見出し画像

転機にあるわたしたちへ

気がづけばもう春ですね。

就職や進学や転職や出産など、「これから」の話をする機会が、この冬は不思議と何人かと重なった。大事な人たちであったので、真剣に応えたいと思いながら話したけれど、ひとり反省会が止まらない。

こと、人生の重要な局面において、求められていないのに、踏み込みすぎることは迷惑である。相手のことを凡そも分かっていないのに、足りない欠片を勝手に補完し語れば間違えそう。
つい、びびって、伝える言葉を控えてしまう。

しかし、自分自身の転機を振り返ると、他者の言葉に影響を受けたことがたしかにあった。背中を押されたこともあれば、新しい視点にハッとさせられたことも、進む速度を速めたり遅めたりしたこともあった。
そういう言葉は、親しい人や尊敬する人からもらうこともあったけれど、付き合いの深くはない方が、ごく少ない情報量から、足りない部分をきっと想像で補完して、伝えてくれた助言であったこともある。なにかを言ってあげる義理も関係性もない相手に対して、真剣に向き合い伝えてくださったこと、思い返すたびありがたい。

そう考えると、自分が言葉にしないことは、相手を尊重した相手のための態度のつもりでいて、「めんどくさいひとだなあ」と(自分が)思われたくない、誰かに悪影響を与え(る自分になり)たくない、というような、自己保身に過ぎないのでは、とも思えてきた。

なにが、どう転んで、どうなるかは分からないし、言葉を受け取る受け取らないも、どう消化するかも、私が決めることではなく、受け取った人が決めることだなあと思うので、ひとまず、読んでみるだけでいいものとして、文字にしてみることにしました。

感想はいらないし、読み飛ばしてくれていいものです。
これは言葉の恩送りであり、同時に、自分自身への叱咤でもありそうです。

前置きという名の予防線が長くなりました(こういうとこだぞじぶん…)。

転機について、そして転機にあるときに、大事にしていることについて書きます。現在進行形なので、変わっていくかもしれない。

転機はくるもの? つくるもの?

いわゆる「子ども」時代は、入学や進級、卒業といった学事年齢の変遷が一つの転機であった。新しいクラスに、見知った顔がいるのかいないのか毎年どきどきしたものです。外的要因に踊らされている。
留学や学生起業、中卒で大検をとる、学校に行かない、といった相対的にダイナミックな選択をした人は、直接の同級生には一人もおらずで、せいぜい、受験をするかしないか、どこに進学するか、程度の、語弊があるかもしれないがイージーな分岐ばかり私はみてきた。

就職をしてしまえば、思考停止でもいられる、終身雇用を前提とした企業であれば、基本的には安定して続く毎日に身を委ねていられる。
転機をつくるもつくらないも自分次第で、ゆらゆら過ごしている人もいるでしょう。自身が幸せなら、悪いことじゃない。

社会制度に即した分かりやすい転機もあれば、エイヤあと自分でつくる転機もある。外からの影響に対して、自分がどう反応するか、ということでもある。後から振り返って、あの時が転機だった、と気づくこともある。
受験や就職試験は、渦中にいれば胃がキリキリするけれど、引いてみればひとつの外的なタイミングに過ぎず、人生における重要な転機を必ずしも意味しない

「選択をしない」という選択もありうる。ピン!とこないならば波に流されておくというのも選択かもしれない。生きてさえいれば、転機は自分で起こすこともできるから、良い波がくるまで力を温存し、揺蕩っていてもいい。

今日が人生で一番若いし、10年後の今日も、10年後の今日が人生で一番若い。いつだって始められるので、焦って、今であたまをいっぱいにしすぎないでもいい。
焦らなくていいということは、「考えなくていい」「向き合わなくていい」と同義ではない。 考えるけれど、焦りすぎない。向き合った結果として、ひとまず寝かすのもあり。決めないことを決めるのもあり。
もちろん、割れない氷に突き当たるまで、ガリガリ砕氷していってもいい。
一概に言えない、転機とはそういうものだなあと思うのです、わたしは。

