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ぼくとおじさんと - マンションと共同体

番外編④マンションと共同体 ep.2

マンション管理組合

居酒屋での安堂のおじさんは酒が入ると元気になるようだ。
一日一日を大事に元気に過ごすという言葉の裏には、歳も歳なので思い残す事のないようにという焦りも感じられる。おじさんの元気に僕も文乃も圧倒されっぱなしなのだが、ここは知識も経験もない僕らが聞く立場で、返す言葉もなくひたすら聞き役に回っている。
おじさんの元気に向かって、僕たちが元気になってもあまり意味がない。それでも、文乃は手にノートを離さないでいる。それがおじさんを元気づけているのかも知れない。
注文した酒が届き、それをコップに注ぐ。刺身と残っていたキャベツのお通しを口に頬張り、椅子の背もたれに体を合わせて目をつぶっていたおじさんの目が開いた。
話す段取りを考えていたのだろう、おもむろに口を開いた。
「マンションの管理組合の事を話す前に、武志と文ちゃんに聞いてみたいのだが、マンションで生活して何か感じるものがあるかい。」
いきなり聞かれても、何の心構えもない僕は何の返事も出来ないでいた。
文乃が応える。
「私の場合は、今までの父の建てた一軒家とおばさんの家しか知らないので、特別に感じる事はそんなにないのですけど、まず二階がないこと、そして段差が少ないこと、外の音が聞こえない事ぐらいかも知れない。日中はほとんどいないので、食事とおしゃべりをして調べものをして後は寝るだけですので。そうそう、町会の仕事がないですね。ゴミ出しをしたり、学童の横断歩道の旗振りや夜回りもないですね。」
「僕も住むことだけ考えれば、戸建てもマンションも関係ないと思うけれど、玄関に入ると共同生活という感じはするね。隣に誰が住んでいるか分からない分、気楽な気がするし何よりも掃除が自分の家の中だけで済むというのが楽だね。
面倒くさいのは長期何とかいう積立金や車があれば駐車場代が取られるのと、順送りで管理組合の理事職が回ってくることぐらいかな。」
僕も普段考えてもみなかったが、今日おじさんに話を聞きたかったのは皆が話題にする管理組合のことだった。そもそも管理会社があるのに、何で管理組合が必要なのかが良く分からないでいる。
「これから俺が話すのは管理組合のことだが、これはお前たちが求める知識や教養主義的に考えてもらっては困るのだ。当事者意識で聴いてもらわなければ俺が何で話そうとしているのかが分からなくなるからな。」
おじさんは、酒を飲んで酔っているはずだが真面目な顔で話を始めた。
「日本でマンションと言っているが、これは日本だけに通用する言葉で、韓国ではアパートと言えば日本の高層マンションのことだ。
それとアメリカやヨーロッパでは、中古の家は手を加えた分高く売れる。
国々の住宅事情が、家の価値観においても大きく違う事は知っておくべきだね。日本では荒廃した戦後の課題は、住む家を作ることが国の必須の課題だった。
山地が多く狭い平野に建てる家は文化住宅、いわゆる公団から始まり民間でのマンションもやがて高層化していった。
武志の入っているマンションも最初は存在しなかったが、必要に応じて管理組合や管理規則も出来て今では長期修繕のための積立金も必須の費用となっている。
マンションでは、住む人の住居は建物全体の住居を区分して分けられた区分所有部と呼び、それ以外の廊下や壁、マンション外の地面は住民の共用部分で共有部と言っている。
ベランダも共有部で、入り口の玄関も表側は共有部となるのだ。
この区分所有部分の持ち主が区分所有者で、区分所有者が共同で共有部を管理保全するために作られたのが管理組合だ。
住まいである区分所有者の持ち物は自分たちで好きなように使える。親子兄弟の共同名義で義購入した住まいは民法の対象物で、処分には全員の同意が必要となる。マンションの共有部分に関しては、民法では律しきれないので区分所有法という法律を作ってマンション内の権利関係を決めている。共有部分の管理保全に関しては様々なルールを決め、これは国土交通省が出している「マンション標準管理規約」にまとめられている。
共有部分に関しては区分所有者全員が管理するものとして、管理組合を作り全員が組合員としてその作業に当たる訳だが、いつも全員で決めるという事は無理なので、管理組合がその任に当たるものとして、交代で理事になり会議を通して処理をしていくことになる。そこでは理事長を決め監事や会計など役回りを決めてゆくことになるのだ。小さな処理事は通常の理事会の会議で決めるのだが、少し大きな決め事は臨時総会や年に一回の通常総会で決めることになる。
