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小説詩集「記憶の迷路と父親」

小学5年生のある日、迷路のような路地を歩きながら国語の長文問題について考えていた。私達って宗教心がないのかしら?帰依してる宗教がないと規範がないのかしら?って考えていた。
路地はコンクリート色で美容室の前を通って角を曲がるとまた美容室が現れる通りだった。
頭を絞り込むとチュウーブからはみがきがにゅうーっと出てくるように答えが現れた。そうだ、私達って世間体を気にするけど規範はそこにあるんだ。簡単な事だったけれど、長文問題の文章を書いた人は見解が狭かった。なぜ一方的に書くのかしら、ってゆくあてのない答えを手にしたままイラついた。

大人になったある日、ローマ人とアメリカ人が恥の文化と罪の文化に分類されるのだ、という英文を見つけてあのコンクリート色の曲がり角を思い出した。
あの道は人通りが少なかったから、友達と別れたあと物思いにふける道だった。一方でスター探しなんかにスカウトされる夢想にときめく無邪気な道でもあった。小学校を卒業するとその路地も通らなくなった。

高校生になるとバスに乗って遠い学校に通ったけれど、予習に追われる生活ですべてが未完成な印象だった。朝バスに乗ると、他の学校に通う友人がいて会話することもあったけれど、たいていはテキストを取り出すのだった。

ある朝登校中のバスの中、宿題のノートを忘れたことに気が付いた。さっきまで自分の一日は明朗に始まったとばかり思っていたのに、いきおい暗転した。一転忘れものをした高校生になってしまったのだ。ふと思う。忘れ物は思い出すまでは忘れていないのと同じだ。忘れていることを知らなかったさっきまでは定規で線を引いたように、私は忘れ物のない満たされた高校生だった。思い出した途端、最悪の焦燥塊になってしまったんだ。

家に帰ると父親が仕事をしていて、私は朝の発見を話した。母がいなかったからだ。父親は「そんなことがあるかい?思い出さなくったって忘れていることに違いがあるものか」と無頓着だった。屁理屈はやめろという風に。

もう学校も卒業して、私は空を見上げることが多くなった。
結局人は対峙しているものの実態がどうであれ、脳内の認識だけがすべてなんだと思う。たとえ相手がひどい人でなくても、自分にとってひどい人ならそれはそういう人になるのだし、新しく買ったカーディガンが似合っていると脳内で思えばそれが現実なんだ。
私は手帳に宇宙風船を頭に付けた人々の絵を描いた。
人々は顔と顔、目と目を合わせているんだけれど、結局のところ頭上に揺れる宇宙風船同士がその膜で覆われたまま会話しているんだ。

「ぼくはね、」と恋人が暗闇に顔が浮かんでいるようなそんな怪奇的な様子で話し始めた。
「僕はね、実は父さんの子ではないんだ」と。なんでも試験管の中で育ち、その試験管のお父さんは別にいて、ある研究チームの学生だったというのだ。私はうなずいた。それからどうしてそれが分かったのか?と尋ねてみた。
「あまりにも父さんと僕が違っていたからさ。僕はね、勉強していると叱られたんだ。計画的に、あるいは論理的に物事を考えると嫌がられた。どんどん僕と父親との接点がないことが分かってきたんだ」「それで?」
「それで口の軽い親戚のおばさんを問い詰めたね。そしたら真実を教えてくれたんだ。私の子供も同じなの、とも付け加えて。なぜか、叔母さんの娘も僕も左利きだった」
「あなたとお父さんは他人だったというのね」「ああ、残念ながらどんな意味においても他人だったね。だから僕の昼の顔はありきたりの設計技師。でも夜ともなれば父親捜しをするさすらう孤児に変身するのさ」

わたしのね、私の父さんは私が裏の路地を通って帰ってくることなんか知らなかった。母さんはそれを知っていたとは思うけれど、けれど分かっていたかどうかは疑問なの。それでね、私はこの頃自分が孤児だったような気がしてるんだよ。


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