自分の心の声に耳を澄ます

転機において意思決定をするとき、社会の当たり前に、無自覚に囚われていることがある。

ありがちな例を挙げれば、例えば、成績はいい方がいい、という概念。
勉強が好きであるとか、一定の成績が要求される学部や資格を目指すのであればそのルールに乗ってもいいけれど、成績が幸せを決めるわけではぜんぜんない。

例えば、就職はした方がいい、できることなら大企業にしたほうがいい、という概念。
安定を求めるのならばそうかもしれないし、若手のうちから責任と権限をもって事業を推進したいのであればベンチャー企業の方がいいかもしれない。こういう安直な二項対立自体が的外れとも言えるし、そもそも就職しないという選択もあるかもしれない。

反対に、就職するなんて古い、好きなことを仕事にする方がいい、という概念。
三度の飯よりそれが好きならいいかもしれない、でも生活のゆとりや、社会常識や職能を身に着けたいのであれば、しばらくの間は組織で働いた方がいいかもしれない。パトロンを探してもいいかもしれない。

人間社会にはいろいろな概念があって、社会様から評価されやすい進路もあれば、仲間うちでの「当たり前」もあるし、なんとなくキラキラして見える行き先もある。
選びたいと思っているつもりの道が、自分の、本心からの金ピカと一致しているのか、どうか。(注:宇宙兄弟です。)

小山宙哉「宇宙兄弟」より引用


他者の評価や社会の評価を、自分の金ピカを探すときの混ぜものにしてはいけない。
わたし自身が、大切にしているものはなにか?大切にし続けていきたいものはなにか?
本当に本当に考え尽くしてみる。

私は高校生のときは、「法に縛られて守られているのに法を知らないのは気持ちがわるい」という理由で進学先に法学部を選んだ。就職活動では「自分が本当に価値あると思うものに携わりたい」と思っていた。会社を辞めるときは「官能的な企画がしたい」と言った。独立する際には、今と未来で大切にしたいことを書き連ねてみた。「ありがとうと言える人である」から、「新しい視点を提起すること」まで、数十個あった。
こうやって並べてみると、わりとしょうもないし、整理されていなくて分かりづらい。でも、そのときの私は、本気でそう思っていたなあと思う。
解像度が高まったり、抽象度が上がったり下がったりもしている。
常々変わり続ける、自分の気持ちと向き合い続けることをやめないこと。

自分の人生なんだから、自分の心に問うことは、なにより大事だと思う。

わたしの北極星はどんな星?

「レイチェルと滅びの呪文」という児童書がある。

その世界の魔法では、事物を鮮明に、具体的にイメージすることで、実体を生み出すことができる。
そのケーキは、ショートケーキ、モンブラン、それともチョコレートケーキ?トッピングは?食感は?味はどう?重さはどのくらいある?それはお皿に乗っている?
主人公のレイチェルは、イメージすることが飛び抜けて上手で、ゆえに強い魔法の力を持っている。

なにかを目指すときも一緒だよなあ、と思う。
漠然とした夢を、さわれるほどのリアリティで思い描いてみる
あるいは、具体的な言葉や数値に落とし込んでみる。

「お金持ちになりたい」だとして、それはいくらお金がある状態なのか?いつまでに実現したいのか?どのように得たお金でもいいのか?それはお金じゃなくて金塊ではだめなのか?

定量的に、定性的に、記述してみる。
目指す先である北極星を、できるだけ具体的に思い描くことができてはじめて、そこに至る道すじを考えることができる。
それは、自由で無責任な夢を、達成を目指す旗印として記述するということである。

意志とノリ

北極星を定める、という意志が大事なのと同じくらい、「いまこのとき、こっちに進んじゃおっかな」というノリと勢いみたいなものも助けになると思う。コントロールできないものもあるから。ノっていきたい🌊 適度に。

毎日が転機

向かいたい先が見えてきたら、どのようにしてそこへ行き着くかを考えてみる。北極星を手にとるために、10年で、3年で、1年で、1ヶ月でなにをするのか。今日はなにをするのか。
既に手にしている武器もあれば、足りない道具もあるでしょう。理想と現実のあいだの距離を冷静に捉えて、航行計画を立てる。1日1日、一歩一歩の積み重ねが全てで、それは毎日が転機になり得るということでもある。

