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モテたくてした愚行

中学2年の時、メガネで登校したことがある。

今はガチメガネだが、当時は視力2.0。つまり伊達メガネである。ダイソーで買ったおもちゃみたいなメガネ。

モテたい欲が暴走したのだ。

多分「メガネしたらかっこいいな」って思ったのだろう。ドラマの再放送かなんかで風呂上がりのノーセットメガネシーンを見たのかもしれない。普段は前髪を上げてコンタクトレンズなのに風呂上がりの、その、無防備な姿とギャップ。これはなかなかありだと。

浅はかな思考、動機、そしてすぐに影響を受ける思春期男子だった。

モテ欲は時に人を暴走させるし、大人になって振り返って「なんであんなことしたんだろうか」と羞恥心に悶え苦しむのが人の常である。黒歴史は時限爆弾でもあり、同窓会は強制爆弾処理会である。

中学生くらいからだろうか、モテの対象はイケメンになる。よく聞く話だが、小学校は足が早くておちゃらけていればモテるが、中学になるとルックスが重要視される。高校生になるとそこに「どんな部活か」「スマートにエスコートできるか」が加わる。そういう意味ではイケメンなだけでもモテる中学はゆるいのだ。「イケメンなだけでもいい」とか偉そうに語る僕はイケメンには程遠いジャガイモである。

どんなに謙虚で、あるいは自分に無関心でも、周囲の反応や扱いである程度「ああ俺はかっこいい顔なのか」「私は可愛いんだな」と自覚するものである(多分)。その逆も当然あって、僕は足が早くてモテた小学生だったが中学に入った途端女子が離れていき「あ、俺はここで脱落ですか」と悲しみに暮れた。

とはいえ、モテたい。モテたい。モテたい。チヤホヤされたいし、「あおくんってなんかいいよね」って放課後の教室で女子会のネタにされたい。修学旅行の恋バナに登場したい。付き合うとかそういうのはいいから「かっこいい」と言われたいし思われたい。モテたくてモテたくて仕方がない。

「しかしジャガイモはパプリカになれないしなあ」
(パプリカってなんかおしゃれだからイケメン野菜とする)

せめて「訳あり格安ジャガイモ」からメークインくらいになりたいものである。(書いてて意味不明)そしてその打開策がメガネをかけてイメチェンだったのだ。

隣のクラスに松倉くんという小学校の同級生がいた。とてもおとなしくて、勉強は普通、50mは11秒(自分の得意分野の記録はクラス全員分覚えている奴だった)で、人前でなんかやるタイプでもなかったし、女子と一緒にいるところを見たことがなかったし、女子と話すとオドオドしていた。女子とおしゃべりしてて彼の名前が出たことはなかったし、モテなかったのだろう。(何様)

ところがどっこい、中学に入ると女子がザワつきだしたのだ。松倉くんはいわゆる「隠れイケメン」で、少女漫画にありがちな「重たい前髪あげたら美顔でした」男子なのだ。重く長い前髪、黒縁の分厚いメガネの彼の顔は覗き込むか体育で髪が揺れる時しか拝むことができなかった。

イケイケチャラチャラパーティーピーポーなLDH系イケメンバスケットプレイヤー木村くんとは対極に位置するタイプで、案外そっちの方がコアなファンがつくものなのだ。なぜなら木村くんのようなタイプにはカーストトップのゆるふわ柑橘香水猫撫で声系マスコット美女がベッタリなのだから。(呼称に悪意があると感じるのは気のせいである)

さて、僕はつい最近じゃがいもを自覚した傷心の身である。立ち回りを変えねばならない。イケメンではないことは知った。残念ながらアイドルにはなれない。悲しかったが、無限に広がる将来の選択肢が幾分か絞れたと思えばじゃがいもに感謝である。アイドルは松倉くんや木村の野郎に任せておこう。

とはいえ、なんとかしてモテたい。
そこでメガネの登場だった。わんちゃんいける。

・・・

無理だった。

寄ってきたのは同じジャガイモの小池で「あお、視力落ちたの?」と休み時間に聞いてきただけで「いや、うーん、まあ、そんなとこ」と恥ずかしさで曖昧に返した。小池はなにか言おうとしたが口をつぐんだ。多分、小池も察したのだろう。同じジャガイモ。言葉がなくても通ずるものがある。

儚く散ったモテへの夢。時間が経つほど広がる傷口、モテる気配がしない現在。来世はイケメン弁護士か隠れイケメン小説家になりたいものである。


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