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短編小説みたいなエッセイが沁みる『それでも日々はつづくから』(燃え殻著)

真面目すぎるんだか何だか、図書館で借りて読んだ本を「良かった!」と言ってnoteで紹介することがどうにもはばかられる。別に、お金を儲けようとしているワケじゃないし、いいのかもしれないけど、身銭を切らないと意見を文字にしてさらしてはいけないような気が、どうしてもしてしまう。

いつも気になった作家さんの本をまずは図書館で予約して取り寄せて読む。また読みたくて、ずっとそばに置いておきたいものはあらためて買う。お財布事情も含めてそんな慎重すぎる私なのだが、図書館で借りて読んだ本に感動しすぎて、もう、この気持ちを忘れないうちに書きたい!
身銭身銭と唱える真面目すぎる私を駆り立てる、燃え殻さんのエッセイ集『それでも日々はつづくから』を紹介します。

『それでも日々はつづくから』(燃え殻著)

小説家・燃え殻さんの名前を知ったのは、テレビドラマ『すべて忘れてしまうから』で、ドラマの原作である同名エッセイの原作者としてエンディングのクレジットで観たのである。

このドラマ、不思議な面白さだ。
阿部寛さん主演の深夜枠というだけで期待大で、さらにこのタイトル『すべて忘れてしまうから』がもう面白そうな予感しかなかった。
それで見始めてから原作はエッセイだと知って、すぐにスマホで図書館に予約。一緒に『それでも日々はつづくから』を借りたのは、そのタイトルに惹かれたからなのだが、期待以上の面白さだった。

『週刊新潮』で連載されていたエッセイなどをまとめた『それでも日々はつづくから』は、淡々と著者の日常や過去がつづられている。
ドラマティックな出来事もそうじゃないことも、不思議と短編小説を読んでいるような感覚になることがあって、エッセイ集を原作にドラマがつくられたのもよく分かる。特に元彼女や元彼女未満の女性とのエピソードは、リアリティはしっかりありながら小説のワンシーンのようだった。
そんな一面もあれば、とにかく、笑えるエピソードも満載。ずっとモヤモヤしていたことをよくぞ書き表してくれた!と拍手を送るほどに大共感した話(「俺さ、井上陽水と飯を食ったことあるんだよ」)もあった。
いじめ、テレビ番組の美術製作という仕事、そして小説がベストセラーになったことで見えたエピソードは時に切なくもあり、痛々しさまでこちらに伝わる。
でも、なんだか優しい。たぶん器用ではなく、逃げるし、約束は守れないし、いろいろあるけれど、ものごとを捉える著者の目線は優しい。だからだろうか。いちいち沁みるのだ。
エッセイの一つに、お店でカニクリームコロッケを注文したのについに出てこなかったという話がある。同じ経験はないが、もう他人事とは思えなかった。カニコロが来ないと店員をひっつかまえてクレームをすぐに言えたり怒ったりできるなら、人の心を動かすエッセイは書けないだろうなと思う。

燃え殻さんのエッセイは、多くを語り過ぎないところも魅力の一つだと思う。語り過ぎない着地の仕方は、毎回、センス!と思わずにはいられなかった。センスついでに言うと、それぞれのタイトルの付け方にもうなる(『それでも日々はつづく』じゃなくて、つづくから、というところにも)。そして、良いか悪いか、善か悪かでものごとを簡単にジャッジしないところが、私は好きだ。きっと著者は感受性が強いがゆえに、脆く、だけど優しいのだと思う。2,3ページという短いエッセイのそこかしこでそんな空気を感じた。

一緒に借りたエッセイ集『すべて忘れてしまうから』も、もちろん面白い(特に「僕は今でもアイスは噛んで食べる」は泣いた。大好き)。ドラマの要素を探すのも楽しい。単純に先に読んでその面白さに衝撃を受けた燃え殻作品デビューが『それでも日々はつづくから』だったからタイトルに挙げたが、どちらも面白い。

さあ、買ってもいないのに書いてしまった。
が、買って何度も読み返したいし誰かにおすすめしたい作品である。
ドラマからエッセイへとつながり、小説も読みたくなり、原作の映画化もネットフリックスで観たい。そうやって芋づる式(?)につながって、興味が広がっていく瞬間に幸せを感じる。このエッセイに出会えて本当に良かったと思う。ありがとう、阿部ちゃん!

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