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ツェラン、旅の詩人としての顔

『パウル・ツェランへの旅』関口裕昭

20世紀ヨーロッパ最高峰の詩人ツェランの詩の誕生を内的にたどる!ヨーロッパの国境を越えて新たな全体像を求める旅。
目次
プロローグ
第1章 ドイツ編
第2章 フランス編
第3章 スイス編
第4章 イタリア・オーストリア編
第5章 その他の国々―イギリス、スウェーデン、デンマーク、オランダ、リヒテンシュタイン、ルーマニア、ウクライナ
エピローグ


多和田葉子『パウル・ツェランと中国の天使』の翻訳者によるツェランの旅の記録を追ったエッセイ。ツェランがアウシュヴィッツ以後、様々な国を行き来した旅の詩人だったことを知る。それはドイツでの辛い思いもあったからかもしれない。ただツェランの従来の難解詩からのイメージから、様々な国で人々と対話しようとした姿が垣間見れれる。むろん、その対話で傷つくこともあったのだろう。ただツェランの生の部分(そこには恋もあった)を伺えるこのエッセイがまさに多和田葉子の作品そのものなんだと思ってしまった。むしろあの主人公は彼なのか?と錯覚するぐらいに。

ドイツではトゥーナベルク(プロローグ)でのハイデガーとの会談。それはツェランの好ましい会談ではなかった。ドイツでは、戦後様々な人に出会うがあまりいい思い出がないのか歩みは暗い。それはツェランの詩の盗作問題が持ち上がったこともある。「死のフーガ」の盗作問題はここに詳しい。

フランスはツェランが認められたこともあって全体的に明るい印象。ツェランの詩に明るいというのは語弊があるが、それでも恋人への詩だったりツェランが創作意欲を掻き立てられた場所であるのはフランスの詩の伝統があるのかもしれない。この部分は多和田葉子『パウル・ツェランと中国の天使』を連想させる。著者である関口裕昭がツェラン研究者として多和田の小説そのままにツェランを探し求める旅をしているのだ。

スイスでは劇作家のデュレンマットに出会いワインの詩を書いている。ユーモアのある詩でそれまでのツェランのイメージから遠い感じである。そしてユダヤ詩人のネリー・ザックスとの恋の詩か?神について対話しているのだが。

イタリア・ローマは観光のような詩だが、オーストリアのウィーンは難解な詩になっていく。

ロンドンでもツェランは詩を書いていた。ストックホルムはネリー・ザックスが住んでいる場所だ。彼女に捧げられた詩。ツェランとの書簡集もあるユダヤ詩人だった。

ルーマニアのチェルノヴィッツはツェランの生まれた場所。

エピローグのパリ「ミラボー橋」はシャンソンにもあるアポリネールの詩から出来た歌だった。ツェランはその川に落ちたのだが、自死したのではないという人もいる。


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