真っ暗でも進むしかない。歩きながら、照らされていく。

就職後の目線からは、就職活動中に、会社や仕事についてどれだけ調べたり考えたりしたとしても、見える範囲には絶対に限界があったと言える。就職したことがないのだから、就職した後のことをどれだけ考えても、考えきれない部分が残る方が自然である。新しい事業や企画を起こすときも同じで、初めての試みを想定しきることには限界がある。
類似事例を調べたり、先駆者に相談したり、できる準備はすれど、実際にやってみることで得られる情報量には敵わない。
手元のあんどんは弱々しくて頼りない。それでも進んでいくことで、進みながら道は照らされていく。
見えづらくても進むこと、転んだとして怪我をしない程度を探ってみること、小さくはじめてみることはおすすめの手法です。

決めるとき・進むときのわたしなりの小さな知恵袋

なにものでもないわたし個人の考えに過ぎませんが、100人に1人の0.01のなにかの役にでも立てば本望です。この文章は全体的に、「そりゃそうだよな」という内容をこれみよがしに書いていてとても恥ずかしい。

○ 感情と論理、理性と直感、右脳と左脳
重要なテーマについて意思決定をするとき、論理的に考えきることは欠かせない。
同時に、直感を信じることを恐れない。
直感は理論より速い。分析的検討と情緒的感覚をいったりきたりしてみる。その違和感には理由がある。

○ 決めて、正解にする
ある時点では判断をしなければならない。「決めない」ということは、「決めないという選択」をし続けているということである。
決めない良さもあるが、決めないことで失われていくものもある。ロス側に天秤が傾ききる前に、決めて、違うなと思ったら変えればいい。

○努力、誠実さ、ひとへの感謝
人事を尽くして天命を待つということ。チャンスが来た時に飛び込める準備をし続けるということ。努力を惜しまないこと。
どんなに努力しても自分だけの力では得られないものはある。縁や機会や手助けをくれるのは他者。ひとへの感謝を持つこと。

○晒せる人を決める
弱音も愚痴も基本的にはなにも生まない。でも、ありのままの自分を生きるとき、弱い部分も含めて自分自身ではある。ダメダメな本心や本性もひっくるめて、未来を相談させてもらえるひとがいるといい。
と言いつつ私はとても苦手です。助けてほしい。

○自分は不完全であることを認める。唯一無二の個性も認める。
不足している力は計画的に身につけるか、どうしても苦手なものは手放す選択もあり得る。全部やろうとしないでもいい。
良い部分は適正に評価し自覚的に伸ばす。

○最悪の場合、を考える
リスクを負って挑戦する時には、自分はなにさえあれば生きていけるか、を考える。最悪の場合の生存方法は担保する。例えば失業保険があるよね、とか、失敗したら実家に帰ろうとか、今の貯金額なら何ヶ月は食いっぱぐれないなとか。
前職を退職する際、友人が「困ったらおむすびはいつでも差し入れてあげるよ。」と言ってくれたのを今でも私は心の支えにしています。ありがとう。

○楽天的であること
真っ暗を怖がっていても、真っ暗を楽しんでいても、同じ真っ暗だから、私は真っ暗も楽しみたい。

○自分が良い状態であるかを確認する
弱っているときに意思決定をするとろくなことがない。頑張っているふう、は無価値。
休むことも大事。ちゃんと休んで、腹を括る。
私の場合はひたすら本と漫画を読むか、湯船に浸かるか、散歩をするか、とことん非生産的なことをすると元気になりやすいです。自分なりのリセット方法を持っておくといいと思います。
ああ、すごくありがちなことを偉そうに書いてしまって恥ずかしい。

○自分は恵まれているということを忘れない
平和で安全な日本で、インターネットに接続することができる状態であるということは、俯瞰すれば当たり前のことではない。頑張らないとなあ、と思います。

幸せの形は人それぞれに違う

「な、なにを当然なことを… 。」というツッコミが聞こえる。
今まさに受験や就職活動に立ち向かっている方からしたら、「幸せとかどうでもいいから合格したいんだ」と言いたくなるかもしれない。新しい環境でやる気に満ち溢れている方にとっては、頑張る一択の心情に、水を差された気分になるかも。

