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桜の下でピクニックをするたろうの姿に不登校経験者はきっと泣く|『たろうのひっこし』を読んで


卒業シーズンはモヤモヤする

 卒業シーズンですね。街ゆく学生が晴れやかな顔をして連れ立って歩いている光景が見られます。卒業ソングも流れてきます。ところで、『たろうのひっこし』(福音館書店)村山圭子・さく/堀内誠一・絵。という絵本を読んだことがありますか?堀内誠一さんの明るい色彩の絵で楽しい絵本なんですが、実は春の絵本です。ラストには桜の木の下で、桜吹雪の中みんなでお花見をするんですよね。まさに、この時期の絵本なんです。
 でも、僕自身はこの時期は個人的には、ちょっとモヤモヤしちゃうんです。卒業はみんなにおとずますよね基本的には。晴れ晴れとした達成感で、新たな次のステップにみんな進む季節です。でも実は恥ずかしながら僕は大学受験で2年浪人しました。なので春はみんなが泣いて別れを惜しんで新しい進路に向かっていく時期に、一人だけ残されて結局同じ場所でまた一年過すというのを何度か経験しました。
 例えば、クリスマスはまわりがはしゃいでいるからこそ、一人で過ごしていると悲しくなりますよね。そういう経験がある人ならきっとわかってくれると思いますが、そういう時はあくまでも普通の日だと自分に思い込ませて生活していました。心に蓋をする技を身につけると何も感じないようになるんです。そんな感じで、浪人時代は卒業の季節には心に蓋をしていました。

卒業式に出れないこともある

 しかし、それが自分ならまだいいんです。もし、自分の子どもだったらどうでしょうか?家族ができて子どもができて順調に育っていたと思っていたのですが、中学校2年生。不登校になりました。そしてそのまま卒業式に出れませんでした。あれは非常に辛かった。感じたことのない感情になりました。自分の浪人なら悔しいとか見返してやるとか、そういう気力に転換することもできました。でも、子どもが卒業式に出れないというのは、悔しいでも悲しいでもない、いろいろな感情が絡み合った気持ちになりました。出てほしいという気持ちと、本人が出たことでさらなるダメージを受けることも予想されるので、親が無理やり連れていくのも違うし、、、と気持ちの葛藤がずっと続くんですよね。自分の浪人の経験もあり心に蓋をする技を身につけていたつもりでしたが、あの時ばかりは蓋をしてもその蓋をこじあけて何かが溢れ出してしまいました。その溢れ出した名付けようのない複雑な感情を悟られないように、さらに頑丈なシェルターを作って、何も感じないようにしていました。まるで、漫画の『アキラ』で少年を封印していた地下施設のように。封印して負の感情が溢れ出ないようにしながら、子どもの同級生のパパ友やママ友には〇〇ちゃん卒業おめでとう!〇〇くん受験受かって良かったね!などと、表面を取り繕っていました。自分の家族だけが透明な壁の中で立ちつくしていて、その外側の卒業する子ども達で溢れる校庭の景色がどんどん離れて遠ざかっていくような感覚におちいりました。

『たろうのひっこし』は不登校の成長物語

 ガチガチに気持ちを武装して生きているからこそ、ちょっと優しくされると泣いちゃうみたいなこともあります。外に向かってパンパンに気を張っているので、針でツンってやったら破裂しちゃうみたいな。そんな絵本が冒頭にも話題にした『たろうのひっこし』です。
 不登校を家族で経験すると、なんでも自分の方に引き寄せて深読みできるようになるんですが、『たろうのひっこし』も深読みできるようになりました。どう深読みできるかというと『たろうのひっこし』は不登校の子が成長して外の世界に居場所を作る物語に読み取れるんです。
 太郎が「じぶんのへやがほしい」と言ったら、お母さんがじゅうたんをわたしてくれたので、それを持って遊ぶ場所を引っ越ししていくというお話しです。最初は一人ぼっちで家の中にいたのが、窓際に行き、家の外に出て、最後にはお花見をします。さらに、その過程で、猫や犬などの仲間が増え、最後にはガールフレンドまでやってくるんですよ!まさに、部屋に引きこもっていた少年が、外に居場所を探している姿に重なるじゃないですか。しかも、じゅうたん1つで何もないところに居心地がいい場所を作るのが、不登校から外に出ていくまでの成長に見えてくるんです。

普通から外れても挫折ではない

 中学、高校、大学と、普通の進学ルートは、受験などもあるけどある意味で安全な道なんです。みんなが知っている道だから。今考えれば、浪人も大変だったけど「浪人生」という名前も与えられるし、通う予備校もあるし、みんなが知っている道の範疇なんですよ。でも、不登校で普通の道の外にでた場合、そもそも学校というシステム自体が子どもに合っているかという大前提から考え直さなければならない。道なき道を歩むことになるわけです。まわりからは、不登校ってどういうこと?と疑問に思われたり、なんで学校に行けないんだろうね?と言われたり、普通から外れると外圧もあるし、悔しい思いもかなりします。そして、通信制かフリースクールか、就職の方がいいかもしれないし、何がやりたいのか、何が向いているのか、ゼロから考えることになる。その過程が、じゅうたんを移動させながら、本来何もないところに窓がある場所とか、みんなで遊べる場所とか、自分に合った場所を作ろうとするたろうに重なるわけです。
 しかも、そのいく先々で仲間に出会うというのもいいんです。ウチの経験でも、不登校で家にいる間はかなりメンタルがやられていましたが、通信制に少しづつ行けるようになってから、いい先生や、少ないけど話せる友達はできるようになりました。だから、最後の桜の木の下でみんなで花見をするシーンは不登校を乗り越えた少年に見えてくる。堀内誠一さんのおしゃれな色使いと軽やかな絵のタッチが、深読みするこっちからすればさらにグッとくるものがあります。桜の下で、友達や仲間と喜びを分かち合えるまでの、道のりを考えたら、涙が出てきますよ。はたから見たら「たろうのひっこし」を読んで泣いているおじさんなんて、ただのヤバい人にしか見えないかもしれないですが。でも「たろうのひっこし」をそのように深読みしてみたら、今不登校の人はそれが悪いことや挫折ではなく自分にあった居場所を探している途中だと思ってほしい。そして、そうじゃない人は不登校のことが少し身近に感じてくれたらいいなと思います。 

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