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「三十の反撃」と私と子ども


1、「三十の反撃」「普通の人」

先日、「三十の反撃」という本を読んだ。
元々作者は「普通の人」というタイトルにしようとしていたらしい。

三十歳になる主人公は、大学を卒業したものの正社員になれずにインターンとして働いていた。
そうしてうだつの上がらない毎日を変えるために社会にささやかな反撃をするというものである。
最後の反撃は腑に落ちなかったが、途中の主人公が人生に悩む部分など共感するところも多かった。

「普通の人」が何者かになりたいと思っても、みんながそういう立場になれるわけではない。
個人よりも、周囲や社会に従うべきという雰囲気の強い環境では、「自分は違う」「人とは違う何かで輝きたい」と思っても従わなければ村八分にあってしまう。
ラスト、そんな主人公が居場所をみつけていくところがよかった。

でも、現実はそんなにうまくいくわけではない。

2、どうやら「変」な私


思えば小さいころから「変わって」いた。
というか、小学校6年生で引っ越すまではそんなことを言われることはなかったが、引っ越してからはことごとく「変わってる」と言われて嫌われた。
「言葉が変」(以前住んでいたところと方言やアクセントが違う)
「コミュニケーションの間がおかしい」
「考え方がおかしい」
そうやって、高校や大学に行っても
「お前はいなくていいから」(教授談)
というありさまだった。

社会にでも人とうまく付き合うのが苦手だった。
それでも、いわゆる普通の出世やキャリアアップを夢見て頑張っていたが、どうにもうまくいかない。
そうして30歳を前にいよいよ「あなたはおかしい」というお墨付きをもらってしまって、精神的に落ちてしまった。
いよいよ自分でも「どうやらおかしいらしい」と認めざるを得なくなったのである。

とはいえ、30年も「普通」の人と思い込んで生きていたのである。
「私はおかしい」と言われても認められるはずもない。

人並みの生活をしたくて、働いて、結婚して、子どもを産んでみた。

ところが働けば(夫が会社を作ったため)、周りの人とうまく付き合わなくてはいけない。
夫の家族や親せきとうまくやらないといけない。
子どもの親として学校や保育所、近所付き合いがある。
もちろん、夫や子どもたちともうまくやっていかなくてはいけない。

特異なことをするなら、周りなんて無視したらいい。

夫や、変わった人たちはそういうが、会社は、田舎の親戚づきあいは、学校は、そうはいかない。

そうして、しんどくなり倒れてしまったのが1年前。

変と言われる自分を認められないまま40歳になってしまった。

倒れてから、無理して会社のために勉強することも、いろんな付き合いも極力やめた。
もう全方向に頑張る事はしんどい。

これからの私は、私の好きなことのために生きていきたい。

3、そんな私の子どもたち

私はどうやら「変わっている」のだが、そんな変な私と夫から生まれた子どもたちはやっぱり「変わってる」んじゃないかと思ってずっとびくびくしていた。

特に下の子は先生に「発達の検査を受けたほうがいいです」と言われ、小学校に行けないかもしれないとしばらく心配な日々を送った。
結局、検査しても凸凹はみつからなかったが、相変わらず食べ物の好き嫌いは多いし、保育所への行き渋りも多い。

今日もご飯を食べるとか食べないとか、本当に小学校に行って椅子に座って授業を受けられるのかと喧嘩してしまった。
(本人のために言うと、保育所ではちゃんと座ってみんなと一緒に合奏したり劇をしたりいろんな作業できる。できるけど、多分嫌い)

仮に発達障害だとか、そういうものはなくても、うちの子ども達はちょっと「変わってる」のだろうと思う。
私も夫もこれからの世の中、変わってるくらいがちょうどいいと思っているが、学校生活は(少なくとも公立の小学校や中学校は)昔とあまり変化していない。

そうした時に、どうやったら彼らが楽しく学校に通えるのだろう、自尊心を傷つけないでいられるのだろうと思う。

私のように、何かの拍子で周りから「おかしい」と言われ、挙句「必要ない」と言われるような事は避けたい。

今日夫と話した結果としては「好きなこと」を「続ける」事が解になるのではないかという事である。
夫曰く、世のなかで成功している社長は「継続する力」と「遊ぶ」ことがうまいのだそう。

子どもはまだ好きなことや好きな遊びは見つかっていない。
好きなこと、やってみたいことをさせてみて、興味が出たらとことんさせていきたい。

4、終わりに

私も小さいころ「この子は変だぞ」と親や周囲が気が付いて、それを伸ばしてくれたらもっと人生が楽だったのではないかと考える。
40歳になった私はそれを不服に思って社会に反撃したりはしない。

でも、子どもが大人になったとき、社会に反撃したいなどと思わなくていいように、もっと前向きに生きていけるように、できることはしてあげたいと考えている。



ちょっと違うけど、社会の息苦しさと自分の関係みたいなのを描いてる映画としてはこれも面白かった。

(※トップの絵は子どもが春ごろに書いた絵)

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