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小林秀雄初期文芸論集より / 小林秀雄 / タイピング日記054

卓れた芸術は、常に或る人のまなざしが心を貫くが如き現実性を持っているのだ。人間を現実への情熱に導かないあらゆる表象の建築は便覧(マニュアル)に過ぎない。人は便覧をもって右に曲がれば街へ出ると教える事は出来る。しかし、坐った人間を立たせる事は出来ない。人は便覧によって動きはしない、事件によって動かされるのだ。強力な観念学は事件である、強力な芸術もまた事件である。かかる時、「プロレタリア運動のために芸術を利用せよ」と社会運動家たちが、その運動の為に芸術という事件を利用せんとするのは悧巧である。彼らは芸術家に「プロレタリア社会実現の目的意識を持て」と命令する。何らかの意味で宗教を持たぬ人間がないように、芸術家で目的意識を持たぬものはないのである。目的がなければ生活の展開を規定するものがない。しかし、目的を目指して進んでも目的は生活の把握であるから、目的は生活に帰って来る。芸術家にとって目的意識とは、彼の創造の理論に外ならない。創造の理論とは彼の宿命の理論以外の何物でもない。そして、芸術家らが各自各様の宿命の理論に忠実である事を如何ともし難いのである。この外にもし目的意識なるものがあるとすれば、毒にも薬にもならぬものである。毒にも薬にもならぬものを、吾々は亡霊とさえ呼ぶ労はいらない。

-小林秀雄-

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