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「竜胆〜」Vol.10【祇園の夏、Ver.2】

プロの作家に文章指南を受けている。

前回までの流れは下記(少女編は、ボツ作)

今回の、収穫、読者にわかりやすいようにかく。

「お前の文章なんか、10年早えんだよ!」プロの先生に大目玉を食らった。

熟練のプロ作家は、ぼくの素人の前回のテキスト「竜胆〜」Vol.8【祇園の夏、編】の読者に伝わっていない部分を、テクニカルな側面から指摘した。

わかりやすくいいかえる。

先生は、プロの編集者の立場になって、ぼくをプロの作家に見立て、もっと読者に伝わるように指摘した。

プロの編集者だったらこうすることをぼくにやったわけだ。

先生は、ぼくの作品性にはなにひとつ意見もなく、テーマやモチーフにも言及はなかった(ベールの放置、登場した道具の文脈回収や、マクガフィンの道具としての説明不足は指摘したが)。

それを、ぼくは大きく勘違いをしてしまっていた。

ぼくは、なんだかじぶんの作品を否定されているようで、じぶん(にあると決め込んでいる)その作家性を否定されているようで、じぶんの表現を否定されているようで、さらにはじぶんの人格を否定されているようで、反論したのである。

「プライドが高い」


田舎の文学青年(お山の大将)によくあるパターンだという。

クールダウンをして、最後はいつも通りに楽しく受講ができたが。

今回のぼくにとっての最も有用な収穫は以下だった。

❶まず、「じぶんの小説には価値がない」それを自覚する。

筆者に読者がいるという意識が足りない。

❷読者に読んでいただいているという意識がまったくない。

(筆者の傲慢、プライドが高い)

ヘミングウェイ、フォークナー、ガルシア=マルケス、芥川龍之介、夏目漱石、三島由紀夫、大江健三郎、村上春樹、よしもとばなな、石田衣良、さらにいま売れっ子であるすべての流行作家も、じぶんの作品を「すごい、おれの作品、文章てすごいだろ」とは微塵もおもってはいない。

「おれの文章ってすごいだろ小説」=「素人文章」


今回、ぼくが得た最大の収穫は、

じぶん(筆者)と、じぶんの作品テキストを分離する。

作品は筆者から離れたら、読者のもの。

作品は筆者のものではない。


至極、簡単な道理である。

よし、ひとつ成長したぜ。

ということで。

前回の、指摘は大まかにふたつだけだった。

⑴、小さなマクガフィン「手紙」をもっと具体的に読者に提示してみよう!

⑵、「男」と「女」が交わった痕跡(回想でもなんでも)をもっと読者にわかりやすく描写(提示)すること。

ですから、今回は大幅改変はありません。

サクサクといきます。

「竜胆〜」Vol.10【祇園の夏、Ver.2】

例1)もう夏だった。蝉の音がうるさい。
蝉の声は、地中からいっせいに湧き出したのだ。違いない。
それほどに蝉の音は耳障りに感じた。

(文)プロ

例2)蝉がうるさい。目覚めたら夏がきていた。

(文)蒼ヰ瀬名

例3)目覚めた。蝉だ。夏がきていた。

(文)蒼ヰ瀬名

こうかな、ああかな、こう書いたら文学的かな。
で、書き出しで格好いい書き方を悩んで時間をとられる。

小説は、書き出しだと言われて、書き出しに数時間うんうんうなるのは、初心者のうちはナンセンス。

書くべきテーマにこそ、小説の神髄があるのであって、書き出しの技巧がどれぼど斬新奇抜であったとしても、その後に続く物語がつまらないものであったら、読者は読んでくれない。

高い太陽の陽が、アスファルトに照って、陽炎があがる。焼けた路地のうえで昨日の雨で湧いたミミズがひからびている。

きゃっ、路地で打ち水をする女は、ガイドブックを片手にあるく若いふたりのおんなに会釈をする。若いふたりは、黄色いのれんを一瞥し、たちどまらずにとおりすぎた。打ち水を終えた女は腰に手をあてからだをのばす。陽の傾きぐあいをたしかめるように手で額に日陰をつくって夏の青い空をみあげた。雲ひとつない。ドアに桶を立てかけて女はしゃがんだ。のれんの横にあるメダカがはいった甕をのぞきこむ。水面のじぶんがゆらゆらする。女は肩をすぼめた。
ゆらゆらとじぶんの顔がうつる甕のふちに、手をかけた女はそのまま顔をあげた。路地をくだった南の竹林に、ふるい木造のアパートがあった。そこに、きのう祇園祭であった男のへやがみえる。一重の目をほそめ女は、窓がはんぶんあいた二階の男のへやをみた。
人影は確認できなかったが女は二階の、傾いてでっぱった男のかどべやに、小さく手をふってみた。