それでも言いたい。

大きく稼いで、家賃や飲み会や趣味に気風よく使って、という世界線もあれば、お金は少しでいい、野菜を育てて、鶏を飼って、物々交換をして、という世界線もある。起業して社会課題を解決することに生きがいを見出す人もいれば、家族との時間をなにより大切にする人もいる。不安定でも自由に過ごす風来坊のような生き方もあれば、規律的に安定して生活する生き方もある。
ガリガリ働いて昇進してもいいし、定時退社して趣味に生きてもいい。
イタリアでパスタを食べて暮らしてもいいし、日本で米を食べて暮らしてもいい。イタリアで輸入した米を食べてもいい。

高い家賃を特段疑問も持たずに払っていた私は、住む場所を変えるだけで費用対住環境がこうまで向上したことにびっくりした。固定費を下げることはお金の流動性を高めてくれる。
北海道に来てエスニック料理不足にうめいているけれど、ただの野菜が衝撃の美味しさで幸せを感じている。仕事は大好きだけれど、子どもと生きてみたい気持ちとの良い塩梅を見つけきれずにいる。

多種多様な生き方がある。
「わたしはなにを幸せに感じるのか」ということに尽きる。

どういう生き方を選んでも、それは個々人のことであって、幸せに優劣はない。幸せは相対評価ではなく、絶対評価なんである。
自分なりの幸せを自分で定義し、1日1日のなかにそれをたしかめていけるひとは、強いよなあと思う。

自分にとっての幸せはどのような形を色を温度を大きさをしているのかを、せわしない中でも、たまにでも、外野や虚栄心やしがらみなどのノイズを遮断して、ふっと、自分と対話してみてもらえたらいいな。

私は幸せでいたいし、大切なあなたにも幸せでいてほしいと思うのです。

おまけ

新入社員になる方へ①

当時の課長の訓示が秀逸でした。
たしか10箇条あって秀逸と言いつつすぐに思い出せるのがこの3つというていたらくなのですが(きっと骨身に染み込みすぎて思い出せないだけ)、実家に大事に取ってあるので追って更新します。

  1. 鳥の眼と虫の眼をもつ

  2. 他責ではなく自責を旨とせよ

  3. ランチは外で食べる

新入社員になる方へ②

ぱっぱらぱーだった私は、入社時〜3年目くらいまでの間に、たくさん怒られたり失敗をさせてもらいました。その頃の反省メモの一部をさらします。

すごい恥ずかしいけど… 生々しい…恥ずかしい… なんでこれ晒すんだっけ….。

・全ての仕事には目的がある。
・想像力を持つ。
・主観と客観を切り分ける。
・とりあえず終わらせることにも意味がある。アウトプットする。
・謝るべきときは謝る。そうでない時の無駄な低姿勢は無駄。
・簡単に気軽に「はい」と言わない。「はい」と言ったことについては恐ろしいまでの執念でやりきる。あるいは確固たる意志でぼかす。
・言われる前にやる、やっておく。
・1回1回をおろそかにしない。
・馴れ合わない。
・気を抜かない。ちゃんとしていないよりちゃんとしすぎている方がよい。
・自分の責任範囲を明確にし、責任範囲のことは完全に当事者意識をもってやりきる。
・決めなきゃいけないタイミングがある。逆算してスケジュール管理し結論だす。
・「ひとを教える」ということは、そのひと以上にそのひとのことを分かるということであり、そのひとの分の仕事は少なくとも最初はそのひと以上に、全部自分で(も)やるということ。
・きっかけは自分でつくってはじめる。やりたいことがあるなら具体に落とし込んで意思決定者に自分で伝える。
・キャリア管理は大事。働くひととしての自分の価値は自分でつける、つくる。
・品質問題は即行動。
・継続することと正確であることは一つの圧倒的な価値。
・一生寝ない。
※2024年現在 注記:全体会議で睡魔に負けてコックリしていたら、先輩から、「先ほどの会議での前田さん」というタイトルの円グラフが送られてきて、会議時間中の30%程寝ている様が図示されていた、という出来事があった思い出。
・完璧を期することは大事。すべてに責任をもつつもりで仕事をする。あるいはどこまでは完全に責任をもったかを常に意識する。
・仕事はきちんとやらないと誰かが迷惑をこうむる。
・3年目。死ぬほど相手のことを考えるのは当たり前。
・キレない。(4年目)やる気を失わない.投げやりにならない.いつも前向きに最善案を考える。
・大人になろう。
・笑顔で元気に明るく楽しく周りをモチベートしながら働こう。(もうすぐ5年目)
・謙虚であろう。
・立場が違うマネジメントにはマネジメントとしての考え方がある。
・絶対にひとのせいにしない。

