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小説『あかりとりの夜』(2600文字)

 あまりに夜が明けないので、ついに私は姉に訴えてみることにした。

「あのね、ねえさま、夜が明けないみたい。もう二日か二年は夜だと思うのだけど」
「あら、電池が切れてるのかもね」

 姉はそう言って、私をぎゅっと抱きしめた。
 それから、私の頬に手を当てて言った。

「じゃあ、朝の電池を換えに行きましょう。コートを着なさい」

 私たちは手をつないで家を出た。
 姉と私が住んでいる町には、大きな駅があった。
 私たちの家からは歩いて二十分ほどの距離だった。
 駅前にあるその駅は、とても古くて、いつもたくさんの人が出入りしていた。
 でも、駅の構内に入ったことはなかった。
 なぜならそこは、夜になると真っ暗になるから。
 誰もいない夜の駅構内で、何か得体の知れないものがうごめいているらしいという噂を、私は聞いたことがあったのだ。
 姉の手を引いて、私たちは改札口を通り抜けた。
 そしてホームに出た。
 そこにも人は一人もいなかった。
 まるで時間が止まっているようだった。
 ふいに姉が言った。

「電車が来るわよ」

 姉の言葉通り、一両しかない小さな列車が線路の向こうから近づいてきた。
 列車はゆっくりと速度を落としながらホームに入り、ぴたりと停まった。
 姉が車両に乗り込んだので、私もそれに続いた。

「ねえさま、私たち、電池を持ってないよ」
「さっきキオスクで買ったから大丈夫。あとは換えに行くだけ」
「え? キオスクなんてあった?」
「あなたが知らないだけで、ちゃんとあるのよ。ほら、見て」

 姉が指差した先には、確かにキオスクがあった。
 それはまるで、最初からそこにあったかのように、堂々と存在していた。
 私はぼうっとしているほうだから、そういうこともあるんだろうと思った。
 そんなことを考えているうちに列車は走り出した。
 列車に乗っている時間は十五分くらいだったと思う。
 車内アナウンスはなかったし、窓の外を見ても何もなかった。
 ただ闇が広がっているだけだった。
 列車はゆっくりとスピードを上げて、暗闇の中へと消えていた。

「ねえさま、電車の中、誰もいないね」
「それはそうよ。だってここは、夜だもの」

 姉は当たり前のことのように言った。

「でも、どうして朝じゃないのかな」
「きっと夜にしか見えない景色があるからでしょう」
「ふうん……」

 それきり会話は途切れてしまった。
 私は黙って座席に座っていた。

「ねえさま」
「なあに」
「お腹空いた」
「もう少し我慢して」
「うん」

 再び沈黙が訪れた。
 何の音もしないし、匂いもなかった。
 外の世界では今頃、みんなが眠っている時間なのだということを忘れてしまいそうになるほど、静かだった。

「そろそろいいかしら」

 姉が立ち上がって、車両の後ろのドアに向かった。
 私もそれについて行った。
 二人で一緒に、車両の一番後ろまで移動した。
 そこにはなぜか、大きな箱が置いてあった。
 床に直接置かれていて、蓋が閉まっていた。

「これだよ、ねえさま」
「ええ、そうね。開けてみましょう」

 姉が鍵を差し込んで回したら、カチリという音が聞こえた。
 姉はそれを、躊躇なく開けた。中には小さな電球が入っていた。

「これを換えればいいのね」

 姉はその電球を取り出して、ポケットに入れた。
 電車がゆるやかに減速して、停車しようとしていることがわかった。

「もうすぐ着くわね」
「そうだね」

 電車が完全に停止すると、扉が開いた。
 外に出ると、そこは見知らぬ町だった。
 太陽はまだ昇っていなかったけれど、たくさんの人影が見えて、ざわめきが起こっていた。

「おはようございます」

 姉が声をかけると、みんな一斉にこちらを見た。
 そして驚いたような顔をしたあと、すぐに笑顔になった。

「おはよう、元気かい?」
「はい」
「今日もかわいいね」
「ありがとうございます」

 姉はいつもと同じように答えていた。

「そちらのお嬢さんは誰だい? 初めて見る顔だけど」
「この子は私の妹の……えーと、名前なんだっけ」
「ねえさまの妹です」
「よくできた妹でしょう? 私は役目を果たしに来たの。電池を換えに来たのよ。あと電球もね。どこに行ったらいいかしら?」
「ああ、それならこっちだ。ついてきて」
「はあい」

 私たちは手を繋いで歩いた。

「あの人たちはだれ? どうしてこんな時間に起きてるのかな」
「この町に住んでいる人たちだと思うわ」
「ふうん」

 私はきょろきょろしながら歩いていた。道端に生えている草花がとてもきれいだった。

「ねえさま、あれは何の花だろう」
「どれ?」
「あそこに咲いている青いの」
「ううん、私には見えないわ。でも、きっと綺麗なんでしょうね」
「うん!」

 私は嬉しくなって姉の手を引っ張った。

「ねえさま、早く行こう! はやく交換しようよ」
「そうね、行きましょうか」

 私たちはどんどん進んでいった。
 やがて大きな建物の前に出た。
 建物の中に入ると、ずらりと長い机が並んでいて、その上にたくさんの電池が置かれていたけれど、どれも古ぼけていた。

「ここでいいのかな」
「きっとそうなんでしょう」
「ねえさま、どうするの?」
「電球と電池を交換するのよ」

 姉はポケットから電球を取り出した。そして、電球のソケットを探すと、そこに差し込んだ。
 それから、手に持っていた電池を、古い電池と新しい電池とを入れ替えた。

「これでよし、と」
「ねえさま、次は何をすればいいの?」
「あとは帰るだけよ」
「じゃあ、帰ろうよ」
「ええ」

 建物を出た私たちを、さっきの人々が拍手で迎えた。明るいところで見る人々の顔は溶け始めていて、時間がもうあまりないのだと私は思った。

「さすが、仕事が早いな」
「さすがはお姉ちゃんだな」

 人々は口々に言った。

「あなたたちのおかげで、今夜も安心して眠れるよ」
「本当に助かるわ」
「さあさあ、お礼にお菓子をあげるよ」

 人々が私に菓子を手渡そうとした時、私は質問してみることにした。

「あなたたちはどうして、そんなに体がどろどろなの?」

 私が言うと、姉がくすっと笑った。

「そういうあなただって」

 姉は私の頬に手を当てて言った。

「ほら、あなたにも」

 姉に言われて、私は自分の手を見下ろした。そこには茶色い粉がたくさんくっついていた。私はびっくりして、両手で何度も顔を擦った。そのたびに指先がざらついた。
 ふと見上げた空は、すっかり朝になっていた。
 夜だった世界は消え去って、今は明るく晴れ渡っていた。

〈了〉

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