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ぼくとおじさんと - マンションと共同体

番外編④マンションと共同体 ep.1

餅つき

おじさんたちとの話の後、僕は自宅に戻り、帰っていた文乃と一緒に夕食を作った。
住む場所に関しては親父のもう一人の弟が心配して、競売にかかっていた親父の工場を買い戻してくれた。僕とお袋はしばらくそこの一隅を住みかにして暮らしていたのだが、そのおじさんの京都勤務に合わせて、僕たちはおじさんのマンションに住むことになった。
お袋は、おじさんの転勤先に孫の世話を兼ねて行っている。
だから、このマンションには僕と文乃と二人で住んでいるのだ。
そんな我が家で、今日の夕食は久しぶりのすき焼きを、二人で夢中で食べた。
ところで、どんな時でも僕たちは、二人で一つの課題を共有し合っている。
それは、一日一日を大事に使う、寝る時には一日が楽しく過ごせたことをお互い確認し合いながら床に就こうというものだ。
それは近所に住む僕のおじさんから聞いた、病に伏したおばさんとの暮らしの中での教訓からだった。
それと、癌になった安堂のおじさんの、一日の暮らし方の話も参考にした。
「仕事を嫌だ嫌だと思ってやったら、こんなつまらない仕事はない。その仕事を俺はこの仕事が好きだ、好きだから頑張ろうと思ってやる仕事とでは大きな違いがあるだろう。
癌になって苦い薬を飲みながら、痛い苦しいと否定的に暮らす一日と、痛いのは当たり前で楽しく思えた事や面白かったテレビを見て笑った事で終える一日とでは、同じ一日でも雲泥の差がある。
先が短い俺にとって楽しく過ごす時間、そして笑いながら終える一日は考え方ひとつで、いつ死ぬか分からない最後の人生を有意義に過ごすことになるだろうと思っている。」という言葉に僕たち二人は共感した。だから、どんな一日を過ごしたかをお互い語り合い励まし合うようにしている。二人だからできることだ。
食事は、少ない量でもお互い盛り付けを考え、特に肉やタレに関しては文乃が調味を考えてくれて美味しかった。
文乃は、今進めているバイオ研究の話を畑違いの僕に話す事で、彼女自身が安心するようだ。
自分の課題の研究論文が書き進まず、関係論文調べや教授の手伝い等やることは多くて焦ることも多いのだが、そんな中でも一日に些細なことだけれど新しい発見が必ずあることが楽しみの一つだと文乃は言う。
食事を終えて、まだ蒸し暑さが残る外に出て公園を歩きながら、僕は今日聞いた老人たちの話を紹介していた。
鬱蒼と茂り、背伸びしている木立を背に公園のベンチに座って、文乃に安堂のおじさんに話に聞く予定の事を言うと、自分もマンションに住むようになってから、研究室の同僚もマンションに住んでいる人は管理組合の話を持ち出してくるので、おじさんの話には興味があると言う。
「安堂さんとの話、私も一緒していいかしら。」と文乃が聞いて来た。いいよ、と言うと
「管理組合のことも知りたいけど、以前呼ばれた餅つき大会の事も訊いてみたかったの。」という返事が来た。
「マンションと言うのは、知らないもの同士の寄せ集めの場所と思っていたけれど、マンションの人たちが集まる暖かいコミュニティを見た気がして、関心があるのよ。」
文乃の参加を含めて、改めて安堂のおじさんに電話を入れることにした。
安堂のおじさんとは明後日夕方6時、おじさんの希望で居酒屋に文乃と一緒に行くことになった。
おじさんは、話し好きという以上に酒好きなのだ。場所に関しては僕も文乃も異存はない。

約束の日は来た。文乃は仕事場からの直行で、二人で駅前の居酒屋に行くと、おじさんは既におちょこで酒を飲んでいた。
「文ちゃんは相変わらず可愛いね。それに比べて武志はダサイな。」
それが安堂のおじさんの最初の挨拶だった。それが、孫のような僕たちへの送り言葉なのだ。
「電話で文ちゃんが、餅つきの事聞きたいと言っていたが、それから話そうか。」
