美人と一緒にいるのが辛い
可愛い子にしか許されない行動
例えば、
ピンクがかったベリーショートヘアに大きなピアス、
真紅のルージュをたっぷりつけて、指にはいろんな形をしたリング。
目の覚めるようなカラフルなトップスに、ハイウエストのパンツ、
足袋の形をしたシューズを纏って都会の街を闊歩すること。
例えば、
とりとめもない風景やナチュラルな自撮りに文章を添え、詩的な投稿をすること。
例えば、
男の人に、素直に自分の意志や欲望をぶつけること。
これは誰もが認める“可愛い子”、
100人いたら100人が「綺麗だね」という女の子、
100%の女の子にしか許されない行為。
美しくなければ、美しくなりえない行為。
――平凡な女にはあってはならない行為
ロマンティックなこと、とんがったこと、無邪気なこと、これらは美しさとともにあらねば、称賛されることはないのだ。
だから私は、だらだらとこぼれ落ちてくるありとあらゆる欲望、表現したい感情、なりたい自分に蓋をして、誰に伝えるでもなく、発信するでもなく、日常を淡々と誠実に生きなくてはならない。
だって私は“可愛くないから”。
あの寒い冬の夜、心臓にナイフが突き刺さったかのような唐突な痛みとともに、じわじわと溢れ出てきたのは、こんな言葉たちだった。
男からの衝撃的な一言
大学三年生のときのこと。
私は、いつも傍らにいた友人、ことごとく趣味が一緒で話が合って、
なにかと頼りにしていた、クラス一の、いや、学年一の、いや……
とにかく凄まじい美女(Aちゃん)と一緒に、大学近くのHUBで飲んでいた。
するとそこに、同じ大学の男の先輩が何人か現れて、急遽一緒に飲むことに。
合流した直後、Aちゃんは彼らのコートをかけながら、口角をキュッとあげてこう言った。
「先輩、奢ってくださいよ〜」
当然のように「あ、私も〜!」と続ける私。
でも、この瞬間が私の人生のある分岐点となってしまった。
「ああ、Aちゃんは良いよ……可愛いから」
ある先輩が冗談交じりに優しく微笑んだ。
そして――
「ん〜……君はダメかな」
面白いけど、たぶんモテねえぞ
Aちゃんは通りに出れば誰もが振り返るような華やかな美人で、ファッションスナップの常連。
センスも抜群で、インスタグラムにあげられる日常は、自撮りであれ、風景であれ、多くの人を惹きつけた。
ときおり写真に添えられていた詩のようなものは、正直私は意味を理解できていなかったのだが、人によっては天賦の才能として煌めいていたようだった。
「ほんとAちゃんのセンスは抜群だよな、インスタ、いっつも更新楽しみにしてるよ」
「前から思ってたけど、こんな短い髪、Aちゃんみたいな美人しか似合わないよなあ」
「ただ可愛いだけじゃなくて文章のセンスもあるっていうか、なんか君は持ってるよね」
開始早々、そんな言葉が飛び交うなか、彼らは私に視線を向けた。
「杏子のは、なんかポエマーっぽくて面白いよな」
「そういえば、前髪、また切ったの? 面白いけど、たぶんモテねえぞ〜〜」
「普通にしてれば結構可愛いのに、勿体ない! 民族衣装みたいなのもいいけど、清楚系のほうが合うんじゃね?」
テーブルにコロコロと響く笑い声。
手の指先と膝のあたりから急速に温度がなくなっていくのを感じながら、
「ですよね〜 まあ半分ネタかな」
と乾いた笑い声を出すしか、私には選択肢がなかった。
奢られない女の決意
あれだけ綺麗で目立つAちゃんのことだ。
褒められる場面に遭遇するのは今にはじまったことではないし、驚きなんてしない。
Aちゃんと私は違う。そんなことは分かっているつもりだった。
でも、いざはっきりと差を突きつけられると、それは想像以上の痛みを伴うものだった。
文学が好きで、言葉が好きで、ただただ綴っていた文章。
フランス映画が好きで、ファッションが好きで、そこに出てくる女の子たちに憧れて真似したお洋服や短い前髪。
大学生という自由を謳歌しながら選び取ってきたあらゆることが、“面白い”という名の揶揄によって、否定された瞬間だった。
彼らに特別悪気があったわけではなかっただろう。
発言だけ切り取れば、とんでもない男たちのように思えるけれども、これはほんの2,3秒の出来事であって、話題はすぐに移り変わり、何事もなかったかのように夜は更けていき、「また飲もうな〜」の声とともに、その夜はいつもどおり幕を閉じた。
