見出し画像

雑録(留学について)

訪頂有難御座。

最近はまた留学なんて考えてる。英語圏は一度諦めて懲りたはずなのだが、今度はドイツ語で頑張るぞって感じで諦めが悪い。


そんな矢先プラトン著作「ソクラテスの弁明」篇に続く「クリトン」篇を読んだ。

内容はざっくり言えば、クリトンくんが牢獄に入ったソクラテスを助けにきて、

「逃げ出しましょう」

と言うクリトンくんに老人ソクラテスは言い訳をして牢獄に留まるっていう話。


その言い訳はというと、ソクラテスはギリシアのアテナイに生まれて、そこで暮らしてきた。貧乏だったけれど、この国にある風土や精神性に支えられてきた。だから今逃げだして他国で暮らすことは可能だが、それは私を育ててくれた国への裏切りであり、果たしてそれが「善く生きる」ことだと言えるだろうか、というもの。


これは留学を考える人にとって、一つの難題となって現れる。なぜなら、日本を捨てるようなことになりかねないからである。交換留学なら半年で帰ってくるのだから大丈夫、という意見は御尤も。

しかし、例えばドイツの大学院へ進学し、その後のキャリアもドイツで、となるとどうだろう。

育ててくれた国、日本を出て、ドイツのために働くことになったら。


それは日本への裏切りだろうか。


はたまた、実家を出て社会のために働くことは、両親への裏切りだろうか。



私は3日悩んでみた。ソクラテスが牢獄を出る理由をなんとか弁明できないだろうかと。


そもそも、私たちは両親や国に恩を感じるものである。しかし、その国を作り上げた歴史もあれば、両親を作った祖父母の存在もあることに気づく。自分の存在理由は、発散してゆく一方である。


日本も両親も、この宇宙の産物であり、私はそれらに依存した存在だと、いわば錯覚しているに過ぎない。


生活的支援や経済的支援はたしかに受けている。そしてそれには心から感謝している。この国に、親元に、生まれたことを今も有り難く思っている、それでいいような気がする。

逆に、愛なき支援ならこちらから願い下げであるし、ましてその支援によってこちらを拘束するような支援は本当に邪悪なものである。


私はそういうわけで他国へ行くことを肯定する。そばにいることだけが、愛ではない。
送り出してくれる優しさだってあるはず!! 


遠くまで旅する人たちに
あふれる幸せを祈るよ
僕らの住むこの世界には
太陽がいつも昇り 誰もみな
手を降っては しばし別れる
(ぼくらが旅に出る理由/小沢健二)




ただし、ソクラテスは裁判によって投獄された。
国が彼を閉じ込めた。彼は必死に国や国民の徳の配慮を促したが、それでも彼は投獄された。
私だって、裁判で決定されたなら、投獄されるのだと思う。親が親の仕事を継げ、というのなら、従うのだと思う。
だからこそ、そんな国でないことを、そんな親でないことを、切に願ってやまない。祈ってやまない。
もしもアテナイの国民が、ソクラテスのことを理解し、愛してあげていたら、きっとあんな悲劇は起こらなかったのだと、信じている。
   


なんだか真面目なこと書いちゃった。アワアワ
ドイツ語頑張っぞオオオオオ


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?