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折口民族学の「まれびと」信仰の久高島


『沖縄久高島のイザイホー』(2022年製作/110分/日本)監督岡田一男

解説
沖縄・久高島で12年に一度行われてきた祭礼「イザイホー」を記録したドキュメンタリーフィルム。琉球王国の時代から400年以上にわたり続いてきたイザイホー。琉球の創世神アマミキヨが降り立った神聖な島として知られる久高島では、ノロと呼ばれる最高位の巫女を中心とした神女組織が琉球王国時代から継承され、島で生まれ育った女性が神女となり、祭祀を執り行う。その神女になる祭礼がイザイホーだが、社会の変化や後継者の不足により1978年を最後に行われていない。本作は、78年暮れに行われたイザイホーを関係者の協力を得て映像に記録。結果として実質的に最後となっているイザイホーの様子を、1カ月前からの準備期間や祭りの本番、そして後片付けや祭り後に行われる年中行事フバワクまでを収めた作品として、79年に完成した。その16ミリフィルムで記録された貴重な映像を保存・継承するため、2021年にクラウドファンディングによって全撮影フィルムのデジタル化を開始。その成果報告の一環として、音声トラックを整音し、4:3の画面を16:9に切り直し、クレジットタイトルや、イザイホーの神揺の書き起こしと現代語訳などの字幕もつけた「2022年デジタル・リメーク版」が劇場公開。

最初に沖縄に行ったのが普通の人が行くことはないだろう久高島だった。付き添いで行ったようなものだから、当時は久高島が神の島とか知るよしもない。泊まった公民館みたいなところに折口信夫の掛け軸みたいなものがあったのをぼんやり覚えている。まあ、観光でもなかったのだが今考えるともっと詳しく知っておけば良かった、と後悔される。

「イザイホー」は沖縄に伝わる巫女たちの儀式でシャーマニズムの影響がまだ残っているものだ。それは女を中心に行われる神の使いになる儀式だった。イザイホーはそれを受ける女性がすべて巫女になる女系の日本の男尊女卑の宗教とは違うもの。

それは海から神がやってきたという日本の起源が外海からやってきたことを示す「海のソングライン」なのである。

折口信夫の「まれびと信仰」を実地するような場所で、日本の起源を外部から求めた折口と日本の内部の民間信仰を探った柳田国男の二人の民俗学の決定的な差異であった。儀式が終わった後の解放された祝祭としての音楽も沖縄の起源的な沖縄民謡のサンシンと踊りが見られた。

それは天皇制を中心とする中央集権的な構造とはまったく違う部族社会のシャーマニズムの伝統が残る儀式なのである。その神が降り立つ場としての「御嶽」は自然そのもの神聖な場所で、神社仏閣のような人工物がない自然神なのだ。そこで沖縄の巫女(ノロというらしい。また巫女とも違うようだ)になるのがすべての女性であるという村落共同体。そのノロのために男たちは影で支え合うだけだった。女尊の伝統社会がかつて琉球にあったということなのである。

そういう神聖な場所は男子禁制らしいのだが、今ではそういう習慣も廃れてしまい囲いもないので入ることができるのだが、だから「イザイホー」という儀式がドキュメンタリーとしてカメラに収められるのは貴重なフィルムなのである。そしてその「イザイホー」の最後の姿を記録したのがこのドキュメンタリーだと思えば、ある部分タブーを犯してしまったのだとも思える。

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