そこでは通常決議は多数決で決めるが、大きなこと、例えば建て替えなどは4分の3以上の賛成が無ければ建て替えは出来ない。」
「区分所有者という言葉の意味は分かりました。また、マンションの保全管理という事に関して管理組合の役割とその構成員が区分所有者全員と言う意味も分かりました。知り合いが嫌々ながら理事になることの意味もね。」文乃が言うと
「その、嫌々ながらというのが曲者なのだ。建物が自宅なら細かいところまで関心があるのに、マンションでは仕事が忙しいという口実で、管理組合の活動に無関心という事が問題なのだ。」
おじさんは手元のコップの飲み口の縁を二指でこすりながら、文乃に向かい合う。
「つまり、当事者意識がないからそうなるのだが、その意識を根底から変えなければ、自分の身に掛かって来る問題が見えない事になるのだ。」
「昔は、マンション生活と言うのは自分の世界、夢の生活と言われていましたよね。他人からの干渉もなく、反対に他人に干渉もせず、廊下やゴミ捨て場や玄関の掃除は管理費で済んでしまう。夢のマンション生活、というチラシもありましたよ。自分の生活だけを考えれば良いだけのことで暮らしている人が大半じゃないかしら。」
「俺がマンションで生活しながら感じたあれこれを紹介しようか。
まず、管理規約だが、本来我々区分所有者がマンションの憲法として決めなければならないが、そんな事入る前に住民で決められるものじゃない。だから標準管理規約を参考にして作られ、入居前にそれを承諾して、入居後の全員の総会で承認という形で決まる訳だ。
多くのマンションで行われている事だが、特に大規模マンションでは建てるマンション周りの住民の承諾を必要としているが、町会の場合、町会に入ることを取引条件とするところが多い。管理費に町会費が入っているのだ。
うちのマンションでは、日頃何もしてない町会が来て会費払いが遅いと文句を言ってきたことから問題となった。つまり町会は任意団体で、個々人で入るもので強制ではないのに全員が管理費から払っていたのだ。大規模マンションからは大きなカネが動くから、町会としては御の字だが、多くのマンション住民は知らないでいた。うちのマンションでは総会で、払う必要のないものとして決議された。
俺はその時、知らないまま管理費で払っていたならコミュニティの必要意識があるものとして、そのままマンションの自治会設立と自治会費に当てようと提案したかったのだが、その時俺は仕事で総会に出られず、そのまま総会では町会離脱で終わってしまった。
このように町会費だけでなく、つまらないものの出費がないかしっかりチェックして置く必要がある。
またこんなことがあった。ペット飼育規則で、誰も気が付かなかったのだが、持ち主が判明しないペットによる館内の破壊行為に関してはペットクラブが責任をもって保証するというものがあった。
ペットかどうか分からない飼育者の責任を、原因も理由も何もわからないまま何故ペットクラブが補償するのかという事で、その条項を削った事がある。これも、与えられたものを無批判に受け入れる側の問題でもある。
ところでこれは俺が理事長をしていた時の話だが、ちょっと長くなるがいいかな。
2011年の東日本大震災で、受けた地震での被害調査をした時のことだ。
ベランダに、隣と隔てるパーテーションがあるのは知っていると思う。火災や何かあった時に隣に逃げ込めるようにと付いている奴だ。あれは、蹴ると壊れる構造になっている。
地震被害調査では、このパーテーションが傷ついたり割れていたという報告が多かった。これは管理組合として調査の一環だったのだが、それからは理事長の俺のところにパーテーションの修理報告書と金額が次から次と上がって来た。それが半端の数でなかったので慌てて管理室に行って管理人に聞くと、住民からの修理と取り換えの要請で治したというのだ。
被害調査は、あくまでも調査であって、それを基に専門家を派遣するための資料なのだ。聞くと修理内容は、傷がついたというだけでの取り換え工事が主だという。
パーテーションは共有部分で、理事長の許可もなく実施した事にも腹が立ったが、3万円の交換費も30件も来たのでは管理組合としてもバカにならない。ましてやこのままでは増える可能性があるので、管理人にはパーテーションは傷が入るのは当たり前で管理人が見てひどい場合のみ修理・交換させること、業者は管理会社専属の業者ではなく館内にも工事関係者がいるので合い見積もりで俺が手配することでその場は納めた。
管理会社は館内住民の工事・修理関係は自前の工事店を呼び、その上前をはねている事は知っていたので、館内の工事関係者に当たって処理を頼むことにした。
