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ながいすうじつ

■ 周回と螺旋の違い

いつも何かに喚き散らしている人は
同じことを少しだけかたちを変えて話している。
きっと相手は違えども、同じ「何か」が
気に入らないのだろう。
だけれど、いつも「何か」に喚き散らしている
その人をみて、成長しているな、と感じたことは
おそらく一度もない。
誰かの何かを気に入らないと思うことより
自分自身の矛盾や不足に少しだけ目を向けたなら
良いのに、と思う。
他人の粗を探せるのならきっと変わる可能性を
持っているはずなのだ。
変わりたいと思っているのに、変われないのか、
或いは、すでに変わったつもりになっているのか、
もし、前者なのだとしたら周りに向ける目を
少しだけ内に向けるだけで大きく変わるだろう。
自分自身にも言い聞かせようと、珍しく読み返した。

■ 余白と空白の違い

実家に帰る少し前から体調を崩しており
元日の午後というのに少し横になっていた。
「お正月いつも体調崩しているね」と家族が言う。
年に2,3日しか一緒にいないのに、その貴重な時間を
万全で過ごせていないことを小さく詫びた。
実家の傍には新幹線が走る高架があって
私がいる年末年始の間は特別ダイヤのせいで
短い間隔で家が揺れる。
うつらうつらとしていると或る一回の揺れに
うつつに戻り、小さな夢を観ていたことに気がついた。
程なくしてまた揺れはじめた。
どうやらそれが新幹線によるものではないことが
すぐわかった。
逡巡していた挨拶の連絡も、ご様子伺いの連絡と
なると、ためらいがなくなり、すぐに何人かと
連絡を取り合った。
熱っぽさはあったが、階下のリビングにいること
にした。
ソファに座ると、1年前とまるで別の生き物みたいに
老け込んだ犬が横に座り込んで体を預けてきた。
それは病に伏していた頃の父に似ていた。
家族と離れて暮らす私に、その時間の空白を残酷に突き付けてきたような気がした。

■ 叔父の年賀状

実家に来る年賀状もまた、年々減り続けている。
親戚からの年賀状ですら、いつの間にか途絶えて
きている。
その代わり、母のスマホには私以上に通知音が
鳴り続ける。
毎年家族が楽しみにしている年賀状がある。
叔父からの年賀状はずっと手書きだ。
昔は絵面も手書きで薄紙をつかってトレース
していたけれど、ここのところは少し前の叔父夫婦
の写真が印刷されている。
そこまでやったのなら宛名も印刷でよさそうな
ものだけれど宛名も手書きのままだ。
ここ数年は色々な名前のついた病によって入院が
増え、以前にくらべて文字に幾分の震えが見える
ようになった。
「毎年よくやるよねえ」家族の間で交わされる
この台詞は、同じ繰り返しを心から喜ぶものだ。

■ 目標をつくるという目標

ある一時点から、なりたい自分というものを
見失ってしまった。
「やらなければならない」ことはいくつもある。
それはなりたい自分のためのプロセスではない。
おおよそ才能というnoteでよくお見掛けする
まるで海賊が隠した財宝のようなものは望んだり
はしていない。
本業、副業、趣味…まずは自分自身が熱中できるもの
を探すこと。
それが収入や日々の潤いにつなげられるかどうかを
考えること。
目標がないことを恥じることなく、動きまわろうと
思う。

たんなるにっき(その157)


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