古都の北にある禅寺からすぐの路地裏に、時間になると常連客でにぎわう女の店があった。

男は首を引っこめた。部屋の窓から、甕を覗きこんでいる女を眺めていたらいきなり手をふってきた。女に手を振りかえそうとしたじぶんの手を男はじっとみつめた。男は笑った。

夜どおし女と交わって男は疲れて果てていた。昨日から女と交わったままの、全裸の姿の男は背中をたおして布団に仰向けになった。ぼんやりと天井のしみをみつめた。

昨日の夜、祇園祭でたまたま出会ったふたりは知らぬまにくっつきそのままそういう関係になった。

昨日はあの女とどこであったか。男はおもいだせなかった。おかしくて男は笑った。

畳と、布団の角が黒茶いろに汚れていた。女の月の血だった。男は部屋にかけ布団がないことに気がついた。昨晩は交わりすぎた。全身が砕けるようにいたむ。女と深くながく交わりすぎて、尻の割れ目のうえの骨につながる女と一晩じゅう繋がった根っこがまだ痺れている。尾骨が、割れるようにいたんだ。

男は腕時計をみる。三時を回っていた。服を着て部屋をでた。

男がアパートの階段を降りると、郵便受けに、封のない手紙が入っていた。女のまる文字だった。男は読まずにポケットにねじ込んだ。それから外便所で小便をし、手は洗わずにズボンで拭いた。

路地へむけて歩きだすとすぐに軽くうすいプラスティック容器でも踏んだような感覚があって男はシューズをあげる。陽にあたらぬ緑の湿った土いちめんに蝉の抜け殻ばかりがまかれてあった。

黒い艶のある小犬がしっぽをふって近づいてきた。男は、力のかぎり便所へと蹴りあげた。黒い小犬は、便器のパイプにはげしく腹をぶつけ、白い泡を吹いてぐったりした。首輪がついていた。

路地にでるアパートの塀と電柱におなじ貼り紙があった。男は路地に顔をだして周りをみる、するとそこらじゅうに迷い犬の貼り紙があった。男は一歩さがって便所をみた。

男は携帯をだして電柱の貼り紙に電話をした。

五分もたたないうちに小さな女の子を連れた母親がやってきた。親子は男にふかぶかと頭をさげた。

男はしゃがんで少女の目線になって抱いていた艶のある黒い小犬をだいじそうに返した。男が小犬の腹をさすると小犬がキャン、と吠えた。心配そうな顔をする親子に男は指でちかくの動物病院を教えてやった。母親はことわる男を無視してポケットに札を一枚ねじこんだ。親子は黒い小犬を抱いて去っていった。電柱の貼り紙に唾を吐いた。男はアパートの塀にもたれかかりポケットから札と手紙をとりだした。札はポケットにねじこんだ。男は手紙をよんだ。こうかいてあった。

「昨夜は(朝までかな。笑)、とても楽しかったです。よる、あなたのへやの窓からランタンがみえた店、それが私の店です。布団を汚してしまいました。ごちそうします。一度、お立ち寄りください。まどか。」

男は路地にでた。

夏の熱さが、肌にねばついた。古都の盆地のねばり気だった。夏休みがはじまったばかりの子どもらが水が干あがった路地ではしゃいでいた。門の前でベビーカーを片手にビニールプールを膨らませている父親がいた。ふたりの子どもがありえない勢いの水鉄砲で撃ち合いをしていた。ほかの子らは水ふうせんを投げあっていた。後ろから、あっ、と声がきこえた。男は山を描いて飛んできた水ふうせんを、柔軟にひざを使って、力を吸収するようにうまくキャッチした。それから男はあごで空をさした。子どもらはポカンとしていた。男は水ふうせんを頭に乗せた。子どもはまた首をかしげた。男は空を指さし、子どもらがみあげている青い空にむかって思いきり水ふうせんをほうり投げた。五、六人のなかのひとりが、男の意味がわかったといったように目を輝かせ、水ふうせんの着地点を目指して上空をみ、あんぐりと口をひらきながらふらふらと、路地をさまよう。水ふうせんは空をどこまでもあがっていった。一番高いところでとどまって、やぶれそうなほどうすい膜のなかに太陽をつつみこんだ。それからゆっくりと下降をはじめた。ふらふらと着地点で待ちかまえている子どもの頭のうえで、水ふうせんはいきおいよく、べちゃっ、と弾けた。とくに男の子らは目を輝かせて、ぼくにも投げてと男のところに集まってきた。これはもっと面白いぞ。そういって男はピッチャーのように振りかぶって中腰でまちかまえる脳天めがけて水ふうせんを手加減なしで容赦なくなげつけた。ベチャ。みんな腹をかかえて笑った。男は路地に唾を吐いてまた手紙の主の女の店へとあるきはじめた。

男の背中にするどい痛みがはしった。背中がぬれた。男が振りむくと男に水ふうせんをぶつけた子どもらが走って逃げていった。背中をぬらした水がひんやりした女の愛液のようになって男の股をぬらした。下腹部が隆起した。男は昨晩の交わりをおもいだす。いまごろアザになっているかもしれない。