館の西側の住居には西風が強く吹くので、パーテーションが痛みやすい事は知っている。だから、住民からの要請があれば管理人が行って現場を確認し、必要が無ければ理由を説明して簡単な補修程度で済ますよう指示したが、それからはパーテーション関係の修理報告もなくなり、あっても費用は半額から1万程度に収まっていた。
このように、理事長は管理組合の印鑑を持ち、絶えず届く書類に目を通し印鑑を押すという仕事があるのだ。
だから修理だけでなく、管理人とは報告・連絡は密にすることと、何もかも管理会社に任せることをなくすことが大事だ。
管理会社はお抱えの工事会社や修理店を持っており、依頼した費用の10~15%は管理会社に持っていかれる事は以前、派遣された業者に聞いていたからだ。」
「理事長も大変ですね。その他の理事も役職があるので大変だろうね。だからみんなやりたがらないのだろうけれど。」僕はどうしても理事に同調してしまう。
それでも、安堂のおじさんが言うように自分の事として考えなければ、結局自分に返ってくるのだろう。
「工事費や修繕で、保険から下りる事もあるのだが、パーテーションの場合のようにその時に保険が下りても、修理などが度重なると保険料も高くなるから結局負担が増える事にもなる。マンションでの費用の大半は管理費と長期修繕費だが、こにも落とし穴がある。
マンションを建て、入居者募集ではローン以外にかかる費用ではこの管理費と長期修繕費が関心事だが、マンションの販売会社は買い手の懐を考えて最初、管理費と長期修繕費を安く設定するのが通り相場だ。どこでのマンション販売でもそうだが坪当たり安いというイメージで売り込むわけだ。
ところがそれで済むわけではない。大半は5年ごとに5%上がりますと言っている。
この5%と言うのが曲者で、本体を入れての5%と言うのは初期の価格の5%と言うことではない。値上げ分を1年計算で考えてみるとその大きさが良く分かると思うよ。
それが繰り返されると、値上げ分の大きさが良く分かる。
終の棲家をマンションでと言って年金で入って来る老人には、長期入居は難しくなるし、景気も悪く給料も上がらない庶民には、決して暮らしやすいとは言えないかも知れないな。」
「私の同僚で、一軒家とマンションではどちらを購入したら良いかと思案していた人がいたわ。」
「購入して、住み方の方法が課題だね。子供が小さくて広い間取りが必要な家族と、子供が巣立ち夫婦二人で暮らす間取りは違うし。短期長期で考えても違ってくる。
短期の投資目的や資産確保と、長期の居住目的では違いが出てくるよな。
例えば大規模修繕では、一律に10年周期で改修するのと、15年改修では費用も予算も違う。
投資や資産価値を考える人は、改修はしょっちゅうやって美観と資産価値を高めたいと考えるし、年金受給者などは掛かる費用を抑えたがるよね。」
「管理組合は、そういう事もやるんだ。」
僕が言うと、それをなだめるように文乃が言葉をかぶせる。
「私たちが自分たちの資産、財産を守るという事は、そういうことも含めてなのよ。今、住まわせてもらっているマンションも、武志が将来買い受けると言っていたけれど、その時にどのような資産を買い受けて守っていくのかの自覚の必要な事を言っているのよ。」
僕は、安堂のおじさんに諭されるのではなく、文乃に諭されているようだ。
「つまり、理事になったから考えるのではなく、マンションの住民として考え続けなければならないという事だ。その意味では、今問題になっていることも併せて考えておこうや。
ひとつは、マンション管理に無関心で理事会機能が進まないという事と、住民が老齢化して管理組合や会議に参加できず、決める事が決められないという事態が発生しているのだ。」
「という事は、細かい修理も何もできないという事ですか。」
さすがに僕も不安になる。
「そうだ。そのような現状を憂慮して、国も理事会の理事に住民以外の人も理事にするよう勧めているのだ。理事会が機能しないのでは修理は勿論、ガタガタになったマンションの大規模修繕や建て替えも何もできないからね。」
「古いマンションの空き部屋が増えていると言うけど、それも問題ね。
住民が高齢化して、亡くなった後を引き継がなくなったら大変よね。これは一戸建てでも問題になってますね。倒壊寸前の古民家が増えているというのは新聞でも読んだ記憶がありますよ。」
「危険家屋は近隣の住民だけでなく、歩いている人の安全も脅かすものだが、これまで民事には行政も手が付けられなかったが、近年法律も変わって行政代執行で処理できるようになったが、それでも処理できるのはほんの一部だ。」

おじさんは、ほとほと飽きたと言うか疲れたかのような顔をしている。酒のピッチも落ちているようだ。
