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「短歌部唯野教授」である紀貫之について

『『古今和歌集』の謎を解く』織田 正吉【著】

『古今集』は「言葉遊び」と「ユーモア」の歌集だった。間違いだらけの「人麻呂」像の不思議。六歌仙でありながら一首しか存在しない喜撰法師の正体とは?一千余首に秘められた大いなる仕掛けを読み解き、国文学史上の謎に迫る。
目次
第1章 『古今集』の人麻呂
第2章 「おほきみつのくらゐ」
第3章 吉野の山の桜
第4章 言語遊戯書としての『古今集』
第5章 をかしの歌集
第6章 「赤人」の謎
第7章 女郎花と馬
第8章 六歌仙考
第9章 喜撰とはだれか
第10章 『古今集』の謎を解く

いわゆる入門書の類の本ではなく、新説を開陳しますというたぐいの本。柿本人麻呂の官位について、『古今集』は勅撰集(天皇の命令を受けている)だから紀貫之でもふざけたことは出来でないだろうと不信に思いながら読んでいたが、『古今集』の時代が仮名文字の変革期にあり、そこから言語遊戯的な和歌が広まって行ったというのは納得できるような。

『古今集』は仮名文字特有の同音異義語の掛詞や縁語を組み合わせて言語遊戯的な遊びの世界も多分にあり、それが正岡子規の『歌詠みに与える書』で紀貫之批判に繋がったのだろう。そもそも『土佐日記』を女と称して仮名文字で書いた人だし、柿本人麻呂が謎の多き歌人なのを利用して紀友則を柿本人麻呂に見立てて(屏風絵から和歌を詠むのが得意の紀貫之だった、それらは桜の代わりに雪というような見立てと言われる)紀友則の歌を利用したとか(『万葉集』では桜が読まれるが稀なのに桜が読まれている。その歌が紀友則の歌に似ているということだった)そのぐらいはやったかもしれない。
最初の柿本人麻呂=紀友則説にも驚くのだが、それだけではなく様々な仕掛けがあった。

6歌仙についても紀貫之の評はけっして称賛したものでもなく、実際に『古今集』に掲載されたのが数少ない喜撰法師や大友黒主なのど歌人の実在も謎だという。喜撰法師は、紀貫之、壬生 忠岑(みぶのただみね)凡河内 躬恒(おおしこうちのみつね)の頭文字を合わせて、だみね、らゆき、つねを合わせた辰巳からきているという。喜撰法師の歌。

わが庵は都の辰巳しかぞすむ世を宇治山と人はいふなり 喜撰法師

『古今集』

そしてもう一人の歌僧である僧正遍昭の歌と対になるという。仮名序に「嵯峨野にて馬より落ちて詠める」とあり、京を挟んで宇治山と嵯峨野で対象的になるという。     

名に愛でて折れるばかりぞ女郎花われ落にきと人に語るな  僧正遍昭

さらに仮名序の喜撰法師評では「言葉かすかにして、はじめをはりたしかならず」の言葉で馬と鹿を対比しているという。

紀貫之はもともと紀氏の家系であり、没落貴族であったのだが、古今集の選者を始め選ばれた歌人は紀氏の文芸を継ぐものが多いという。『万葉集』が大伴氏の没落貴族返り咲きの思惑があったならば、そうした思惑もあったのかもしれない。それにしても和歌全体の評価が低い時代にあって(漢詩が重要視されていた)紀貫之は反逆の歌人であったのかもしれない。

こういう説が大学の教授から出るのではなく素人の放送作家である作者から出ることに面白いものを感じる。

現在で言うと紀貫之は筒井康隆が描くところの「短歌部唯野教授」だったのかもしれない。フィクション的に見ればそういうことなのかと。

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