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Slack分報はディランのように

月報、週報、日報、分報?はっきりした定義があるのか、どこで生まれた概念なのかわからない。少し調べた限りでは、仕事の中で困ったことなどをSlackの個人チャンネルに書いていると、詳しい人が気軽に反応してくれるというようなコミュニケーションを目的にしているのだろうか。ぼくは分報は自分自身とのコミュニケーションであり、チャンネルではなく個人のDM(自分へのDirect Message)でいいと思う。

書く内容は現在進行中の仕事における作業内容やおおざっぱに言えば思いつきなど。まるでなだぎ武のディラン・マッケイが、自転車を「今降りてる」「降りた」「停めに行く」「停めた」といちいち報告するみたいだ。この冗長さがいい。頭の中だけで考えてやるのと、「降りるからな」と書いてやるのは違うようだ。書くことで一瞬でもそのことに意識が惹きつけられて、やるモードに入ってしまう。いつもならちょっと思っただけ、で流していた疑問なんかも、書くことでやってみようかなと一歩進んだりする。

1箇所に書くのはどこに書くか迷いがなくていいし、検索も楽だ。日時が自動でつくのもよい。他にも次のようにいろいろなメリットが考えられる。

朝仕事を始めるときやランチのあと、割り込み仕事のあとなど、中断していたことを再開するとき、分報を確認すれば元の状態に戻りやすい。思い出すのに時間がかからず、リスタートできるのだ。

より反省的になれるというメリットもある。仕事では、結果にいたる過程で数々の問題にぶち当たっている。情報を見つけるのに苦労したとか、この作業無駄なんじゃないかとか。終わりよければ全て良しではない。なぜなら明日以降もまた新しい課題に取り組まなければならないし、明日から使えるヒントは、結果ではなく過程の方に隠れているからだ。でもギリギリの工数でやっていると、仕上げたらすぐ次の仕事に取りかかってしまい、どこで困っていたかすっかり忘れてしまう。これは無反省的という。分報を書いていると、いつもなら忘れてしまうちょっとしたことも記録に残る。書くこと、見返すことを通じて反省的になれる。実は人っていつも反省してる。でも忘れるからあんまり役に立ってないのだ。

似た話だが、普段やっている仕事は記憶にも記録にも残らない苦労が意外と多い。記憶に残らないというのは学習が進まないということでもある。たとえば仕事の中で何かを解読したり把握したりする。それを学習できなければいずれ同じ苦労を繰り返すことになる。負担のチリも積もれば山となり、業務を圧迫する。(すでにしている。)分報に記録が残っていると帰り際や翌日の朝、反復することが可能になる。反復までしなくても、記録するだけで記憶に残りやすくなり覚えていられることが増える。すると学習が進む。

改善も進むだろう。仕事中毎日のように、こうした方がよくないか?と改善したい欲が生まれているが、すぐにとりかかれず忘れてしまうことが多い。とりあえず書いておくと参照可能になり、あとで手をつけられる可能性が高まる。

心理的にも良い効果があるかも知れない。仕事をしていると、かかった時間に対してアウトプットが見劣りすることもある。そういったときに、やる気がそがれてしまうのはもったいない。もし分報によって苦労の痕跡やそこからの学びを認識できれば、それを肯定できる。もちろん受け取り手にとってはアウトプットがすべてである。でも上にも書いてきたように、自分にとってはアウトプットだけがすべてではないのもまた事実だ。

分報は、自分自身とのコミュニケーションを活性化する。

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