でも。
その一瞬は、私からあらゆるものを奪ってしまった。
例えば、個性。例えば、自意識。
終電に揺られながら、とにかくこれから先の生き方を変えなければ、私は目に見えないなにかに押しつぶされて、崩れ落ちてしまうだろうということだけが、ぼんやりと頭のなかを支配していた。
100%の女の子でなければ認められない、嘲笑われる対象でしかない行為がこの世には確かに存在していて、その行為をきっと私は“犯して“いたんだ。
Aちゃんと仲が良いからといって、趣味が合うからといって、絶世の美女と言われる彼女と同化させていた自分の浅はかさを恥じた。
同時に、はたと気づいたのだ。
男の人に“可愛くない”と言われれば、いや、ほのめかされただけで、私は死にたくなるほど傷つくんだ。
他の女の子と比べられて、評価されて、除外されると、頭を地面に叩きつけられたかのようにショックを受けてしまうんだ。
こんなのは、耐えられない。もう絶対に、こんな思いはしたくない。
だから――
だから私は、“そこまで可愛くない”私は、“身分相応”に“可愛い”と思われよう。
モード雑誌に載っているような髪型をして、
色彩豊かなメイクをして、
原色のふんだんに使われたお洋服を着るんじゃなくて、
鎖骨に届くくらい焦げ茶色のミディアム、
前髪は横に流して(オン眉ぱっつんなんて論外!)、
メイクも茶色を基調に、
リップはコーラルピンクで、お洋服はベージュトーンで。
インスタだって、もう投稿はやめよう。
だって、私は、男の人に少しでも“可愛い”と思われたいのだから。
"面白い"は嫌だ。
女性が容姿で判断されない社会が構築される日も近いのかもしれないし、
男の目線を意識しない女性はたしかにかっこいいけれど、
男に認められない悲しさや絶望が、私のなかからなくなることはないのだから。
もう傷つきたくない。
とてもシンプルだけれど切実な思いが私を満たしていった。
就活という残酷イベント
ほどなく就職活動が始まり、Aちゃんに限らず友人たちと以前のように気軽に出かける機会は減っていった。
自分のことに精一杯の毎日、みんなと頻繁に連絡を取り合うこともなかった。
しかし、会わずとも連絡をとらずとも、近況なんてすぐ分かる。
Aちゃんは早々にどこかに内定が決まってようで、一時的な黒髪はすぐに過去のものとなり、桜の散るころには、雰囲気のあるお洒落で美しい写真が次々とアップされていった。
そんな彼女の様子を見るたびに、就活に苦しむ私の心は、ガリッと音を立てるように削られていった。
就活が早く終わっているから、遊んでいるから、という単純な理由ではない。
容姿という埋めることのできない絶対的な差、に明確に気づいてしまったあの夜以来、彼女の姿を見るたびに、私の心は鉛のように重くなるのだった。
そこに就活という一大イベントが重なり、私の劣等感はパンパンに膨らみきってしまった。
のちに人づてに、彼女が「説明会のときから人事に服装や雰囲気を褒められていて、すぐに内定が出たらしい」と聞いたとき、私の頬はピリピリと硬直し、上手く返すことができなかった。
それはあくまでも噂であって、彼女が相応の努力をして勝ち取った内定なのだろうけれど、そんなことを想像する余裕すら、当時の私にはなかった。
それだけ容姿というものに囚われるようになっていたのだ。
美女と一緒にいるのが辛い
苦しみながらもなんとか私が就活を終えたのは、初夏というにはさわやかさのかけらもないほど蒸していた6月下旬。
久しぶりに大学の授業に顔を出すと、Aちゃんは教室の片隅に座っていた。
真緑のノースリーブのワンピースに身を包む彼女の姿は相変わらず華やかで、どこから見ても美しかった。
私の姿に気がつくと、「就活お疲れ!」と笑顔で労ってくれた。
「あの展覧会を見に行こう!」「あの映画は?」「あそこのカフェ、良さそう、何人かで行ってみない?」「もう最近全然杏子と会ってなかったから寂しかったよ、いっぱい遊ぼうね!」
いろいろな誘いをしてくれたが、私は曖昧に微笑むばかりで、どうしても首を縦に振ることができなかった。
もう、私は怖かったのだ。
彼女と行動をともにすることで、「お前は可愛くない」という烙印を誰かに押されるかもしれない。
