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小林秀雄 | 学生との対話(新潮文庫)[#読書感想文]

 とくに『好き!』とは言えないけれど、気になってしまう人物がいる。私にとっては、小林秀雄がそれに当てはまる。
 高校時代の現代文の教科書に「読書について」というエッセイが掲載されているのを読んだのが、たぶん小林秀雄とのはじめての邂逅だったと記憶している。

 小林秀雄というと、「諸君」とか「~したまえ」という、今で言うところの「上から目線」の語り口なので、「好きだ!」とは言いたくない。また、断定的にモノを言っているようで嫌だ。
 しかし、小林秀雄の文庫本を書店で見かけると、ついつい手を伸ばしたくなる。やっぱり、なぜか気になる人物なのだ。

小林秀雄
「学生との対話」
新潮文庫

 この前、本棚を整理していたとき、「学生との対話」の表紙を見た。いかにも小林秀雄という顔をしている。発行年を確認したら、平成29年になっていた。
 
 「学生との対話」と出会ったのは、もっと前のことだった。図書館に小林秀雄の肉声を録音したCDがあって、それを聞いたことがある。
 思ったより甲高い声の人物である。文章で読むのとは、印象は異なる。
 
 もともとが教科書や現代文の試験で出題されることが多かった人物だから、「難しい」「分かりにくい」という印象をもっていたが、学生の質問に熱心に答えようとする小林秀雄は、かなり紳士的に思えた。

 なにか見ながら話しているわけではなく、そのときに即興で語りかけるような講演だった。そして、文字おこしをしたものが、ほぼ、そのままの形で「本」として成立するのは、やっぱりさすがだな、と思う。

 久しぶりに「学生との対話」を開いた。自分でも忘れていたが、かなり「棒線」がひいてあった。それなりに熱心に本を読んだようである。
 私が「棒線」を引いた箇所を少し引用してみる。
⚠️ページはすべて、前掲書のものです。

敏感で利口な人には、人生がやさしかったことなど一度もありません。(p96)


やさしいことはすぐにつまらなくなります。(p97)


孔子が「憤せざれば啓せず」と言ったように、あなた自身が憤することが大切だ。理想というものは、人から教わるものではない。(p97)


歴史は常に主観的です。主観的でなければ、客観的にならないのです。(p110)


~死ぬ前ぐらいは本当のことを言うべきだ、ところが辞世とかいって歌を詠んでも、みんな悟りがましきことを言って死ぬ(p113)


批評というのは、僕の経験では、創作につながります。(中略)悪口というものは、決して創作につながらない。人を褒めることは、必ず創作につながります。褒めることも批評でしょう?(p120)


自分で自分を表そうとしているから、気が違ってくるんです。よく観察してごらんなさい。自己を主張しようとしている人間は、みんな狂的ですよ。そういう人は、自己の主張するものがどこか傷つけられると、人を傷つけます。(p121)


物を本当に知るのは科学ではない、物の法則を知るのが科学です。(p122)


僕らの認識は僕らの生活を決して便利にはしてくれません。だけど、僕らの生活を生活しがいのあるものにするのは、認識です。僕らの生活は、僕らの認識によって、喧嘩にもなるし愛にもなる。認識とは、非常に面倒なものです。その面倒なところに人生があるのです。そこの値打ちを知らないといけない。(p124)


ほかにも、たくさん線がひいてありました。やっぱり、私は、小林秀雄が好きなのかもしれません。
「好きです」と素直に言えないのは、きっとどこか嫉妬しているんだと思います☺️。
「学生との対話」は、主に「講演録」なので、質疑応答もあり、普通の小林秀雄の評論よりは格段に分かりやすいのでオススメです。
小林秀雄に限らず、本を読む代わりに、図書館でCDを借りて「聞く読書」もいいと思います😃💕。夏目漱石、太宰治、樋口一葉、芥川龍之介、ドストエフスキー(日本語訳)などもあります。


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