クソ作品ってか。(エッセイ)
昨日、私を担当してくれている美容師と映画の話で盛り上がった。
同い年で、昔からの同級生のような気持ちで話せる彼と、ざっくばらんに話に花を咲かせすぎて、思いの外時間がかかり、次の予定に食い込んで昼食を逃した。だけどとても楽しかった。
彼は映画やドラマに「納得のいく結論」を求めるタイプ。
一方私は、ふわっと終わる話、何が言いたいのか考えさせられる話、さっぱり意味不明だけど、映像や音に感じるものがある作品であれば満足できるタイプ。
この決定的な感覚の違いに関して、互いに大笑いしながら話した。
話し、笑いながら、「やっぱこれよね」と思う。
互いの「違い」は、笑いながら話せるくらいがいい。
文字や長い文章にすると、堅苦しくなったり、なんだか批判的に見えたりする。温度が伝わりにくいから。
作品(小説)に「伏線回収」を執拗に求めて、出来ていなければ好みじゃないという、その主張は受け入れる。だけどそれを「意味不明だからクソ作品だ」「読む価値がない」というやり取りを公の場でするのはイミワカリマセン。
「そんな輩には読んでもらわなくて結構、結構、コケコッコー」
ほら、文字にするとこのくらいふざけないと喧嘩腰かと思われる。
対面で棘がなくても、心の中で作品を「クソ」とか言わないで。
それ、私の好きな作品だから。
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