようになったのは、確実に自分を変えていると思う。

また平和的活動に対して絶対的評価がある。
平和を推進することは全て正しいのだと。
これに関しては高校卒業までしっかりと繋がっている。
中高生の時もあまり変わらない。
平和の輝きの強さが戦争を強く強調した。
それが全てだ。

そんな日々に当時の友人が言った。
「原爆の被害について恐怖を植え付ける事で、平和になるだろうか?
いや、ならない。」
その時に気付いた、自分の特異な状態に。
全て正しいと思っていた恐怖が、正しいのだろうかと。
それからは今も自分で一旦思考して理解しようとする姿勢に繋がった。
盲目的であったと実感した。だから今は洗脳を知って受け入れている。
正しさと思想は異なるのだと。且つ事実を知る事の必要性も。
それは平和教育の中で一番人生において大きな影響だったと思う。

平和教育についてはこの程度として、祖父母についても少し話そう。
私の母方の祖父母は被爆者手帳を持っていて、広島市内で被爆した。
祖父の本当の母親、曾祖母は被爆で亡くなった。
その為、祖父は育ての親がおり、家系図上では叔母に当たるのだが、彼女は生まれつき足が不自由なため、名家から勘当された身であった。
当時から医者家系であった曾祖父は誘惑に弱く、権威にも弱く、曾祖母とは当時では出来婚をしたが、許嫁と再婚したため曾祖母は除籍になっている。
つまり祖父は孤児であった。
曾祖母は接触を禁止されていたようだが、同じ地区に住んでいた為、何度か接触はあったらしいが、小学生の頃の原爆で亡くなってしまった。
それから祖父は叔母に女手一つで育てられた。
教育もまともに受けていないが、それは叔母を楽させるためだったのだろう。祖父は牡蠣養殖業を営んだ。
祖母は中学生の時に不倫して消えた母の代わりに酒屋を切り盛りしつつ、父と兄弟たちの家事をこなしてきたというパワフルな女性であった。
二人はお見合いで結婚した後、二人の子供をもうけた。
母から聞いたのは祖父の叔母は、最早もう一人の祖母であったという事。
それはそれは可愛がってもらったと。
実は本当の母ではないという話は後になって聞かされたらしいが、あまり驚きはなかった。最早それ自体が広島ではあまり珍しい話でもなかった。
基本的に祖父の世代は孤児であったし、そもそも祖父母に近い存在がまだ生きていること自体が広島市内では珍しい状態であった。

そして父方の祖父母は被爆者ではないが、祖父は呉工廠で戦艦大和の一部の設計に携わっていた。また曾祖父は公務員であり、祖父も戦後は公務員として定年まで働き、その後八百屋を開業、呉市場で最年長になるまで店を切り盛りし、最期まで生き抜いた人であった。
ちなみに祖母も公務員であったから、公務員一家であった。

まだ祖父が生きていた頃、学校の宿題で家族に被爆体験を聞くというものがあり、それで祖父に聞いた事がある。母方の祖父母は話すことにあまり意欲的ではなかったので、父方の祖父から話を聞いた気がする。
それもそうだ。母方の祖父母からすれば本当に自分が受けた全てのトラウマであろうし、大切な人を幾つ失ったかと思えば、話したくない話題だったろう。

父方の祖父が語ったのはとんでもない爆裂音。とんでもない光。その後何が起こったのかわからなかった。その後、生きる事が出来ない程の貧困。雑草を食べる毎日だった。そんな日々に祖母に出会ったという。

詳しくはあまり語らなかったと思う。
しかし今になって広島ではなく、呉から見た原爆を再現した、映画『この世界の片隅に』によって鮮明に見れるようになったのだ。
この映画は大変私の家から近くの出来事で、この景色が見えたのだと、広島が吹き飛んだのだと、初めて実感した映画であった。
また彼女の境遇は正に私の家族であって、あまりに現実的であったため、今後もずっと私のそばにあるだろう。

そんな広島で生まれ、広島で育ち、原爆が常に隣にあった私。
何故放射線を学んだかと言うと、単純に興味があった。
勿論、放射線医学でこの人生を生き抜くのが一番の理由ではあったが。
単純に恐怖の対象になってしまった放射線が、何なのか周りは誰も知らなかった。
学んだ後は思う、『適切な畏怖が必要であるが、それ以上は必要ない』と。

