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【日本のアニメ史】#00_キュレーション記事始めました。

こんにちは。アニメ演出家の"おうし"と申します。

劇場版『鬼滅の刃』の勢いが止まりませんね。興行収入が宮崎駿さんの『千と千尋の神隠し』を抜いて歴代1位になったこともあり、たくさんの方が鬼滅関連の記事を書き、僕も流れに乗って鬼滅の刃についての解説記事を書いたりしました。

ところで、鬼滅の刃の時代設定が「大正時代」だということはみなさん覚えているでしょうか。

今から100年くらい前の大正時代、炭治郎たちが鬼殺隊として鬼たちと命のやりとりをしている時、実は日本で最初のアニメがその裏で作られていたんです。

「え、アトムが最初じゃないの?」って思う方が多いんじゃないかと思います。

『鉄腕アトム』は連続テレビシリーズとしては確かに日本初なんですが、こと『アニメ』ということだけでいうとアトムが最初じゃないんです。実はアトムは大正時代に最初のアニメが作られてから“50年後”の作品なんです。

※正確には『インスタント・ヒストリー』が連続テレビとしては初ですが、アニメの尺は1分間だけでしたので、除外させていただいてます。


と言われても、、ちょっとピンとこないですよね。ではこう考えたら少し実感できるかもしれません。今から50年前の作品を思い浮かべてもらえるでしょうか。

1970年くらいなので、『みなしごハッチ』『あしたのジョー』『天才バカボン』などですね。(ガンダムは1979年なので、ガンダムよりも10年以上前です。)

今の僕たちから見たこれらの作品って、かなりクラシックですよね。逆に1970年くらいの人たちがもし現代のアニメを見たら、ものすごい衝撃を受けるのではないでしょうか?

何が言いたいかというと、僕らが最初期のアニメだと思っていたクラシック中のクラシックである『鉄腕アトム』と、本当の最初のアニメである炭治郎たちの時代のアニメでは、現代の『鬼滅の刃』と1970年の『天才バカボン』くらい映像技術や時代感覚のギャップがある、ということなんです。

つまり、今の僕らが最古のアニメだと思っていた『鉄腕アトム』は、大正時代に作られた最初のアニメから見たら、かなり先の未来の作品と捉えることもできます。それくらいアニメの歴史は長かったんだ。ということなんです。

日本のアニメの歴史って実はすでに100年以上経ってるんですね。ということは、こう考えることもできるのではないでしょうか。

日本に生きているほぼ全ての日本人は、アニメがすでにある状態の時代に生まれた「アニメネイティブ」なんです。

「アニメがあって当然」という価値観の中で育っているんですね。

そのことに気づいたので、あらためて日本のアニメの歴史、そして僕ら日本人にとってのアニメってどういうものだったんだろう。。。と考えてみたくなったんです。

なので、これから複数回に分けて日本のアニメ史について書いていきたいと思います。

でも、そんな古いアニメに興味ってなかなか持てないですよね?

わかります。。。!!

この業界に10年以上いるのに、恥ずかしながら自分もそうでした。


でも、“炭治郎たちと同時代に生きたアニメ作家がどんな作品を作っていたのか” って興味ありませんか? 

「もしかしたら鬼殺隊の人たちも、貴重な休暇の際にそれを見ていたかもしれない」、、と考えると、夢が膨らみますよね。

そこで、炭治郎や禰豆子たちが見ていたかもしれないアニメを紹介しつつ、それらが今、僕たち「現代のクリエイターが作っているアニメ」そして「みなさんが見ている好きなアニメ作品」にどういった影響を与えているかを、それぞれの時代の状況と作品、その時代を生きたクリエイターたちを線でつなげることで、多角的、立体的に捉えることができたら、多分とっても豊かなアニメ体験ができると思うんです。

これらを理解したら、何回も見たはずの好きなアニメを観る際も新しい感覚で観ることができるんじゃないかと思います。新しいアニメの視聴体験ができちゃうかもです。

…..とはいえ、いきなりアニメの最初期から振り返っても現代のぼくたちの感覚から遠すぎますよね。日本史の授業でいきなり縄文や弥生時代から勉強しても全然頭に入ってこないのと同じような感覚です。

なので、まずは身近なところから掘り下げてから炭治郎たちの時代に遡っていきたいと思います。

あくまで予定ですが、現状ではこんな感じの流れで日本のアニメ史についてまとめていきたいと思います。

▼トピック(予定)

・ふたりの神 -手塚治虫と宮崎駿の関係-
・手塚さんがつくった現代アニメへの道筋  -イノベーター手塚治虫-
・Before手塚治虫/After手塚治虫
・ガンダム以降のアニメブーム
・戦後出現した巨大スタートアップ『日本漫画映画株式会社』
・日本アニメの父「政岡憲三」と孤高の天才「大藤信郎」
・太平洋戦争前後のアニメ 
・竈門炭治郎と同時代を生きた草創期のアニメクリエイターたち
・アニメの技術の変遷
・アニメの価値の変遷:エンタメ→広告(チラシ)→コミュニケーション
・アニメ視聴環境の変化
・これからのアニメがどうなるか

この記事をまとめる際、こちらの本を参考にさせていただきました。引用部分はその旨を記していきます。

参考書籍:『日本アニメーションの力―85年の歴史を貫く2つの軸

そして、まとめるうえでのスタンスはこんな感じです。

“ ジャーナリスト” や “ 評論家 ”ではなく【“アニメ制作現場で現役で仕事をしている人”の目線で書くアニメ史キュレーション】

「アニメの歴史や偉人」「現代のアニメ作品とトップクリエイター」「アニメ技術や価値の変遷」「当時の背景」などを事実と主観を交えて点と点をつなげていく....という感じです!