コンプレックスがどんどん深く掘り下げられていく感覚。
ごめんね、Aちゃん。あなたがなにかをしたわけじゃない。
あなたのせいじゃない。
これはただの嫉妬だと思う。
でもね、自分の嫉妬心に気がついてしまうほど、辛いことはないんだよ。
心のなかでそう唱えながら、自分を保つために、私はAちゃんと適当な距離を保つことにした。
彼女もきっと何らかの違和感を感じていたと思う。
けれども何を言うでもなく、ずっと自然体でいてくれた。
付かず離れずの関係を続けながらやがて卒業を迎え、「落ち着いたら会おう!」と口約束を交わし、私たちは社会に出た。
目立たないこと第一主義
Aちゃんと離れれば、楽になるかもしれない。社会に出れば、きっと変われるはずだ。
はじめこそ、そんな淡い期待を抱いていたけれど、そんなわけがない。
幸い、私の会社には人の容姿に直接的にあれこれ言う類の男性は(知る限り)いなかったのだが、根付いてしまった劣等感は凝り固まったしこりのようで、「私は可愛くない新人なんだろうな」と心のなかで卑下することで自分を防御していた。
様々な飲み会や合コンに繰り出す同期の女の子たちを横目に、
私は初めて貰うお給料を使って、ひとりで楽しむことばかりを考えた。
極力、目立ちたくなかった。
”ジャッジを下されないポジション“に収まろうと必死だったのだ。
髪型も服装も、清潔感を心がけ、当たり障りのないもので整える。
“身分相応”を心がけた。
その“普通さ”が功を奏したのかなんなのか、ほどなくして仕事先の男性にご飯に誘われ、なんとなくデートを重ねるようになった。
好きな本の話、映画の話、演劇の話、ファッションデザイナーの話。
彼の前では不思議と臆することなく、好きなものの話をすることができた。
彼と趣味がぴったりと合うわけではなかったけれど、興味深げに私の話を聞いてくれる人が目の前にいるというだけで、私はとても嬉しかった。
ドーバーストリートマーケットという聖地で
彼とはそれから自然にお付き合いがスタートしたものの、「可愛いって思われてるのかな」という自分の容姿に対する不安は常に付きまとっていた。
付き合い始めて数ヶ月、もうたいていのことは話せる関係になっていたある日、彼の提案で銀座のドーバーストリートマーケットに行った。
私の口から色々なデザイナーの名前を聞いて、興味が湧いたらしい。
しばらく足が遠のいていた場所だったが、最先端のお洋服を見ることは、やっぱりとても楽しかった。
デザイナーそれぞれの哲学やこだわりが眩しくて、ふたりしてその世界に魅了された。
ひととおり巡回し、最上階のカフェに入る。
ふたりでキャロットケーキを頬張り、そのお洒落な空間を堪能しながら、いつの間にか、私はポツポツとこんな言葉を口にしていた。
「気づいてるかわからないけど、今の私の服って、すごく普通じゃない? 正直、これ、なにひとつ私の好みじゃないんだ。もっともっと、ほんとは服で遊びたいし、ドーバーに売っているような服だって色々着てみたい。でもさ、奇抜な見た目って、美人にしか許されない感じがあるじゃない。だから、まあ、私は目で楽しむだけっていうか、もう諦めてるんだ〜」
「いやいやいやいや」
と言葉を被せる彼は、たいそう驚いた様子だった。
「僕はこれまで服にこだわってこなかったし、杏子が話すブランドのことも、ほとんど知らなかったよ。そういう意味で、僕のお洒落偏差値は30くらいだと思う。それに、僕はスタイルが良いわけではないし、ここに売っているような服が似合うのかはわからない。でもさ、あまりにも格好良くて、その世界観に少しでも浸ってみたいなと思ったブランドも見つけられたことだし、僕はちょっとずつ挑戦してみようと思うよ。杏子だって、着たいものを着ればいいのに」
ああ、なんて真っ直ぐな人なんだろう。でも、私はそうはなれないんだよ。
どんな女も歳はとる
「うーん、まあ、男の人はさ、人によるとは思うけど、見た目のことであれこれ言われる機会って、そんなにないでしょう。でもね、女は違うんだ。何したって、“可愛い”“可愛くない”の基準で常に測られてるんだよ。みんな意識していないか、する機会がない人もいるかもしれないけど、そういうものなんだと思う。良い悪いじゃなくて、事実なんだよね。私が奇抜な服を着ると、それは“可愛くない”になってしまうんだよ。私はそれを受け入れられるほど強くないし、できることなら可愛いと思われたいの」