2.映画の感想(ネタバレあり)

オッペンハイマーは量子力学を初めて提唱した人物で、それは放射線物理学でかなり異質であった。今では当たり前である放射性物質の核反応も、理論上では核力によって分子が分裂するとは考えられなかった。と映画の中で彼は語っている。
理論派であった彼は核心を突く話をするが、
(それは星は寿命があり、=核反応が出来なくなる=星として保てなくなる。そして消える時にあまりに大きな重力波によって光をも飲み込む状態=ブラックホールを形成する。今は観測され証明されている。)
実験が不得意で、ちなみに計算もあまり得意ではなかった。
しかし数学的理論から物理理論を理解することは出来た。
彼は知的好奇心が旺盛で、この世界を構成するのは何だろうという純粋な心が量子力学を生み出したと分かる。
そして彼は政治にも好奇心が旺盛だった。それは思想を一つにしてしまいたくなかったのだろう。どちらも分かって自分で分別したかったのだろうと思う。
そんなオッペンハイマーを利用した人がいて、その戦争の世の中で『自由』に研究することが叶わなかった話。
でもその中で彼はどうしても見てみたかった。自分の理論が本当に通用するだろうか。その先に一体何が起きるだろうかと。
『大気を引火させて、全世界が消える可能性は、ほぼ0』
それがこの映画の重要なキーワードだ。
彼はほぼ0の理論にかけた。
実際にそれは起こらなかったが、想定以上のエネルギーを生み出した。

生み出した後になって後悔した。
元々好奇心を原動力にしていたようなものだ。
小規模実験で分かった威力の数万倍を民間人の上に落とす事を。
当時の国際法でも民間人の大量虐殺に関して違法であったはずなのだ。
しかし絶対に揺るがない日本政府に対して、本来はドイツに攻撃するためだった兵器を使用することになった。
二発はそれぞれ異なる威力と物質で作成された。
広島に落とすことに反対する署名活動があったらしいが、今になっては何も意味がない。何故ならそれは落ちてしまったから。

映画では3時間という中でオッペンハイマーの人生を語ろうというのだから、それは時間が足りなかったのだろう。
原爆の表現が大分曖昧で、何だかギャグのようだった。
むしろそれなら資料の写真に差し替えても良かっただろうと思った。
一応顔の皮膚が剥がれます、とか、被爆の影響で食べ物を食べても摂取できずにそのまま出てしまいます、とか。
それは取り敢えずカットしてもらおう、分かりずらいから。
ちなみに他の広島人は被爆の表現が少ないと残念がっていたよ、それはしょうがない。
ギリギリまで削って3時間にしたという感じはあったから、何とも言えない。

映画のカットの構成として感じたのは、時系列がバラバラでも、話が分かるという事だ。
基本的に時系列がバラバラになれば、物語が乖離しがちだが、これが理解できるのは芋ずる式で話が進んでいるからではないかと気付いた。
導入は公聴会から話が始まっていく、それから人生の話と公聴会で語った話のカットが次々に切り替わる。
これはオッペンハイマーの言葉と映画の再現が折り重なっているからと思われる。
それは私のようなADHDの話し方のような映画展開である。
一つのキーワードや事実から思い出したことをまた次々と語っていく…。
であるからこのシーンの切り替わりは私にとっては大変親切であったと思う。
後半になるにつれてどんどん切り替わりが激しくなっていくが、他人である博士の話ではモノクロに映り、オッペンハイマーの話はカラーで表現される。
この工夫は私には特に好評であったが、他の鑑賞者には時系列に注目してしまい、もっと混乱に陥ったという…。
つまり、この映画は最初から一回で分かるような映画構成にそもそもしていないということだ。
私も見終わった後の第一声は、普通の人置いてく気満々だな!?だった。

