見出し画像

【短編小説3000字】ハシゴから飛ぶ夜の結末

ひとりの男が肩にハシゴをかついで夜道を歩く。
たたんだ状態で男の身長の四、五倍はあろうかという錆色のハシゴ。
男の歩調にあわせて、ガシャガシャという金属音がうるさく響く。

男は白のタキシードに白のシルクハット、胸にはお決まりの赤い薔薇をさして、愛する女(なんとボスの一人娘)をロマンティックにかどわかしに行くところ。

男は女が住むマンションの前まで来ると、彼女の寝室の窓にハシゴを伸ばして、いそいそと登りはじめる。
それがその男に考えられるかぎりの情熱的なアプローチ。

でもよく見ると、それはハシゴではない。

昔懐かしい映画のフィルムだ、しかも巨大なやつ。

そこに映っているのは、いわば男の愛の物語。

フィルムの出だし、ハシゴでいえば足元のコマは、【ボスの護衛中、男がその一人娘を遠目に見染めるシーン】。

物語はそのひとめぼれから始まり、
【一人娘の愛猫のエサを買いに走るシーン】
【愛猫用のトリミングの予約をとるシーン】
【暴風雨のなか迷い猫を探しまわるシーン】
がハシゴの上へと粗いコマ送りで続いていく。

男にとってボスの一人娘は高嶺の花。
許されるのは遠巻きに飼い猫の世話をすることくらい。
しかしそれでも、そのうろんで迂遠な交流を経て、二人の距離は次第に少しばかり縮まっていく、その最短接近距離はおよそ二メートルで、それが今日の昼のこと。

男がハシゴをのぼると、目の前にちょうどそのシーンが現れる。
【会社のロビーで二人が偶然すれ違うその刹那、視線と視線が交わり、男の背筋に雷が走り、熱烈な片思いが愛の確信へと変身をとげるシーン】

男の手足に力がこもる。

男はハシゴをのぼる。

【いさめる仲間たちの手を振り払うシーン】を越えていく。

男はハシゴをのぼる。

【かき集めたお金で、男の考える正装一式をレンタルするシーン】を通り過ぎる。

男はハシゴをのぼる。

【男がハシゴを担いで夜道を行くシーン】

男はハシゴをのぼる。

【男がハシゴをのぼるシーン】

男はハシゴをのぼる。

【男が窓をがらりと開けて、部屋に飛びこむシーン】

男はハシゴをのぼる。

【男の胸に一人娘が飛びこんでくるシーン】

男は、ハシゴをのぼる。

【怒り狂うボスの無理難題を二人の愛で乗り越えるシーン】

男は、ハシゴをのぼる。

【盛大な結婚式】

男は、ハシゴをのぼる。

【波乱万丈の新婚生活】

男は、ハシゴを、のぼる。

【息子一人と娘二人と男と女と猫、五人と一匹家族のいかにも幸せそうな光景】

男の足が、とまる。

男は目指す窓辺を前にして、望んだとおりの、あるいはそれ以上の未来がそこに約束されていることを思い知る。

これ以上の人生など望むべくもない。

引っかかることがあるとすれば、ただ一つ。
それが約束されてしまっているというその一事。
しかし、男はどうしてもその一事を飲みくだすことができない。

どうやら、その一事が男にとっては一大事のよう。

男はそのハシゴ、もといフィルムの頂上、ゴールあるいは行き止まりまで登りつめると、その最上段に思いきり蹴りを喰らわし、ひとつ上の階を目指して力のかぎり飛び上がる。
幸ある窓を飛び越え、未来の栄光をふいにする無謀、無意味な大跳躍。

上階の窓枠に辛うじて指先がかかる。

遥か下で、ひび割れシンバル楽団がごとき轟音が鳴り響く。

恐る恐る振り返り見れば、長いハシゴか巨大なフィルムはアスファルトの上に倒れ落ちて真っ二つ。その姿を遠望してみて、男はようやくそれがハシゴでもなければフィルムでもなく、運命のレールであったことを理解する。

男はレールを外れるどころか、ぶっ壊してしまって、復線できる見込みは零点ゼロ。

むしろその上に頭から真っ逆さま、転落お釈迦かお陀仏のカウントダウンが着々と迫ってくる。

しかし、ああ、なんということ、冷や汗ダラダラ死を覚悟するこの時点でもなお、男はレールを外れるということを甘く見ている。

親指を除いて窓の桟に掛かった両手8本の指が、……7……6……5……4……3……と減りゆくさなか、ガラッと開いた窓から男を氷点下の視線で見下ろすは常闇にも映える絶世の美女。

男が思わず見とれている間に、美女はふっと引っ込み、かわりに現れた大鷹が虎ほどもあろうかという体躯で飛び出て、キェッとひと鳴き、白タキシードの上襟を鷲づかみにして、そのまま大空高く、窓の不審者をどこか遠くに捨てにいく。

もがけど足掻けどものともせず、大鷹は悠然と夜空を行く。
どこをどれだけ飛んだかわからぬまま、気がつけば見知らぬ森のはるか上空。
男は完全になすすべなし。
お手上げの意思を神様に示そうと両手をあげると、タキシードの上着がスルッと脱げて、男と大鷹はにわかの別れ。

ドボンと落ちれば上下もわからぬ水のなか、グレープフルーツ大の目玉をギョロつかせるペンチ顔の巨大魚竜に襲われ、ズボンのすそを咥えられて湖底の深みへと引きずり込まれる。

あわてて靴とズボンを脱ぎ捨て逃げこんだ極細水中洞窟を抜けた先は、地底世界の神聖な泉。ずぶ濡れの白シャツに蝶ネクタイにパンツ姿で神の御使いとあがめられ、連れていかれたお城で豪勢な歓待を受けるさなか、嫉妬の道化に毒をもられて、靄のような、概念のような、認識以前の世界のような境界のない姿に変えられてしまう。

地熱の上昇気流に吹き上げられてモクモクと迷いこんだ森の奥では、ひとりぼっちの魔女に心の影をだまし取られて、代わりに間違いの魔女にバーを与えられる。
____(オトコバー)は男の補集合的対存在で、世界の片割れ。
男と____がひっきりなしに衝突をくりかえすなか、その衝突面が輪郭となって男をくるむ。

しかし、そうして取り戻した身体はどうにもしっくりこなくて、背中のあたりから何かがはみ出している感じをぬぐえぬまま火口縁をさすらっていると、うずまき色のとりとめのなさに男のオクターブを武家諸法度され、ハブシキユシにソフリエハフレされて、ヒシハシキゲツチ、!"#$%&'(|~=)が@≪;:≫,./で‘{+*}<>?‗&#(&”$%#る。


その後もなんやかんやがあった末に、男は命からがら元の町に戻ってくる。

一般的な意味合いで生きてふたたびこの地を踏めたのは、僥倖というもの。

男がありとあらゆる、というよりは、あらずとあらゆらないトラブルに見舞われているあいだに、巷では男がボスの娘を袖にして絶世の美女に浮気したという噂がまことしやかに出回っていて、男は悪い意味で注目の的。

這々の体で行きつけのバーのドアを開けば、フロアはしんと静まり返り、みんなの視線が砂鉄のようにぞろりと動く。

衆人環視のもと、男はグラス一杯の泡の粗いビールを喉に流しこむ。

その苦味とうま味が冷たくはじけながらのどを駆け降りるなか、男はひとつの事態に気づいて愕然とする。

その一杯が格別にうまい。

か、そうでないか。

その二択が、男の手にゆだねられている。

この記事が参加している募集

眠れない夜に

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?