文乃が嬉しそうに、おじさんのおちょこに徳利で酒を注ぐ。
おじさんも嬉しそうに文乃の顔を見ながらおちょこでぐい飲みした。男の僕一人だったらおじさんは手酌で呑んでいただろう。
「餅つきと言っても、始まりは他愛ないことからだったんだ。
俺のマンションの一階に寿司屋があるだろう。そこに酒飲み連中が集まっては酒を飲んでいたのだが、ある時餅の話が出たんだ。
子供時代、家の庭で餅つきがあり、その時食べた餅が上手かったというのだが、店で酒飲んでいる連中は似たような年代で、皆同じように懐かしがってね。俺も突きたての餅を大根おろしで食べるのが美味しくて、一度そんな風にしてまた食べたいものだと言うと、やはりみな気持ちは同じで、出来立ての餅は何処へ行ったら食べられるのかという事になった。
暫く喧々囂々の話をしていたが、結局自分たちで餅を突こうという話になったんだ。
臼や杵を借りる事はインターネットで調べ、各自が資料を持って、後日マンションの会議室に集まる事になった。そこにいたのは七人で、一人当たり一万円を目途に予算決めをした。」
「皆さん、思いっきりの良い人たちですね。」と文乃が感心している。
「あの時は皆若かったから。俺だって五十代だったからね。皆、商売していたから決まれば早いものさ。」
「それで、どうなったのですか。」文乃がせかせる。
「餅つきの会議のある当日、俺は商店街の組合に行った。地元で商売していたから事務局連中の顔は良く知っているし、事務局長がイベント担当で、よく商店街のイベントや近くの公園で臼などを持ち込んで餅つきをやっていた。それを思い出したので、商店街の組合なら相談しやすいと考えたんだ。」
「それで。」と文乃が話に乗っている。
「事務局長も腹の据えた人で、町のマンションのコミュニティづくりにお役に立つのならお貸しします、という話になった。
組合でイベントに使わない時が条件で貸し出しは無料。それに綿あめの機械とポップコーンの器械も貸してくれることになった。綿あめとポップコーンの材料は残っているので、それも一緒での貸し出しだ。
俺は、その情報をもってマンションの会議室に駆け込んだ。
会議室では6人が頭を抱えて話し込んでいた。インターネットの貸し出しでは、どこの臼が安いのかという話だった。
俺が、無料で借りる事が出来るという話をすると皆大賛成だ。懐が痛まなくて済むからね。
それからは、餅つきをいつやるか、掛かる費用はどうするのかという話になった。
そこでの会議の流れが俺に付いたので、後は俺からの提案事となった。
かかる費用と餅つきの手伝いを分けて考えよう。
餅つきや手伝いは出来ないけれど費用ならカンパできる人と、当日会場づくりや餅つきに参加できる人の募集と宣伝をマンションの住民に呼び掛けてみようという事になった。
忙しいけれど時間の取れそうな12月の末の土日のいずれかを当マンション餅つき大会と銘打って、11月中に参加メンバーを集めて準備の段取りを決める事で、そこでの会議は終わった。
後は、呼びかけに集まったメンバーで仔細を決める事と、その呼びかけの会議を11月の半ばの日決めをして、掲示板とエレベーターの中にカンパ要請と人員募集の張り紙を出した。
「杵や臼は、探せば貸してくれるところもあるのね。」文乃が感心している。
「組合でも、餅つきは季節もので年中やるものではないので、臼や杵はいつも倉庫に眠っているよ。だから発想としては、良かったんじゃないですか。」やっと僕も話に参加できた。
「スタッフの参加会で面白かったのは、ほとんどが知らない者同士だった事だ。だから最初は自己紹介に時間が喰った。14~5人の人が集まったからね。
当日の会場作りの段取りと餅つきの段取り。餅つきは寿司屋のマスターが経験者なので、もち米の量やプロパンガスの準備等細かいことは聞きながらリストアップ出来た。
できた餅に関して、お供え餅は特殊な巻き方があるという事で、これはスタッフの友人にお菓子屋の娘がいるので来てもらって教わることにした。
