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久しぶりの父との連絡

私はとにかく父親が嫌い
もう少し正確に言えば、両親が嫌い

その中でも今日は一つ気づいたことがあったので
書き留めておこうと思ったこと。

あまりにも父親が嫌すぎて
数年間、連絡を一切取らないようにしていた
電話番号も教えなかったし
手紙が届いても返事は書かなかった
手紙の内容も勝手に私に対し、
説教をひたすらしているばかりで
私には何も響かなかったから

けれど、とある事をきっかけに
連絡を取らざるを得なくなった
それでも電話は嫌。会うのも嫌。

嫌でも連絡を取るしかなかったので
SMSのメッセージで連絡を取るようになった

父からは相変わらずのお説教に近い
お前はこうだから
こうした方がいい
といったような一方的な連絡で辟易
ため息しか出ない

モラル(倫理、正論)を振り翳し
お前はまだまだだ。
と説く

一体お前は何様なんだと心の底から思う

私には私の人生があり
それが失敗しようが
成功しようがそれは親になんか関係ない
自分の人生の責任は自分で取るものだと思う

私だって完璧な人間じゃない
できないからこそ、
挑戦して、失敗して、学んで、もう一度挑戦して
その繰り返しで人生をより良くしていきたいと思っている

数年間、自分の中でどうにか嫌いな両親を
心理的に抹殺するか消化するか沢山の本を
読んでみたけれど

モラハラ、共依存、アダルトチルドレン
なかなか解決するのには根が深いと
いつも思う

今回、父親と連絡を取りながら気づいたのは
やっぱり自分はまだまだ
父親が怖い
という事だった

幼少期から否定され、怒鳴り散らされ
モノを投げられ、引き摺り回された事もあった

そのトラウマは一生消えないものなんだなと

それに気づいたのが父からのSMS
「難しい言葉を使っているようだけど
本当に理解しているのかい。
完全に理解している人は易しい言葉で伝えるものだよ」

これはアタリだな。と笑
私も基本的に人に何かを伝える時は
相手の理解できる基準値に合わせて喋る
難しい用語もわかりやすい言い方に変えたりする

けれど、父親にはそれをしなかった
あえて難しい言葉を使ったし、
その言葉を使う事で相手(父親)を言い負かしたかった

私は攻撃されないように必死に吠えている子犬のようだと思った
誰も信用ができなくて人間に噛み付くような野良犬にも似てた

父親に小難しい言葉を使うことで
相手より優位に立ちたい
相手に馬鹿にされたくない
この内容知らないんだろうから
自分で調べて勉強してよ
という暗にコントロールしようともしていた

子供をコントロールしようとしながら生きてきた
両親の元で育つと
私自身の中にも
他人をコントロールしようとしている自分がいることに気づいた

この他人を無意識にコントロールしようとする自分
に関しては父親とのやり取りだけじゃなく
他の人と接している時にも
あ、今自分、人をコントロールしようとしている発言をしてしまったな
と思う瞬間がある
恥ずかしくなるし、自己嫌悪にも陥る

けれど、見方を変えれば
そういう人をコントロールしようとしている自分や
自分のトラウマはまだ癒えていない事に気づけた

何気ない生活の中で
自分の行動や発言を一度冷静に振り返ってみると
学ことがとても多いことに気づけた

モラハラ、共依存、アダルトチルドレン
心の回復には長い道のりがあると痛感した一瞬だった

どんなに嫌いな相手からでも
学こともある。笑

因みに、父からの文章の冒頭には
「正しい所もあるが正しくない所もある」
と書かれていて

ああ、この人は一生
こうやって人のことをジャッジして生きていく
可哀想な人間なんだな

とも思ったのでした。

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