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マッシュルーム

先日髪を切った。
小学3年生以来のマッシュルームカットになった。

「マッシュルームにしてみたいです…。」
美容室の鏡の前でそう言ったのは良いが、そのあとすぐに不安になった。

イメージできる仕上がりは8歳の頃の私である。
この髪型が嫌で嫌で、写真を撮られるのも嫌だった。もったりとしたキノコ型が重たいみたいに、常に首を左にかたむけて、への字口でカメラに収まっていたあの頃。髪型は雨上がりのホトちゃんとか日村さんとかに近いだろうか。いや、あんなお洒落に整ってはいなかった。
なぜなら「散髪」と言えば、我が家では母がやるものだったから。

団地の狭い風呂の洗い場に新聞紙を引きつめて、母は入り口側に陣取り、私は中に入って母に背をむけるように座る。私は服を着たままで、青いゴミ袋をくりぬいたものを頭から被り、両手でビニールの端を持ち上げるのだ。
散髪用のはさみなど持っていないので、家にあった持ち手の黒い大きなハサミが使われた。紙も布も、荷台のロープも、飛び出た導線も。家にあるものはなんでもこれで切る。それで髪も切る。

刃が大きいので一切りで切れる髪の量も多い。
前髪を「ジョォキ」 パラパラ
耳元を「ジョォキ」 バラバラ
おでこや耳たぶに冷たい刃が当たるたび首を縮め、その都度母から「耳切れるで!」と怒鳴られた。実際誤って耳たぶをちょいっと切られたことがあるので余計ビクビクした。潔く乾いた刃の音は私の骨格に響いて、体の内側からゴリゴリと鳴るように聞こえた。

前髪を切って、耳元を揃え、襟足を整える。
母の技術はとてもシンプルで、私と弟の髪型の仕上がりは一様にして自ずとマッシュルームカットとなった。弟は友達にその髪型のせいで”マッシュ”とあだ名をつけられていたぐらいだ。

セーターに残った細かい髪の毛がチクチク背中にささる。こんな髪がた嫌だと母に文句を言っても一喝され、そっちの方が怖いから言えないでいる。
あーあ。明日の朝、教室で男の子らにからかわれるにちがいない。
鏡にはキノコを乗せた、さえない顔の半べその自分が映っていた。

***

マッシュルームだった頃を思い出しても、そこに良い思い出なんてないじゃないかと、まぁ、そうなのだけれど。
あれから40年近く経とうとして、こんな年齢になって、そして今自分がこんな状態で。
誰に会うでもなく、見せるでもない環境にいるのだから、懐かしいキノコ頭になっても、いいんじゃない。
そんなことをふと、思ったのだ。

美容師のお姉さんは、淡々と私の要望を聞いてうなずいた。
言った後で、こんなおばちゃんで変かな?とモジモジしている私に、彼女はプロらしい微笑みを浮かべた。

「いいと思いますよ。
 大人の方(←思いやり)がマッシュルームにされるの、流行ってますし。
 〇〇さん(私)の髪質にも合うと思います。」
ーえ、流行ってるんですか?それとは知らず…。
「原田知世さんとか、少し前そうでしたよね。」
さすが美容師さん、例えに配慮があって優しいのだ。
ー私はホトちゃんとか、ふかわさんとかのあたりをイメージしてました。笑

絶壁やら、うなじの一部だけ上を向いて生えているくせやら、いびつな頭の形やら。そういうことも全てバランスをみながら、さすがの技で仕上げてくれた髪型は、明らかに母のキノコとは違っていた。さすがはプロ!
当たり前だが鏡に映る私は8歳の私ではなく、大人の、それなりに年を取った女の”マッシュルーム”。
ひと仕事をやり終えたお姉さんも「うん、いいですね。」と満足げで、なんか嬉しい気持ちになった。

まぁるくて、常温で、(黙っていれば)思慮深くみえるような落ち着いた雰囲気でもある。自分で言うな!ではあるが、鏡の自分はまだ見慣れぬ他人顔なので仕方ない。
これは、通勤とか、誰かの上司である事とか、銀行の来客があるとか、接待とか。そういう事が頭にあった頃の自分には無かった私の形状なのだ。
幼い頃に半べそかいていた私も内包した、優しいキノコ。いえ”マッシュルーム”。

君もキノコ

髪型ひとつ。
些細だけれど、気持ちがふわっと軽くなった気がしている。
2022年の私に、これからきっと似合うようになる。



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