また、集まったスタッフに保母さんがいたので、時間が来たら子供を集めて子供の時間を作ろうという事になった。
実家が農家だという人には、美味しい野菜を送ってもらい、おでんのコーナーも併設することも決まった。
はじめての餅つきの会議だったが実に有意義で、餅つき当日への思いが一気に膨らんだ会議だった。」
安堂のおじさんは徳利の手酌をコップに置き換えて注ぎ、そのコップを口に当て一呼吸した。
「結構、準備や段取りが大変なんですね。」僕は聞きながら、思わず感想が口から出てしまった。
「どんなことでもそうだ。大事なことは、それを一人でやるのではなく、段取り良くそれぞれに分担することだ。そしてそれを管理する人も、スタッフに任せる事だ。」
「おじさまは、人を動かすことに長けているのね。他人を信用し任す事が、何をやるにも必要なのですよね。」文乃が感心している。それは彼女の仕事場の事が頭にあるのかもしれないが、僕にも当てはまる。ただ聞いているだけの僕とは文乃は違うようだ。文乃がちょっと好きになった。
おじさんは一気に酒を飲み、刺身とから揚げを口に頬張ってから話を始めた。
「12月の開催日の前日、俺と寿司屋のマスターがマスターの車で東口商店街の組合に行き、事務局長の案内で倉庫にある臼と杵やポッフコーンと綿あめの道具を車に運び入れて、うちのマンションに運び込んだ。
臼も今では石臼が支流で、木の臼は使っていないとの事で、その石臼を持ってみると重たかった。二人で運び込むのも大変で、重さで車が下手らないか、それが心配だった。
プロパンガスは事務局長が手配してくれて、俺が自転車で取りに行って運んだ。
買ったもち米は、女性陣が夜、水に付け込んでいた。」
気が付くと、文乃は手帳に書き込んでいた。自分が始める事ではないのだが、メモで記録を取るのは彼女の習性かも知れない。僕はといえば、おじさんの話も覚えきれていない。何かあっても、質問も出来ないわけだ。
「当日の段取りを説明しよう。
餅つき大会の会場は、駐車場だった。マンションの区分所有者の駐車場で、入り口の空間を利用したんだ。
ガスコンロの火でもち米を入れた蒸籠で蒸すのだが、風で火が消えないように風よけの衝立が大変だった。
後は参加した住民が交代で並び、餅つきをやる。できた餅は手際よくスタッフの女性がお供え餅をつくるのだが、友人のお菓子屋の娘がみんなに御供餅のつくり方を教えてくれていたので上手くできていた。
お供え餅の後は、出来立ての暖かい餅を、きな粉とあんこ、大根おろしに分けて皆に配っていた。
前宣伝が効いて、住民もたくさん参加してくれて、通りがかりの人も参加してくれていた。
中でも人気は綿あめとポップコーンで、集まった子供たちを製造機械の中に入れて自分たちで作らせていた。危なくないように大人も立ち合うが、祭りの時に買うだけの子供たちが、自分たちで綿あめやポップコーンを作るのが面白いのか、僕も私もと作ることに夢中で、子供たちにはいい思い出になったのじゃないかな。
ほとんどが見知らぬ同士の参加なので、餅を突いたり食べたりしながら、それぞれ話し込んでいる風景を見て、やって良かったと感じたものだ。
餅つきが終わり、後片付けも終えて、すぐ横にあるマスターの店で反省会をやり、充実した一日を無事終えることができた。
以上、これが記念すべき当マンションの餅つき大会だったということだ。」
おじさんはひと仕事終えたかのように息を継ぎ、コップに残った酒を喉を湿らせるかのように一気に飲み干した。
文乃の質問が始まった。
「話を聞くと、最初からコミュニティ形成を目指した餅つき大会ではなかったのですね。」
「そうだ。最初は自分たちの個人的な楽しみとしての餅つきだった。
小人数では無理なので、マンションの住民に呼びかけたんだ。
集まって来たマンションの住民同士がお互い初顔だったというのもびっくりしたが、それがマンション住民の置かれた状況なんだよな。
ただ、餅つき大会で結果的にお互い知り合いになれた事は、予想しなかった大きな成果の一つだろう。」
