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「本を通じて、僕は他者と対話する。」

最近、"対話"について考えることが多いので、僕の頭の中にあることをここに書き残しておく。

僕は、人とおしゃべりすることが大好きだ。相手と仲良くなりたいので、その人のことをもっと知りたいと思うし、自分のことを受け止めてほしいとも思う。

そして僕は、自分の知らない新しいことを知ることが大好きなので、相手との差異(考えや価値観など)が非常にオモロく感じてしまう。

しかし最近、家にいる時間が多いこともあって、人と直接会って話せる機会が少なくなってきているように感じる。

「これはどうしたものか。」

SNSなどで、より多くの人と交流している友人を羨ましく思う一方で、僕は、ふとあることに気が付いた。

「本を通じて、僕はたくさんの他者と対話をしているのではないか。」と。

僕はよく本を読む。読書をすることで、情報が多すぎて疲弊してしまいがちな現代社会と距離を置くことができ、心を落ち着かせられる。
何かと急かされる日々の中で、時間を忘れられる。
単純に新しいことを学びたいという思いも強くある。

そして読書には、自分の頭で考える"余白"があるので、直接的なコミュニケーションよりも思考を整理しやすい。

相手と直接会って話す場合はどうだろうか。
そこには、会話だけでなく、視線や表情、声のトーンからも多くの気付きが得られる。
もちろんそれは大切だとは思うが、直接会ったからといって相手のことを深く理解できる訳でもない。
それに加え、即座に自分の思っていることを言語化し、相手に伝えられる訳でもない。

ならば対話とは、一体何なのだろうか。

「どうすれば、他者と分かり合うことができているのだろうか。」
「どうすれば、相手のことを理解してあげられるだろうか。」
「自分は、大切な人のことをどれだけ知っているだろうか。」
「そもそも、人は本当の意味で分かり合うことなどできないのではないか。」

最近、そんなことをよく考える。

たとえ考え続けたとしても、本当のところは何も分からない。だからこそ、様々な他者と対話をし続けているのかもしれない。

僕はこれからも、直接的にしろ間接的にしろ、多くの人との"出会い"や"関係"を大切にしていきたい。


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