年末に15万詐欺られて、年越しホームレスになりかけました


家を借りるはずが15万円を外国人に詐欺られて、家賃光熱費ネット込みで2万5千円の相部屋に逃げ込んだ。


そしたらそこがタコ部屋で、死に物狂いでそこも逃げ、なぜか今は埼玉のリバ邸に住んでキーボードをシバいてる。


アメリカから帰って来たことは自分の中で未だに消化しきれてない。あの時の選択は正しかったのかどうかなんて誰にもわからないけど、俺が行くことも知らなかった奴に、


もったいねぇ

もうちょい頑張ればよかったのに

もっと人生考えて生きろよ

忍耐がねぇな


などと、とてもありがたいお言葉を頂戴することもしばしばあった。間違いではない。自分でもよーーく分かってる。


けど、自分を高める為に俺を使うならやめてくれ。そんなことを軽く受け流せるほど大人じゃないし、自分なりに行くことを決める段階から帰国まで、全ての資金繰りや、アポイント、向こうの会社との面接や、実家と縁を切ることなど、このミニマム脳みそでゲロ吐くくらい考えて実行してきたのだ。


でも言ってくれてありがとう。そういう言葉を聞いて、耳を傾けたくないってことは、自分でも、心の奥底で同じように思ってるんだと思う。



結局人生なんて、自分がどう折り合いをつけるかじゃなきゃやってられねぇよ。今回のことを後悔するか、帰って来てよかったと思うかは、どっちもどっちだから都合の良い時、自分を戒める時に使い分けよう。それで許してくれ過去の自分。


そんなこんなで、結局単位が足らなかったから授業出て、普通に大学生活を送った。そう、2単位足らなかったのだ。帰ってきてよかったーあぶねー。

相変わらず楽しかった。相変わらず。

ここは省略する。



一番楽しかったのは、アメリカから帰って来たときに、家がない俺を二つ返事で迎え入れてくれたクロスハウスで過ごした日々だ。人生で一番楽しかったかもしれない。









家を出るということの重さを痛いほど感じた。


いつか殺してやると思いながら、実家で過ごした日々にはもう二度と戻りたくはない。

が、周りの援助なしに家を出るのは、学生にとって無理に等しかった。


無理ではないが、なにか挑戦したいことを諦めなければ、学生が己の力で暮らして行くのはきつい。勉強だったり、なにか大きなアクションだったり。


幸い自分は、実家があった地区が区画整理内で、家を早々に出た人から、4月〜12月末まで家を貰えたので生きていくことができた。

家具も全部ついて家賃は0円。オール電化でソーラー発電。思わず笑ってしまった。



生まれて初めての一人暮らしは一軒家でスタートした。


最高だった。



年内までしか住めなかったのは4月の段階で知ってたから、早々に家を探した。


どうせ3ヶ月しか住まないからルームシェアで安く住ませようとしたら15万円詐欺られた。


人は切羽詰まってると判断力が鈍るらしい。人に相談しないで決めたのが間違いだった。


絶望だった。と思いきや

あーやられちったー☆


くらいにしか今も思ってない。性格上ウジウジできない。いいのか悪いのか。


お金を浮かせようとするとあまりいいことにならない。そりゃそうだ。



バイクにテント積んで、マジでホームレス考えたけど、バイト先に風呂入らない姿で行くのはさすがに忍びないので家を借りた。

それにもう12月26日で焦っていた。




光熱費込みで家賃25,000のドミトリー。


漫画喫茶に泊まってる人、ぜひご利用ください!当日入居OKです!なんて掲示板には書いてあった。


そこしか返信が来なかった。



人は切羽詰まってると判断力が鈍るらしい。人に相談しないで決めたのが間違いだった。



一軒家を出るとき、なにもなくなった部屋を見て、暖房もつけずに1時間くらい突っ立ってた。


物心ついて初めて涙で喉が鳴る。

映画とか部活とか、そんなんじゃない。

なにもできない。



今回ばかりはやるせなくて無力感に苛まれた。金はないし住む家もろくにない。




アホみたいにあった酒は、結局飲みきれなかった。

捨てるとき、一つ一つに思い出が纏わりついてきて、あぁ、これはこの旅行のときに飲んだやつだとか、これはあいつがあのときに持って来てくれたやつだとか


キリがない。頼むから思い出させないでくれ。



父親にされたことはどんなに考えても思い出せないのに、楽しかった思い出は所構わず顔を出してきやがる。ふざけんな。



遠いのにわざわざ遊び来てくれた大学の奴ら、本当にありがとう。

中学の頃は俺の部屋がたまり場で、似たような体験を大学の奴ともできて最高に楽しかった。

ってか年末あたりに急に押し寄せやがって。もっと早くからこいや。ばーかばーか





幼少期からろくに家事もやらず、母親に文句たれてた父親の姿を見てた俺にとって、あの家で全ての家事をこなすことは大きな財産になった。少なくとも父親のようなクソ野郎になる可能性は減らすことができたかな。