■ひと
・ひとには優しくする。
・優しくしよう。想像力をはたらかせよう。労を惜しまず相手のためにも働こう。
・優しさと、心遣いと、少しのユーモア。率直さと、明瞭さをもつ。
・もやもやされているところ、理解されていないところ、腹落ちされていないところはしつこく説明する。
・議論は言いたいことを言い放つことではない。相手が気にしているポイントを明確にし、その点を手厚くフォローする。話の持っていき方も大事。
・何度か持って帰ってもまとまらないときは、どういうトライアンドエラーを繰り返したのか振り返る。同じエラーを繰り返しても何も生まれない。

■会議
・打ち合わせはやればいいってものじゃない。ちゃんと意味があるか?必要があるか?目的に応じて設定する。
・言うべきことは言いづらくても言う。いいひとにならなくていい。
・事前Input(根回し)は意外に大事。
・とりあえず持ち帰らないようにする。
・会議での発言はコストでもある。

職域限定ですが、新人時代のメモ「企画」編と「プレゼン」編もあります。該当領域に関係する人で関心のある方はお声がけください。

具体的にキャリアに悩んでいる人へ

新入社員から起業家まで幅広くキャリア支援をされている、私も大変お世話になった方の書かれた書籍です。

スキルセットをどう戦略的に構築するか、という項が、特に中堅層のキャリア形成においては参考になると思います。
お近くの方にはお貸しできます。

参考までに、わたしの転機

私自身も、大きな転機にいます。
ここ2年心を砕いてきたbokashiの経営から離れるという決断をし、これからのことを3ヶ月かけてじっくり考えたり試してきました。
お世話になった方に、ご挨拶もしきれていないこと、お詫び申し上げます。
具体は変わっていくだろうけれど、ようやく、大きな方向性が言葉になってきたので、さわりを書きます。

仕事としては、企画・UXデザイン領域のクライアントワークを個人事業主として継続します。漠としたものを扱う企画をしていくという意味で、屋号をbak21gに改めました。屋号は一文字も覚えなくていいです…。

今一歩、森に近づきたい、森とともに生きていきたいという気持ちがおさえきれなってきました。森の美しさや清冽さが持続するために、なんとか、森にまつわる事業創出をできないか検討を進めています。
森で道に迷うように生きる、「みちまよい」というコンセプトを育ててみます。当面はこちらで発信と失敗の過程を公開していくとともに、個人のアカウントでは数年来集めに集めた樹皮コレクションを発表していきます。
森と、森を好きなひとたちと仲良くなりたい1年にします。

もうひとつの試みとして、TENTATIVEという実験場をつくりました。ともに関わっていきたい方々と一緒に、きままに真剣に、お金を主目的としない自主企画をやっていきます。「鶏中心主義的に考えた鶏舎設計」「思想と手遊びの痕跡をのこすテアト」、ほか、時々に大事だと思うテーマを、柔軟に扱っていく予定です。

おわりに、あなたへ

転機についてのこのドお節介文章は、恥をかいてでもお節介をしたい、愛すべき何人かの顔を明確に思い浮かべながら書きました。
相手を尊敬するが故に踏み込めないことも、わたしなんぞがなんの役にたつものか、という醜い卑下もあるものの。空振りに終わったとしても、あなたに向かってバットを振ってみたい、と思わせてくれた出会いに感謝しています。

誰しも、なにかのてまえ。
友人のくれた視座です。


転機にあるわたしたちが、勇気を持って、すこしでも良い選択と行動ができるように、心から願っています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?