ポツ、ポツ、と雨がふってきた。さっきまで雲ひとつない空がくらくなりはじめた。

黒い雨雲で空が覆われた。夜のようにくらくなった。

ベルのついたドア横にある、夜の営業でつくはずの銅製のランタンの灯がついていた。この店だ。男はポケットに手紙を仕舞った。

ドア前からでも店のガラス越しに、カフェの主人がずいぶんと板についてきたエプロンを腰に巻きつけた女が、狭いカウンターのなかで食器を洗っている姿がみえた。

昨日、祇園祭であった女に違いなかった。ドアの横から蛇腹のダクトがつきだしていた。コーヒーを煎った薫り漏れてきた。男はのれんをくぐってドアを押した。

カラン。ベルが鳴った。レジの横に業務用の焙煎機があった。

レジを抜けると、カウンターの止まり木が四席だけの小さな店だった。

満席だった。女は顔をあげた。

男が帰ろうとすると、一番奥の、洒落た京友禅をきた老人が、傘がないしいま帰りますからどうぞといって男に席をゆずった。

男は礼をいって奥の席に黙って座った。ピアノのジャズが流れていた。

五分も経たぬうちにほかの三人の客もかえっていった。

女の店の作りは、路地に面した壁側に、ガラスがいちめんに貼られた洒落た店だった。

女の店の前に、男に水ふうせんをぶつけた子どもが集まってきて店のなかにいる男と女を囃したてた。女は男にメニューを渡すと、

おれはここに飲みにきたんじゃないというふうに、勢いよくメニューを閉じた。

元の文)一番大きなカップの写った写真を指さした。
(文)蒼ヰ瀬名

例2)「何でも良い」と答えた。
(文)プロ

例3)メニューの真ん中を、ぶっきらぼうに指さした。
(文)プロ

女はコーヒーを淹れた。女はなにか好きな音楽はあるかと男に聞いた。男は笑った。

男はカウンターのうえに郵便受けに入っていた手紙を広げ、これはどういう意味だ。と訊いた。

+描写と読者の理解+

元文)女はかけ布団が血で汚れたから洗いたかっただけだといった。

+描写と読者の理解+

前の、男が手紙を読む「加筆」で処理をしたので、ここで再度どういう文脈回収をしていいか、わからない。前記の「加筆」で文脈が変わり、それにともないここでの女の吐くセリフが変わる。もしするとすれば、

「女」が「男」をなにも気がつかない天然女キャラ(あるいは知らないふり)になるのではないか?

ついでに男と女の交わりの描写(昨晩のアリバイ)を回収。

例1)女は三和土に忍ばせておいた布団を抱えてみせた。布団の角にくろく茶色い女の血がついていた。男は女の腕につよくかまれた痕をみた。女じしんの歯型だった。

(文)蒼ヰ瀬名

例2)女は手紙のとおりよ。と笑ってみせた。笑った女の右頬に青アザがあった。男も笑った。

(文)蒼ヰ瀬名

例3)女は唾を嚥下させ黙った。女の鎖骨がアザで青かった。男のじぶんの拳がじんと痛んだ。

(文)蒼ヰ瀬名

ガラスの前に子どもがまたやってきた。水ふうせんをガラスに向かって投げ始めた。水ふうせんのなかに赤や青や黄や茶色の液体が入れてあって店のガラスがペンキを混ぜたようなドロドロした液体で汚れた。男は鼻を鳴らして笑った。外で何かが破裂する音がした。女は店をでた。子どもたちが逃げていった。メダカの甕が割れて、雨にぬれたアスファルトのうえで藻に絡まっオレンジのメダカがぴちゃぴちゃしていた。手ですくった数匹のメダカを女はコーヒーカップに移した。

メダカ。そのままじゃ死んじまうな。男はケラケラと笑った。女は顔をひきつらせ笑った。赤や青や黄色や茶色で汚れた液体にまみれたガラスの向こうに黒い犬を抱えた親子がとおった。男はメダカの入ったカップを持って外へでた。カウンターのなかで女はドロドロした色の液体で汚れたガラスの隙間から、路地でしゃがんだ男が女の子に話しかけている姿を見つめた。昨日会った男の優しい笑みだった。男はメダカの入ったコーヒーカップを少女に渡し、母親に頭をさげた。母親がまた一枚の札を男のポケットにねじこもうとしたが男は拒んだ。

男はペンかなにかないかと女にいった。女はレジからボールペンをもってきて男にわたした。

男は、女がかいた手紙の裏に、男が今日やったことの一部始終をすべてかいた。

男は金も払わずに、店をでていった。

女は、男の手紙を読んだ。

最後に、また抱きたい。とかいてあった。


2022/01/08/Sat_03:59_Vol.10


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