「だからという訳ではないが、マンションの管理組合理事会の話に戻して文ちゃんや武志との話を続けよう。問題は管理組合や理事会への無関心からだったが、実はこれが一番の問題なので、この辺を考えてみようや。」
「皆さんお忙しいので、帰って休む場所としかマンションを考えていないと思うの。それは私も同じで、武志もそうよね。」
文乃の目が僕に移ったが、僕の答えも同じだ。安堂のおじさんに聞いて少しは分かったが、それまでは管理組合があることさえ知らなかったし、今でも急に理事に成れと言われたら逃げ出してしまうかもしれない。
「俺が理事長になって、何が大変だったかと言うと、理事の皆は初めての経験で、担当を決めても何をして良いのか分からなかったことだ。だから一から始める事を教える事が仕事だった。それと総会ではなかなか決議が出来ず、申し送り即ち未決の議案が溜まっていたことだ。
俺のやったのは毎週土曜日の午前10時に一階ロビーに集まって、管理組合の事を「標準管理規約」を基に説明することと、積み残された申し送りの議案を検討することだった。
集まりには副理事長二人は必ず参加してくれて、関心のある理事も2~3人参加してくれた。それを一年間続けた。」
「一年間ですか。それもすごい。」僕はただ感心することには慣れている。文乃も「毎週続けたのですか。」と驚いている。
「日頃関心がないから、理事に成っても勉強する時間がないだろうという事が理由だが、積み残された事案を検討するのにも矢張り時間がかかるという事だ。それを一人でやるのではなく、副理事長も含めて皆でやる事が必要だからだよ。」
「確かにそうですね。他人事のマンション管理ではなく、自分たちの問題でもある訳ですからね。それで、何か結果が出ましたか。」文乃が質問する。
「早急に処理したいのは何件かあったが、それを一年寝かせるのではなく、臨時総会を開いて重要な物から順次解決しようという事になった。臨時総会は初めての経験だったが、大事だと言って一年に一回の総会で再提案する件数が多いと参加者が混乱するだけだからね。
その時は、電気料金を下げる事を目的に東電から電気を安く販売する会社への変更決議が主だった。東電は発電、送電、配電という過程を独占したままでいたが、電気事業の自由化に沿って配電の業者の選択が可能になったんだ。関心が無ければ、電気料金が高いまま払い続けることになる。
それと、何件か議題をあったのだが、こみ置き場の鍵の無錠化というのもあったな。」
「ごみ置き場の鍵をなくすのですか。ほかの人が投げに来ませんか。」僕はすなおに驚いた。
「危機管理の問題を検討する中で、例えば大地震や火事があって皆が避難することを考えてみよう。うちのマンションの非常階段は二つあって、二つとも内階段で一階に下りるようになっている。
うちの場合、非常時には一階の入り口ドアーの電源が落ち、エレベーター前の両サイドに非常時シャッターが下りる事になる。この時、避難者が逃れるのはゴミ置き場のドアーしかないのだ。
この扉は、入場には鍵を使わなければ開かない事になっている。ゴミ置き場から外に抜けるのは鍵なしで抜ける事が出来るのだが、この入り口の鍵に関しての問題は、電気が消えた状態で果たして鍵を開けることが出来るのか、また避難者が鍵を持って避難しているかだ。施錠していなければ、そのまま開いてゴミ置き場を通り外に逃げる事が出来るよね。
他の人、つまり他のマンションの人がゴミを投げに来るという事が考えづらいのは、玄関は鍵がかかっており、他人が自由に出入りできるものではない事とマンション内にはテレビモニターが付いていてセキュリティは整っている。そのことを説明したうえで、避難は人命にかかわることなので無施錠の賛否を問う議題としたわけよ。」
「電気料金といい、逃げ口の確保といい、結局は住民のためという事ですよね。」
僕は、やっと管理組合と理事の意味と目的が分かって来た。
「つまり、自分の身の回り、ここではマンション生活の中で、無関心という事は無駄に電気代を払ったり、自分の身の安全にも無関心という事になる訳ですね。勉強になりました。」
僕は今日、安堂のおじさんに話を聞く機会ができた事は良かったと思う。
おじさんに合わせて酒もサワーも呑んで楽しく過ごしているが、知らない事が多い中で一つ勉強できたことは今日の成果かも知れない。
「武志。俺がお前に俺の経験を話しているのは、知識の安売りをしに来たのじゃないんだ。最初に言ったろう。
自分の事として考えてもらいたいのだよ。」
おじさんは酔っているのか、まだまだ酔い足りないのか、しらふのように目が輝き出した。
話はこれから始まるようだ。

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