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金八先生が教えてくれたこと、私がnoteに書く理由

金八先生がドラマの中で、生徒の一人の名前にある「明」という漢字を黒板に書き、
「この漢字には、暗いところを照らすという意味がある」
と言った。

言うまでもないとは思うが、金八先生とは『3年B組金八先生』というドラマで武田鉄矢さんが演じていた中学校の国語の教師である。

たしか、卒業式の後の授業で生徒一人一人に言葉をかけていくというシーンだったと思う。

なぜこのエピソードを覚えているかといえば、私の名前にはこの「明」が使われているからである。

そのものが明るいというだけではなく、暗いところを照らす、という意味もあるのだということを、初めて知った。

それで、あ、私自身が明るくなくてもいいのか、と思ったのだ。

「明」というのが名前にあるばっかりに、明るく振る舞わなくてはならないような、そんな気がしていたのかもしれない。親にしても、そんな大きな期待を込めて名付けていないだろうし(というか、名前を考えたのは生まれたばかりの私を産院に見にきた従姉である)、名前にそんな責任感を感じる必要はなく、ただの勝手な思い込みである。でも、まぁ名前と関係があるのかないのか分からないが、昔からなぜだか、空気を壊したくなくて変に「ひょうきんな子」を演じてみたり、大丈夫じゃないのにニコニコして余裕があるそぶりを見せたり、そんなことが度々あった。


金八先生は続けて、こんなようなことを言った。
「どうか、暗い場所にいる人を照らしてあげください」
と。

かなり前の記憶なので言葉は正確ではないと思うが、だいたいこんな意味のことだ。そしてその言葉は、ドラマを見ていた私の胸に刻み込まれたのである。正直、金八先生の言葉に影響を受けたなんてこっ恥ずかしくもあるのだが、それはさておき、何に影響を受けるかなんて分からないものなのだ。

それに、中学校では生徒会長をやってみたり、舞台俳優を志して劇団に入ってみたり、いろいろなことをやってみて、そして挫折して分かったことがある。私の役割は、自分自身が輝くことで誰かに影響を与えたり、誰かの役に立ったりすることではない、と。


ずっと、辛いときやどうしていいか分からない時、本を読んできた。
物語やエッセイに、どれだけ救われてきたか分からない。暗い場所にいるときに、照らされてきたのである。

だから私は、書きたい。

もし私の書いたものが、暗い場所にいる誰かの足元を、ほんの一筋の隙間からでも照らせたなら、嬉しいと思う。


noteに書くことは、ホントは明るくない私が踏み出せる一歩だと思っている。


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