オッペンハイマーが原爆の父になった事を最初は複雑な気持ちだったが、大統領と話した時に吹っ切れてしまった。
恨まれるのはその計画を立てた人物である私であると。
その後は水爆開発について詰問されるが、それはアメリカ側としては戦力優位に立っておきたい為に、原子力安全保障条約に但し書きをしたかった為と思われる。
世界原子力安全保障条約を締結する必要性をオッペンハイマーが唱えたのは、これ以上この危険な爆弾を作ってはいけないという心であっただろうから。
しかしアメリカ側としては、開発チームにロシアのスパイが存在し、ロシア側も核を生産出来た事が分かった事で、最早自分を護るのは自分の戦力でしかないと考えた。
だからオッペンハイマーは目の上のたん瘤であった。

好奇心をくすぐられた物理学者。
利用価値を見出された後、周りの誰もが保身も野心も、その為の嘘も、少しずつ罪を作って彼を陥れた。
アインシュタインは私の為の名誉ではなく、周りの人の為の名誉であったと。
『世界を消してしまうかもしれません。』

しかしながら悲しいかな、オッペンハイマーが作らなければ原爆は生まれなかっただろうか?いや、生まれた。
そう言えるのではないだろうか。
誰かが必ず作っただろうと。
広島と長崎に落とした原爆をアメリカが深刻に考えたお陰で、敗戦国となった日本に対して人権を踏みにじるような憲法にはしなかったのではないか。
敵国であり、敗戦国の日本に対して罪悪感を強く植え付けたのだろうと。

原爆が落とされてから今年で79年目になるが、実は広島はまだ深い傷を負っている。
私がそれを知ったのはつい最近の事だ。
祖父が無くした全てが家庭環境に影響し、母に受け継がれ、無意識に私にも受け継がれていることが判明した。
理由がない自分の人間関係やそこに影響する全ては、母、祖父から受け継がれたものだと。
広島はこれからも傷を抱えたまま生きていく。
何故広島の人がバイタリティに溢れて、団結力が強いだろう?理由は明快だ。
自分の世界の全てが吹き飛んだ経験があるからだ。
そしてその経験は子孫へ無意識に伝わっていく。細かい理由はない。言語化する事は難しいが、奮闘する強い怒りを持つ人が多いのは、トラウマを克服するために、そして生き残るために必要だったからだ。
絶望の中で生き残らなければならないという環境に、この広島では皆が経験したのだ。
それはコロナ渦を世代全てで受け止めたように、広島は絶望を受け止めた。
全ての人が死んだ。
知らない人も親戚も分別なくごろごろと道に転がっている。
血の海になった川と、浮かぶ人だったものの服の切れ端が、やっと自分の親族と語る。
そんな地獄から生き残った人々だもの。
それは強い力だったはずだ。
永遠と思えた絶望を拭うにはバイタリティが必要だった。

私が安堵している事もある。
オッペンハイマーが人の心をしていない訳ではなかった事。
アメリカが人の心をしていない訳ではなかった事。
だから今後も人の心を持っていて欲しい。
原爆も戦争もしてはならないだろう。
これは平和教育の賜物だけという意見ではないだろう。
しかしながら隣人を愛せないのは未だに問題があるだろう。
常に自分が不利にならないように気が立っているだろう。
自分の人生で信じてきた考えを否定される事が許されなくて、相手を攻撃してしまうだろう。
人間はずっと動物的なのだ。
ホモサピエンスは盲目的に攻撃的であったから、この世界を掌握した。
その本能を今なら理解できる。そうでなければ理解出来ないのだ、この世界は。
だから動物的な自分と他人を受け入れるしかないのだ。
そしてもっと無意識に気を配る必要があるし、己を理解する必要がある。
そのヒントは先祖と文化、歴史にあるのだ。
私が私たらしめるものを知る事で、己と共に他人も同じ歴史の重みを知る事が出来るだろう。
そうすれば多少は畏怖も尊敬もできるのではないだろうか。
能力差とすれば遺伝的問題が大半を占め、更に環境によって人格を構成すると単純に理解する事で、他者の変化という煩雑さから距離を置けるだろう。
自分の鏡を知って、受け入れる事でしかそれは解決しない。

試練は誰にでも訪れる。
私に言わせれば『星の巡りがそうさせる』。
長く短いこの世界に感動あれ。


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