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11022023 十一月

あっという間に十一月です。
どんどん、世界や日本の雲行きが怪しい。。
不安なことが雨季のきのこぐらい🍄早いペースで差し迫っている感覚。泣きそうになる。
いまある程度何事もなく、作陶とヨガの練習と仕事できてることがあと数年後には、どれだけ貴重だったのか分かるんだろうな。
そしてことは起きないと分からない。
人間であることにつくづく絶望します。

そんなことを言うと、身近なことに目を向けない暇で、正義中毒な人って思われる。そう言ってるのを耳にして悲しくなった。
いまの自分は思想が違う人の中にいる。
でも、思想が合う人とうまくいくとも思っていない。
私自身の問題とも関わってくる。

私は自分の思想に関して証明できないけど、先住民の人たちのように、もってる感覚や曖昧さを注視したい。

最近また、私は変と言われることがあった
それを言ってくる人は、自分をまともだと思っているのか。
軽視しているのか。
私のような人格が経験なく、自分の許容範囲を超えているのか。

少なくともその言葉のニュアンスにポジティブや敬意を感じない時に、私は言葉に傷ついていた。

私の好きな人たちはみんな自分をキチガイや変な人って自ら言っていて
彼らは人間自体がまともでないことも承知で生きている。
そんな二元論の中にも居たくないや。


作陶記

ハートくんランプ
いっぱい実験

一日にできることが少ない。
うまくなりたくて、たくさんつくった。それでも2週間ぐらいで20個ぐらいしか作れてない。今実験中もあって、色かけもできてないものもある。
そうこうしているうちに今年が終わる。
精神と時の部屋に入りたい。体力がほしい。もっとつくりたい。練習したい。
これも、調子良くてこれだから、厳しい季節や体調の時を考慮するともっと自分の実力でできることは、少ないっていうことを念頭に置いてお気楽に進めていきたい。

これからはAlと融合してもっと効率的に働くことが当たり前になるだろうから、その選択をしなかったものは何十倍って言う差がついてしまうんだろうな。その世界にも居たくない。

そんなことを思う私は、全部に対して悲観的なのかもしれない。

最近疲れてて、最高にネガティブ。
これも本来の自分だなって思う。


ヨガ練習記

ほぼ毎日アシュタンガを練習してる
でも、ハーフまでしかやらないことがほとんどなので、アシュタンガヨガの練習とも言えないのかもしれない。でも、アシュタンガを練習している人たちがいるスタジオで練習ができることがたのしかったりもする。
アシュタンガというヨガの伝統はけっこう細かいので、好きだとそれに忠実になっていって、ちょっとでも忠実でない人に厳しかったりする事もある。
そしてそれによって揉め事が常に起きていて、そこから身を引く人もいるし、おもしろいなって思いながら対峙している人もいて
すごく勉強になる。
これも想定してこのヨガを構成していたとするならすごい。
まさに人間って感じ。

そのどちらもおもしろがれるようになったのは、アシュタンガだけに視点を向けすぎなくなったからとも思う。
前の私は、色々な物事にバランス良く見せかけて、自分の基準には白黒がはっきりしていて、そこから判断していたように感じる。

いまは、曖昧さを残したままにして物事を捉えるようにしている。

そしてそれすらも、この先ずっとごちゃごちゃしたままなんだろうなって思う。

諦める事とは違って、人間は生きてるうちに悟ることも、覚醒することもないまま終わることが人間である宿命な気がします。

ちょっと仏教ぽい。



今はただ黙々とつくり続けて、ヨガを練習し続ける。


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