※余談ですが、↑のスタンスは最近よく聴いている歴史キュレーション番組『コテンラジオ』に影響を受けています。めちゃくちゃ面白いのでオススメです!


ではアニメ史一本目、参ります!

▼宮崎駿と手塚治虫

最初に選ぶテーマは『ふたりの神 -宮崎駿と手塚治虫の関係-』です。

宮崎さんは言わずと知れた現代の“日本アニメ界最大の巨匠”であり、その実績は神といっても過言ではありません。そして手塚治虫さんは“漫画の神様”と言われている、レジェンド中のレジェンドです。

この“ふたりの神”の間にどんな関係があったか、気になりませんか?

あまり語られることはないのですが、おふたりは互いや互いの作品をすごく意識し合っていたようです。

▼宮崎さんの手塚さんへの評価

宮崎さんは手塚さんの漫画の影響を強く受けており、その影響下から抜け出そうともがいた挙句に自身の漫画原稿を焼却したこともあるらしいです。

一方で手塚さんのアニメ仕事に関しては、全否定と言ってもいい発言をしています。例えばこんな。

アニメーションに対して彼がやったことは何も評価できない(中略)全体論としての手塚治虫をぼくは“ストーリィまんがを始めて、今日自分たちが仕事をやる上での流れを作った人”としてきちんと評価しているつもりです。(中略)だけどアニメーションに関しては ー これはぼくが言う権利と幾ばくかの義務があると思うので言いますが ー これまで手塚さんが喋ってきたこととか主張したことと言うのは、みんな間違いです

『日本アニメーションの力―85年の歴史を貫く2つの軸』より引用


けっこう激しいですよね。。「間違い」と断定していることに強い意思を感じます。この時の宮崎さんの年齢は48歳前後。

30代くらいの血気盛んな時期、または、頑固になる傾向にある高齢期ならいざ知らず、一般的にはかなり落ち着いている年齢時の発言、、というのも個人的には注目ポイントです。(宮崎さんらしいなぁと(笑))

▼手塚さんの宮崎さんへの評価

一方で、手塚さんは宮崎さんのことをどう評価していたのか。

残念ながら、公式で手塚さんが宮崎さんのことについて言及している記事はあまりありません。その少ない記事の中から、唯一触れている記事を紹介します。

『ロルフ』というアメリカのコミックを宮崎さんがアニメ化したい、という話を以前宮崎さんが手塚さんに相談しにきた時のことを振り返ってー


「この有名なアングラ・コミックを宮崎氏が長編アニメにしたいという執念をぼくにもたらされたのは、もう半年くらい前のことです。(中略)ぼくたちは、どんなに時間がかかっても成就したいと思っています。(中略)コケの一念で実現させたいと思います。宮崎さんは、きっととてつもなくものすごい映画に作り上げられることでしょう。

『日本アニメーションの力―85年の歴史を貫く2つの軸』より引用 
(中略)は筆者

まあ、、当たり障りのない感じですね(笑)

これだけ見ると、手塚さんはアニメ作家としての宮崎さんに対して、そこまで意識していないようにも感じます。ふたりのキャリアや年齢差を考えると、当然と言えば当然、、手塚さんは1928年生まれなのに対して宮崎さんは1941年生まれ。年齢差13歳。

当時は年齢差の感覚は今以上に大きいはずなので、現代で考えると手塚さんから見た宮崎さんは「20歳くらい下の後輩」ぐらいの感覚でしょうから、ムキになるような相手ではない、、という姿勢もわかります。大人の余裕を感じますね。

ただ、これは本当にそうなのでしょうか。

実は、手塚さんの漫画のアシスタントを努めた漫画家の石坂啓さんのこう言った証言があるのです。

「思うに、『風の谷のナウシカ』については、先生は本当にくやしかったんじゃないかな。先生がアニメでやりたかったことを先に宮崎さんにやられてしまった。というか・・・。先生が本当にやりたかったのは、ああいうものだったと、わたしは思う」

さらに、『ナウシカ』公開当時のアシスタントのスタッフの方がこんな証言をしているそうです。

『ナウシカ』公開直後のある時、手塚先生が仕事場のアシスタントみんなに、『ナウシカ』の評判を聞きまわっていたんです。「今やっている『ナウシカ』を観た?どうだった?」という感じで。で、ぼくが「面白かった」と返事をしたら、その時には手塚先生は特別な反応をしなかったと思うのですが、あとでチーフアシスタントに怒られました。「面白かったなんて言ったらダメじゃないか」というふうにね」

※両証言ともに
『日本アニメーションの力―85年の歴史を貫く2つの軸』より引用


読んでみて、いかがでしょう。。

実は “漫画の神様” 手塚治虫は、ひとまわり以上も下である、のちの “アニメの神様” 宮崎駿を、メチャクチャ意識していたっぽいです。

こういう、“後から出てきた才能” に “かつての巨匠” が嫉妬する、という構図は歴史上でも他の業界でもよく聞く話でとても再現性が高い現象ですが、このおふたりのこととなると特に興味深いですね。
(ちなみに、個人的には現在の宮崎さんにも、その傾向があると思っています... 笑)


▼まとめ

いかがでしたでしょうか。

次回は、「ふたりの神がなぜお互いをここまで意識していたのか」を紹介していきたいと思います。(明後日1/2 の朝7時にリリース予定)

まずはその第一弾としてこの記事を書かせていただきました。

最後まで読んでいただいたき、ありがとうございます!

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