スーツケースに登山リュック背負って、さらにボストンバッグを担いで家を出た。

ちょうど寒波が来た頃だった。風が身を刺す。

本当に地元を去るんだと、何も私物が残っていない実家ともらった家の2つを見ながらそのときはじめて実感した。

ほどなく、寒さのせいか鼻水が出る。

気づいたら嗚咽が止まなかった。

駅までの道がこれほどまでに長く感じたことはなかった。


今自分は何をしているかさっぱりわからない。なんでこんな年末の真冬の中を大荷物抱えて、独り歩いているのかと。

抗えないことがただただ悔しかった。




最後、母親に

「鍵、ポストに入れといたから」 

と、一言LINEして自分が22年間育った街を後にしたとき、大きなため息が出た。いつにも増して白かった気がする。嫌になる。

自分が置かれた境遇とかに文句は一切出てこない。ただ、なんか自分に悔しくなった。

これからどうしようか。



家を出る前は、どうにかなるっしょーとか思ってたけど、想像の範疇をマイナス方向に超えてくる環境に放り込まれると、さすがに精神のバランスが取れなくなってくる。

蕁麻疹が止まらないし、なぜか聴く音楽がどんどん暗くなる。パンクなんて聴いてられる精神じゃない。





最後の1週間はいつも絡んでる地元の奴らほぼ全員にあった。

こんな去り際で気づいても遅いのだけれど、俺はずっと地元にいたいんだとこの時初めて理解した。

今の俺を作ってくれたのはこいつらなんだから当たり前だ。

いつでも会えるということが、安心していられる理由だったのかも知れない。親よりもなんでも話せる奴らがここにはたくさんいた。



この街は都心にも余裕でアクセスできるので、大学の友人とも会える。

けど何気ないふとした瞬間に、できることの範囲が、地元だと圧倒的に広いのだ。






結局その25,000円の相部屋は1日寝てすぐに逃げた。

玄関まではタバコの吸殻で埋め尽くされ、開けた瞬間、異臭が鼻をつんざく。

近所の人には挨拶を一切するなと言われ、6畳の部屋には8人が寝ていた。昼間でも電気は付いていない。

床には何かわからないゴミとタバコの灰が積もっていた。靴下は一瞬で変色し、布越しに不快感が背筋を緊張させる。

唯一、自分に目を合わせて会釈してくれた、ここで一番年齢が若いと言う21歳の男の子の純朴な目を一生忘れることはできない。彼はなぜここに行き着き、ここで何をして生きているのだろうか。



東京という街は思っているより、なんでも許されるのかもしれない。













12月30日







電車では家族連れが、買い物袋をぶら下げて楽しそうにしていた。








荷物は全部バイト先に引き上げた。


ボスにそのことを言ったら笑って、やっちまったなぁと。嬉しかった。


年末年始はバイト先に泊めてくれた。本当はビルごと閉めるのに鍵を預けてくれて、寒いからあったかくしろよと。シャワーの為に満喫の会員証も貸してくれた。忘年会だと言って居酒屋にも連れてってくれた。


大学の友人とは、大晦日と元旦を共に過ごした。今までこの時期はバイトしかしてなかったので、大学生活で一番楽しい年末年始になった。もしこれがなかったら本当に心が持たなかったと思う。

案外簡単に心は壊れるし、簡単に回復するのを知れた。大収穫だ。




あんまり親の愛情を受けて育ってきてないけど、血が繋がってなかろうが、関係が薄かろうが、会う頻度が少なかろうが、人からもらった優しさで自分は正気を保ってられている。道を踏み外さずにいられる。





生きていると実感した。

生命活動的なことではなく、社会的に。

衣住食はどうにでもなるこの時代、とりわけこの街で、つながりとか、無償の助け合いとか、何気ない会話とか、そういうのを失いかけて泣いては、またそれに救われて笑顔になった。


一人じゃ絶対に生きられない。生きたくもない。




不思議と今回の一連のできことであー死にてぇ!!とは思わなかった。ため息は出るけど。きっと1年生の時のくそったれバックパッカーの経験が活きているんだと思う。さすがにもう二度と2段ベッドに縄かけるようなことはしないよ。






結局今はリバ邸に住んでいる。場所は越谷。

理由は、地元もギリギリ通えるし、家賃が安く、米も無限に食えるということだ。何よりたまたま募集してたから。

今までは定期外の最寄りに歩いて7分。原付で定期内の最寄りまで10分かからなかった。今は最寄りまで歩いて20分。定期内の駅は原付で20分だ。心が折れそうになる。

個室はないけれど、案外悪くはない。自炊もできるし、全く面識がない僕を受け入れてくれる住人にも感謝の念が尽きない。


普通に生きていたら絶対絡むことはなかったであろう人と会話をするのは楽しい。


一方で、地元の友人のおばあちゃんのマンションに住めることにもになった。2DK家賃4万プラス生活費で月5万くらいか。ちなみに駅までの距離はリバ邸とさほど変わらない。


金銭的にそっちは住まないだろう。ただ敷金も礼金もなしで、快く貸してくれると言ってくれたおばあちゃんに頭が上がらない。困っているならいつでも貸す。明日からでも住んでいいよと。


無償の愛は無敵だ。0円ということでなく、見返りを求めないことがその人の美しさだと感じた。



この世界は優しさで回っている。高一の時に自分のブログで書いたことは決して間違っていなかった。








今回の一件では少しだけシュンとしたけど、2年前にクソ悩んでたこと覚えてる?って聞かれても答えられないから、きっと今回のこともなんとかなってくれるはず。



将来がめちゃくちゃ不安だけど、森博嗣が

将来が不安ということこは今が充実している証拠だ。今が充実していなければ明日を生きていくことに対する不安しか生まれない。

って言ってたしきっと大丈夫。





大丈夫だと思って2019年シバき倒す。

2019年もよろしくお願いします。


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あんどりゅー

卍人生右往左往卍

クォンタムジャーンプ

エッセイ的な何か
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