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友達が「ゴジラ マイナスワン」観たんだって超嬉しい

すでにゴジラ-1.0に関する記事を2本も書いているのに3本目とは恐れ入る。(ゴジラ-1.0に)

仲のいい友人に限って好きなコンテンツが全く被らないでお馴染みの私だが、「ゴジラ-1.0」を4回も映画館に観に行き、聞かれもしないのに「映画館で観て」と勧めて回ったおかげでさすがの友人たちも「いつもと違う」「様子がおかしい」と感じたのか、なんと映画館に観に行ってくれた。

本稿は終始「友達がゴジラ観てくれたんだ〜!」というだけの記事である。

高校の時、某映画を友人から「絶対面白いから観て!」と大絶賛で勧められ、めちゃくちゃハードルが上がった状態で観たせいで前情報なしならもっと楽しめたであろう作品を全然楽しめなかったという苦い思い出がある。

そのため私は、極力パーソナライズし、極力褒めずにおすすめを提示するようにしてきた。内容について触れる場合も「私はこう思ったが、〇〇(相手)が同じように感じるかは分かんないわ〜」のような言い方でしか伝えない。

ゴジラ-1.0も、

  • 直近では『ボヘミアン・ラプソディ』くらいしか映画館で観ていないがゴジラ-1.0は映画館で4回観た

  • 音楽がめちゃくちゃ好みでSEもよく、いつか観るなら今、大音量で聴ける映画館で観た方がいい

上記2点でしか推しておらず、「ストーリーや演技が好きかどうかは分からない。私は映画館で音を聞きたくて行ってるから」と映画自体のハードルを上げないようにして勧めた。

しかし思わず「うるっときちゃった……」と口を滑らせ「え?感動系なの?」と勘づかれそうになり「私は涙腺がザコだからちょっと泣いたが、私はあまりにも簡単に感動して簡単に泣きすぎるので自分の涙を信用していない。まったくもって重みのない涙である」という旨も伝えた。

涙腺に関しては本当にそう思っているので嘘ではない。

そのため友人たちは「ゴジラ映画」「映画館で観るべき音」という情報しかない状態で鑑賞することになったそうだ。

おすすめしてから一ヶ月前後、ゴジラを勧めた友人たちとの飲みの席がそれぞれあり、他愛もない会話のなかで「そういえば、観たよゴジラ」と話題に出してくれた。

基本、予定合わせ以外で連絡を取らないので誰も速報を教えてくれなかったのだが、レコメンドLINEを送った友人全員がおすすめしてから一週間ほどのうちに観に行ってくれていたらしい。

全員TOHOシネマズ日比谷に観に行ってたのによく誰も鉢合わせなかったな。

私は平静を装って「えー?まじ?どうだった〜?」と聞いたが、内心は大喜びである。なんせ仲の良い友人と「好きな作品」について話せるかもしれないのだ。

(書き分けが大変なのでここからは複数の友人を一人に統合したりしなかったりして記述する)

友人は「よかったよ……感動した……」と思い出し落ち込みしながら感想を教えてくれた。「今日絶対にゴジラの話しようって決めてた」のだという。

私と同じように音や映像についてコメントする友人もいたが、「ゴジラ映画」というより「映画」としてものすごくいい作品だという友人がほとんどだった。

思い出し落ち込みしていた友人は主人公の敷島に共感しすぎてつらかったらしい。敷島が作品を通して背負い続けた罪悪感や典子が死んで人格が変わっていく描写がしんどかったのだそう。

「おれからしたら〇〇(私)は『火垂るの墓』を4回映画館に観に行ったみたいなもん。年に1回観るだけでもしんどいのに。ゴジラ-1.0も同じ。すごくいい映画だったけど、短期間に4回も観たらおれは心がもたない」

「〇〇(私)の前振りが少なすぎてノーガードで食らった





「音楽とかSEはどうだった?映像とか?」と質問したが「よかったのかもしれないが映画そのものにのめり込みすぎて構成要素それぞれを独立させて注目できなかった」とのこと。

たしかに私も1回目はめちゃくちゃのめり込んで心臓をバクバクさせながら観ていたが、そもそも「音」が動機で映画館に行ったので、最初から音に注目して鑑賞していた。

邦画ファンではないために「ストーリーや演技が気に食わなくても音楽とSEさえよければ文句は言わない」というスタンスで、そんなノリで観に行ったばっかりに無防備な状態でゴジラの魅力にぶん殴られることとなり、すっかりマイナスワンゴジラに心を奪われた。

友人たちは違う。
彼らは「映画」を観るために映画館に行っているのだ。

私が友人たちとコンテンツについて語り合えないのはこの視点の違いにあるのかもしれない。私は銀座での敷島の慟哭に強く心を打たれたが、彼に共感しすぎてつらくなったりはしなかった。

「自分は生きていてはいけない」「自分は死ぬべきだ」「生きられたはずの人々が自分のせいで殺された」「自分はもうすでに死んでいて幻を見ているのかもしれない」「自分を守るために大切な人が死んだ」という状況に強く感情移入せずに観ていたのは、想像力・共感力の欠如、あるいは我が事のように想像したところで罪悪感に苛まれたり責任を感じたりしない人間だということなのだろうか。

先般したためた記事の通り、「SEすげえ〜〜!!音楽かっけえ〜〜!!ゴジラかっけえ〜〜〜!!!」が私の主な感想である。

ちなみに、友人いわく「もう一回観たらSEとか音楽にも注目できる気がするけど対価がメンタル」だそうなので一応OSTアルバムを勧めた。私はサブスクのデータが擦り切れるくらい聴いている。

どうしよう、友人と語れたおかげでゴジラ-1.0熱が復活してきてしまった。結局まだ観れていないモノクロ版を観に行こうとしている。

有給取って平日に観に行こうかな、モノクロ版。
もし観て感動したら4本目書いちゃうかもしれない😂



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