ハイボール劇場〜福島編〜
駅のこちら側も向こう側も栄えている場所に行くと、どちらを駅の表側にするか決めたくなる。
お気に入りの居酒屋が大体こちら側にあるから、中之島美術館がこちら側にあるから、だからわたしの表側はこちら。
何度かこの地にくるうち、自然とそれがわたしの中で決まりつつあった。
ただ、駅から一番近い喫煙所はわたしが思う表側とは反対にある。だからわたしはこの駅に着くと、まずは裏側から攻めることになってしまう。
駅の裏側にあるタバコ屋の前で傘をさしながら一服をかましていた。店前に一本役目を終えたビニール傘と吸い殻が一本ずつ落ちていた。このタバコ屋にはわたしのお気に入りの味はない。
雨が降っている時にこの街を選んだのは間違いだった。と思いながら、頭の中で今日いこうと思っていた居酒屋までの経路を辿る。福島はどの居酒屋に行くにもどうしても少しだけ、駅から遠い。
湿気に髪が膨らむのを気にしながら、以前トロたく巻きが美味しかった記憶のある居酒屋へと向かった。
店につき、もらったおしぼりで冷えた指先を少し温める。メニューをパラパラとめくっていると、「やさしい豚」という文字が目に入った。やさしい豚。何が出てくるのか想像できそうな、できなさそうな言葉が気になって思わず注文をする。日本酒の種類が多いお店だけれど、飲み物は構わずハイボールを選んだ。
とろたくまきはいつも通り美味しい。
魚を米で巻くのではなく、お米を魚で巻く逆巻きタイプのお寿司はたまに見るけれど、米が入っていないこれは完全に日本酒のあてだ。
お箸もお酒も進んで、ハイボールが3杯目に差し掛かる頃。
満を辞してやってきた「やさしい豚」の正体は低温調理された豚肉のハムのようなものだった。なるほど柔らかくあっさりとした豚はたしかにやさしい。納得のネーミングセンスである。
近場の居酒屋を何軒か周り、すっかり日が暮れて帰る途中、タバコがもう切れかけていることに気がついた。
駅表側(私基準)のファミマに寄ると、店の前には喫煙者が群れをなしていた。灰皿はどこにもないけれど、排水溝に続く穴がたくさんある。
地面も、そこにある花壇も、空気さえも灰色に淀んでいる。
あぁ、地図上にはない天然の喫煙所か。
と思いながら横目に通り過ぎ、店に入ろうとすると、
草木も土さえも死にきった花壇に一人、真っ白いカッターシャツを着たショートカットのお姉さんが座っているのが目についた。長いパーラメントに火を点けようとしていたところだった。高いヒールの靴を履いた脚をサッと組むと、お姉さんは物憂げに煙草をくゆらせる。
そのまま電車に乗ろうかと思っていたけれど、もう傘はいらないくらいの小雨になっていたから、そのお姉さんの隣にそっと立って今しがた買ってきた煙草を差してiQOSを点けた。
わたしが半分吸ったあたりで、お姉さんはまだ少し長さの残ったパーラメントを座っていた花壇の縁になすり付けて消すと、排水溝の穴のないところをあえて選ぶようにして、その吸い殻を地面にたたきつけた。
ピンとした身なりには似つかわしくない行動のギャップに驚いて、
去って行くお姉さんの背中を呆然と眺めていると、どこからともなくやってきた小太りのおじさんが、お姉さんの元いたところに立った。
おじさんはポケットからアメスピを取り出すと、足元周辺の吸い殻をそっと排水溝の穴の方へと足で追いやった。
頭の中には先ほど見たメニューの「やさしい豚」という毛筆の字体が浮かんできた。
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