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嫉妬のドロ沼から私を救い出してくれた言葉


嫉妬に浸った大学時代

大学生の頃、絶え間ない嫉妬心に悩んでいた。

テストで高得点をとれば、模試で結果を残せば、それだけで褒められた環境はもう過去のものとなり、大学生たちの間には「頭がいい」のほかに「面白い」だとか「可愛い」だとか、多種多様な評価軸が錯綜していた。

昔から、“ガリ勉キャラ”で通っていた私は、「自分に向いているのはコツコツ勉強することだ」と思い込んでいて、大学受験の頃から文学関連の研究者を目標としていた。大学の授業は面白かったし、“テスト勉強”には慣れていたので、ある程度の成績を修めることはたやすかった。

でも、ただただ授業に真面目に出るだけの日々のなかには、私を満たしてくれるものは何もなかった。

高校までは、“点数”という項目で簡単に注目されることができたけれど、大学の世界は全く違う価値観で動いていて、課外活動に積極的に勤しむことや、人とは違う何かに挑戦することが、表舞台への切符を手にするための絶対条件になっているような気がした。

要するに、大学一年生の私はただただ平凡な“ちょっと真面目な女の子”だった。

何浪も重ねて大学に入ったことを強固な個性に変えていく子や、入学式でスカウトされてタレント街道を歩む子、サークルを立ち上げて学校全体から注目を浴びる子。

同じ大学という環境にいるはずなのに、私と違ってスポットライトに当てられている子たちが、羨ましくて仕方がなかった。

よくよく考えれば、学者という職業に興味が芽生えたのは、「好きなことを勉強して本が出せるなんて最高」みたいなミーハーめいた動機であったし、「学問の道からアプローチした方が将来的に有名になれるんじゃないか」といった幼稚な計算があった。

要するに、私は目立ちたがり屋だったのだ。
よくある表現を使えば、“何者かになりたかった”んだと思う。

研究の世界を知るにつれ、文学系の研究者を目指すことが茨の道であることは明らかであったし、私のような底の浅い人間が生きていけるわけがなかった。早々に軽率な野望は捨てた。

そこからはサークル活動に力を入れたり、短期留学したり、やっていたことは“人並み”だった気がするけれど、とにかくたくさん足掻いた。

その足掻きの原動力は、いつも誰かに対する強い“僻み”の精神。

自分が何をやりたいかではなく、「あいつよりも目立ちたい」とか「あの子よりも幸せでありたい」とか、他人との比較をすることでしか、自分を奮い立たせることができなかった。

そんな燃料が長く持つはずもなく、大学2年生を終える頃には、私は自分の嫉妬心に押しつぶされそうになっていた。疲れてしまっていたのだ。

私を救ったのは、あの有名な……

ああ、私は何がやりたいんだろう。何になりたいんだろう。

身近な現実世界で探そうとすると、それはたやすく嫉妬に化けてしまう。

そこで私は本を読み始めた。
自分の興味のある分野で活躍している人のエッセイや仕事論など、年の離れた人の言葉を貪った。彼らは実在しているけれど、学生の私にとっては当然遠い存在で、自分と比べるような人たちではない。嫉妬心なんて生まれるはずもなかった。

そんななか、私の嫉妬に対する向き合い方を大きく変えてくれた一冊がある。

「SMAP×SMAP」など数々の大ヒット番組を手掛けた放送作家・鈴木おさむさんの『テレビのなみだ 仕事に悩めるあなたへ』(朝日新聞出版)という本だ。

その中のある章は、こう始まる。

嫉妬。この世に嫉妬なんてしないという人、いるんだろうか?

え? 鈴木おさむさんですら、嫉妬することがあるの? あれだけ多くのテレビ番組を手掛けて、知名度のある彼ですら、この感情に悩むことがあるの?

有名になれば、陽のあたる場所に行けば、自分で自分を満足させられるようになると信じていた私にとっては、その冒頭だけで衝撃だった。

本書はさらに、「嫉妬心との向き合い方」も提示してくれていた。これがすごいのだ。

ペンを執り、書いてみました。自分の「嫉妬年表」。デビューしてから今まで、まず自分の年齢を、その横に一番嫉妬心を抱いてきた人の名前を、ずらっと書いてみたのだ。(中略)この「嫉妬年表」は自分の成長の記録でもある。だから、嫉妬する相手がずっと変わっていないってことは、ある意味、自分が成長していないってことなのかもしれない。

考えたこともない発想だった。嫉妬した相手を時系列に並べ、自分の成長を確かめる。
改めて凄まじい人だと感激したと同時に、私もすぐさまペンを執り、年表を書き始めた。

ある人には数年間にわたり嫉妬していたし、ある人のことは年表を書くまで嫉妬していたことすら忘れていた。ただひとつ言えるのは、時とともに嫉妬する相手は変わり、そのタイミングは、自分の環境が変わったり、何らかの目標を成し遂げたときだった。

鈴木さんの言葉を借りれば、

言い方は下品だが、「こいつ抜いたな〜」と思うと、嫉妬する相手が変わってきているのだ。

「嫉妬年表」を書き始めてから、自分の感情を冷静に分析できるようになり、随分と気が楽になった。

私は今、この人が羨ましいんだ。なぜだろう。この間まではこの人が羨ましかったのに、なぜ変わったんだろう。

そうやって分析を繰り返すことで、「自分がなにをやりたいのか」も少しずつ見えてくるようになった気がする。

noteをこうして始めてみたのも、書き溜まった「嫉妬年表」を因数分解していくうちに、「私は文章を書きたいんじゃないか」という結論に至ったことが大きい。

この先もきっと、隣の芝生はいつだって青いだろう。
他人と自分を比べることをやめることなんて出来ないと思う。

でも自分が成長すれば、進みたい方向へ前進していれば、いま嫉妬している相手のことなんていつかきっとどうでもよくなる。

今持っている目標を成し遂げたとき、私はそのあと一体誰に嫉妬するんだろう? 
もしかしてものすごい大物相手だったりして。

最近はそんな妄想までできるようになってきた。

鈴木さんは言う。

嫉妬って、なんだかネガティヴな言葉だが、人が生きていくための大きなパワーだ。


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