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短編小説 | 腕 #シロクマ文芸部

新しい腕が生えてきた。願ってもないことだ。いや、本当はその発想がなかったといえば嘘になる。何度も誰かの手を借りたいと思っていたのだから、心の底で望んでいたことなのかもしれない。

三本目の腕は鳩尾の少し上あたりから生えてきた。
そこがベストポジションかと問われるとなんとも言えないが、バランスを考えれば言えなくもない。

双子を生んでからというもの、猫の手も借りたいくらいの日々を過ごしている。そこに大人の、しかも自分の手が一本加わったのだ。いくら夫の協力を得られる場面があったとしても、自分の手に勝るものはない。夫では役不足と切り捨てる訳では無いが、私のフォローをする私の手があるなんて、こんなに心強いものはない。しかもこの三本目、私の他の腕よりも少々太く、とても頼りになる。

二本の腕は双子のそれぞれを抱っこしたり、手を繋いだりして大忙し。残った一本の逞しい腕は、補助的な役割をする。力が強いので、肩周りのマッサージも得意だ。

ただ、三本目の腕の出現をよく思わない者もいた。夫だ。
夫は主に、ようやく再開した夜の夫婦生活の場面で不満を漏らした。
「いかつい腕が邪魔だ。まるでこの空間に俺以外の男がいるみたいだ」
そんなふうに私の腕に嫉妬する夫が愛おしくて、私は夫の顔を三本目の腕の手のひらで優しく撫でた。
「そんな事言わないで。自分の腕だと思えばいいじゃない。貴方が働きに出ているあいだも、私のことを助けてくれる、貴方の腕」

夫はこの発想をとても気に入った。私の鳩尾から生えて、私の指示で動く腕を、まるで自分の玩具のように扱うようになった。

「動け、俺の腕。妻を気持ちよくさせてやれ」

ベッドの上に横たわる私。その私を、三本目の腕が繊細な動きで撫でていく。私の敏感な部分をどこまでも熟知した腕によって、私は声もなく果てる。そんな私を、今度は自ら襲う夫。
夫に甘く、一度許してしまってから、夫はこのルーティンでないと満足出来なくなった。

そんなことが一ヶ月、二ヶ月と続き、私は夫に対して嫌悪感を持ち始めた。寝る間も惜しんで家事や育児をし、夜は夫の思うがまま。私は一体、なんのために生きているのか。

ある晩、恒例となったルーティンを早く見せろとせがむ夫にこう言った。
「もっと近くで見て。私の表情もちゃんと見てよ」
好奇心旺盛な夫は、直ぐに私に近寄ってきた。私の腰のあたりに膝をつき、真上から私を凝視している。
そうして夫が見ている前で、私の三本目の腕が、私の首元を怪しく撫で、耳を触り髪を掻き分け、いかにも乱れた様子を演出する。
夫が唾を飲み込んだ。どうやら興奮している。

三本目の腕はだんだんと私の顔に近づいてきた。初めは顔を撫でるようにしていた大きな手のひらは、私の顔全体を包みこんだ。そして、私の鼻も口も塞いでしまった。

「あぁあああああ!!!」
私は力の限り叫んだ。男のような腕は私の顔面を掴んで離さない。夫が私に馬乗りになった。

「やめろ!!!離せ!!!!」

夫が必死に腕にしがみつき、噛み付いた。私は再び悲鳴をあげた。噛み付かれた痛みで私の顔から離れた三本目の腕が、今度は夫の顔面を襲った。ものすごい力で夫から呼吸を奪っていく。
さらには、横から二本の腕が夫の首を締め上げていった。夫の、男としてはまあまあの太さのある腕が、必死に三本の腕をはがそうともがいていた。

数分の出来事だった。私の華奢な二本の腕が小刻みに揺れて離れた。夫の頭を掴んでいた三本目の腕は、ぞんざいに夫を放った。
荒い呼吸がいつまでも続く私とは対照的に、静かな闇に溶け込んで消えてしまった夫の呼吸はもう二度と、荒くもか細くもならない。

夫のその後の処理も見事にこなした三本目の腕は、ますます私たちを幸せにした。
しかし、腕は何本あったっていいのだ。
夫の四十九日が過ぎた頃、私は背中に二本の腕の存在を確認した。私とお揃いの指輪をはめたその腕は、懐かしいあの人。

夫の腕は、少し大きくなった我が子を、嬉しそうに順に抱きしめた。
私たちは、また、共に暮らせるのだ。



[完]


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