彼は少し考えてから、続けた。
「たしかに僕は容姿であれこれ言われた経験はないかもしれない。だからコンプレックスみたいなものはあまりない方だと思う。……杏子のことは可愛いなって思っているし、だからこうやって付き合っているのも事実。でも、当たり前だけど可愛いだけが理由じゃないよ。話題の豊富さとか、好奇心旺盛なところとか、可愛さと同じくらい……僕はそういう杏子のセンスみたいなものもすごく好きなんだ。まあ、僕も男だから、可愛い女の子のことはそりゃ好きだよ。でも、それは感覚的なものというか、深くグッとくるのとはまた別の話なんだと思う」
「深くグッとくるってどういうこと?」
「うーん、説明の仕方が難しいんだけどさ……人類には、まあここでは女性とするけれども、彼女たちにはひとつだけ平等なことがあるんだ。それは、どんな美女でも、どんな平凡な女でも、みんな毎年1歳ずつ、年をとっていくということ。こんな事言うと怒られちゃうかも知れないけど、綺麗事は抜きで言うね。見た目のことだけでいえば、どうしたって可愛さや美しさは、若さには敵わない部分が出てくると思う。超ハイレベルな美女だって、一生その美しさが変わらないってことはないんだよ。だからこそ、容姿というものを抜きにしたときに、その人に何が残るのか。僕はそこにすごく興味があるんだよね。うまくいえないんだけど、今からでも杏子がこだわりのある服を着て、それを楽しむことができたならば、その雰囲気というか、強さみたいなものは後々、大きな人間的魅力になるんじゃないかなって思うんだ」
今現在ではなく、遠い未来に思いを馳せること。
これまで考えたこともなかった発想に私は呆然としてしまった。
私は「今、この瞬間、可愛くありたい」と思って、自分に蓋をしてきたけれど、“今の可愛さ”は永遠に続くものではないんだ。
その当たり前の事実に微かな絶望を感じながらも、どこか心に晴れ間が差し込むのを感じていた。
無理したところでどうせ続かないのなら、自分に素直になったほうが楽しんじゃない?
そして結果的に、彼の言うような“未来の私の魅力”に繋がるのだとしたら、こんなに良いことはない。
「もう一回、お店行ってみようかな。あ、本当に似合わなかったら言ってよね、お願いだから」
その日は結局、私はコムデギャルソントリコの少しだけフリルのついた黒いトップスを、彼はアンダーカバーのシンプルなデザインのTシャツを購入した。
ドーバーの袋を揺らしながら銀座の街を闊歩する私たちは、そこそこ格好良かったんじゃないだろうか。
おばあちゃんになったら
この日を境に、私は生活のなかに少しずつ“好き”を取り入れるようになっている。
もちろん、好み100%で生きる自信なんてまだない。
好きなブランドのなかでもおとなしめの服を選んでいるし、メイクは相変わらず茶系統から抜け出せずにいる。
会社に美人な後輩が入ってくると「比べられるんじゃないか」と冷やっとすることもあるし、前髪をぱっつんにしてみた翌朝は何か言われないだろうかと少しだけ緊張する。
Aちゃんのインスタは変わらず素敵で、タイムラインに流れてくるたびに、未だに心がチクッとする。
でも、”チクッ”のたびに、私は魔法のコトバのように言い聞かせるのだ。
「おばあちゃんになったらみんな一緒なんじゃない?」って。
そういえば、小学校、中学、高校や大学と親友と呼べるような子とはいつも
「おばあちゃんになっても仲良くしようね!」
なんて言っていた気がする。
女の友情なんてそんな長続きするもんじゃないと思っていたけれど、案外、これは的を得ていたのかも知れない。
おばあちゃんになって、色んなしがらみやコンプレックスから解き放たれたとき、私達はまた一緒に人生を楽しめるかもしれない。
歳をとって、彼女たちといつか再会することがあるとしたら。
そのときは、2色のマッシュルームカットにして、青いアイシャドウを使って、プラム色の口紅を付けて、目いっぱいのお洒落をしていこう。
私はそう、決めている。
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