「餅つき大会で得られた成果では、他に何がありましたか。」
文乃はなおも食い下がる。彼女にとっても餅つきは初めての経験だっただろうが、初めての経験で何を感じたのだろうか。
「成果と言えるかどうかは分からないが、子供たちが喜んでくれたことも予想外だった。
コンクリートのマンションで生まれ、俺たちみたいな田舎や古里がない子供たちだ。古里づくりは出来ないが、初めて体験したことに餅つきがあった事、そして綿あめやポップコーンの記憶が思い出として残っているのなら、俺たちがやった事は意味があっただろうよ。
突きたての餅の旨さも、はじめての体験としても意味があると思うよ。
ただ、文ちゃんに言っておきたいのは、コミュニティとして考えるなら、餅つき大会はコミュニティのとっかかりにはなっても、本来のコミュニティとはまた違うものだ。
文ちゃんがコミュニティにどのような考えや期待を持っているのか分からないが、住民同士の助け合いにつながるようなコミュニティとコミュニティ活動を始めるならば、初めに目的と組織化が必要で、そのような課題は俺たちの餅つき大会は持っていなかった。
餅を食べに来る人は、初めての餅つきと出来立ての餅を食べる事が動機付けで、結果としてマンション内の知り合いができたことぐらいの意味付けだろうね。
これは俺が管理組合の理事長をしていた時のことだ。2011年、東日本大震災の時だった。大地震があって、不安だったことのアンケートを取ってみると、24%が同じ階に誰が住んでいるのか分からないという結果が出た。
緊急時、誰が助けを求め、誰を助けなければならないかが分からないままだったのだ。エレベーターが止まって、買い物をしたいが高齢者は身動き取れず、誰もサポートしていなかった。
コミュニティの必要は誰でも言う事だが、目的と役割がはっきりしないものは、安易には言葉としても使えないものだよ。
近所の仲良し会も、コミュニティと言えばコミュニティだがね。それが始まりと言えば始まりだと言えるがね。」
文乃は納得したのか、うなずいている。
「私も安堂のおじさんに声を掛けてもらって餅つき大会に来てみて、あの熱気に圧倒されたの。あれはあれで、良かったと思っているの。」
安堂のおじさんは続ける。
「それから次はどうしようという話になったのだが、皆の意見は餅つき大会はあれで終わりという事だった。」
「えっ。どうして。」いつも僕は、驚く事しかできないようだ。
「みんな疲れたと言う。段取りもそうだが、餅つき当日は終始体を動かしていなければならない。餅つきといい、おでんもそう、子供たちへの目配り気配りで、終わった時にはへとへとになっていたんだ。だから、もうやりたくないとね。
俺だけは中止に反対だった。始めたら継続させなければ意味がないからね。
第一回を教訓として、次につなげようと強調したのだが協賛者は居なかった。」
「で、どうなったの。」僕の驚きの声は続いた。
「年が明けて、暫くしてからだったと思うが、寿司屋のマスターがエレベーターに乗った時、同乗していた親子がいて、その幼い子に『餅つき大会、楽しかったね。またやるのでしょう。』と言われたというのだ。
マスターは、『またやらざるを得ないですね』と俺に言ってきた。それで餅つきを続けたんだよ。」
文乃は組んでいた手を胸に当て、小さくパチパチと拍手をおじさんに送っていた。
「それから続けることが出来たが、君たちに参考としてあげれるのは、買い物の時のリストと写真ぐらいかな。管理組合のことに関しては、新しい酒を頼んでからにしよう。」
安堂のおじさんは酒が好きなのか、強いのか、あれだけ飲んでも酔った素振りが見えない。
普段の顔は、ひょっとして酔っている顔なのかも知れない。
「おかげで餅つきは、10年続いたんだ。次の年からは吹く風の事も考え、マンションの地下の広場になった。」
コップを置いて一呼吸し、安堂のおじさんは餅つきの話を終えた。

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