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おいしいマンモス

今からだいたい26000年前から12000年前の時期は後期旧石器時代と呼ばれており、現在よりも寒く乾燥した気候が地球を覆っていました*1。北半球では氷河が現在よりもずっと南まで進出してきており、たとえばカナダ北西部の大部分は氷に覆われていました。乾燥化によって森林は平原となり、マンモス、ケナガサイ、オオカミ、クマなどの大型動物が闊歩していました。

わたしたちヒト (ホモ・サピエンス) は20−30万年前のアフリカに誕生し、5−6万年前から本格的に、アフリカの外に進出し定着していきます。後期旧石器時代はちょうど、ヒトが世界に分布を広げ、各地でさまざまな文化を花開かせていく時期です。


後期旧石器時代の中央ヨーロッパ

そのような後期旧石器時代の中央ヨーロッパ (ドイツやチェコやハンガリー周辺) にも、ヒトが進出していました。中央ヨーロッパの特に南西部は、遺跡の考古学調査をするとマンモスの骨が大量に出てくるため、「マンモス文化」と呼ばれることもあります。しかし、当時の狩猟採集民たちが本当にマンモスの肉ばかり食べていたのか、単にマンモスの骨が分解されずに残りやすかったり、他の動物の骨が遺跡の外に捨てられていたりしただけだったのかは、これまで不明でした。

今回紹介するのは、チェコの後期旧石器時代の狩猟採集民の遺跡Predmostíから出土した動物やヒトの骨を調べて、どのような動物が主な食資源だったのかを調べた研究です*2。この研究では安定同位体分析という手法が使われています (参考: 沈没船の樽のなか)。これは、骨などの体組織に存在する元素の割合を調べることで、生前食べていた食物を推定する手法です。


マンモスの割合

人骨のほかに肉食獣や草食獣の骨の安定同位体比が測定され、統計モデルを使ってそれらの摂取割合が計算されました。その結果、後期旧石器時代のPredmostíの狩猟採集民たちは、動物から得ていたタンパク質のうち中央値で56%程度をマンモスに依存していたことが明らかになりました*2。ほかの肉食獣ではそうした大きな値になる食資源が見られず、ヒトだけが特にマンモスに集中した食性だったようです。

さらに興味深いことに、おそらくヒトに飼われていたと考えられるイヌは、ヒトのようなマンモス依存の食性を示しませんでした。このことはつまり、イヌはヒトのおこぼれを食べていたわけではなく、イヌの食物をヒトがコントロールして、何を食べるべきかを決めていたことを示唆します*2。こうしたイヌとヒトの食物の区別は、現代のアラスカの民族事例などでも記述されています。


終わりに

長い時間軸で考えると地球の気候や環境は大きく変化しており、現在からは想像もつかないような暮らしを過去のヒトたちがしていることがあります。考古学や人類学の研究によってそのような過去のことが明らかになり、わたしたちヒトの暮らしがどのように変化し得るかを知ることができれば、現代の生活をちょっと異なる新たな視点で見直すことができるかもしれませんね。

(執筆者: ぬかづき)


*1 その一方で、数十年などの短期間で起こる気候変動も頻繁に繰り返されていました。寒冷化や短期間の変動には、地球の自転・公転や、全珠的な海水の循環がかかわっていたと言われています。

*2 Bocherens H, Drucker DG, Germonpré M, Lázničková-Galetová M, Naito YI, Wissing C, Brůžek J, Oliva M. 2015. Reconstruction of the Gravettian food-web at Předmostí I using multi-isotopic tracking (13C, 15N, 34S) of bone collagen. Quat Int 359–360:211–228.


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