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元祖モダンガールの歌人はパワーがあった。

『ひたくれなゐに生きて』齋藤史

明治・大正・昭和・平成―四つの時代を生き抜いた女性歌人が詠い上げる八十八年の生命の精華!二・二六事件で反乱軍幇助罪に問われた将軍を父に持ち銃殺刑に処された青年将校を幼馴染みに持つ女性歌人は波瀾の人生を渾身に生き、奥行き深き歌々を詠い続ける。
目次
花は艶かもしれないけれど(俵万智)
八十年生きればそりやぁ(佐伯裕子)
人間の色を濃くしてきた現代短歌(道浦母都子)

花は艶かもしれないけれど(俵万智)

歌集だと思ったらインタビュー集だった。最初が俵万智で祖母と孫娘のような感じで昔の思い出話を語る。馬が好きなこととか田舎暮らしの大変さとか。ただ全体的には明るい対話で相手が俵万智のせいかもしれない。2.26事件のこととかは語ってない。

昔の短歌結社(塾のような)厳しさとか。「アララギ」にいたのか。そこで大体短歌の基礎を習ってそれでデビュー作『魚歌』を出した。その歌集は歌人には全然見向きもされなかったが詩人や小説家に注目されたのだという。

まだ軍国主義の時代でもなくエポックメーキングの時代にあって海外から様々な文化が入ってきたモダニズムの時代。主に映画からの影響だという。カール・ドライヤーの映画とか見ていたのかもしれない。保守的な短歌とは違っているわけだった。それでも『魚歌』には恋の歌は一首もないという。そういう時代ではなかった。そして戦争になっての疎開生活。

農村の女たちは動物並の扱いだったとか。嫁の立場の厳しさ。米をよそうしゃもじを間違えただけで離縁させられるとか。女中扱いだったようだ。そんな中でも苦労したが農村に留まっているのは不思議な感じがする。葛原妙子はそういう困難な時期を体験したが都会の戻ってきているのだ。都会で家が買えなく夫が病院を辞めることができなかったというが。

対談相手が俵万智だから昔話に花が咲くという感じで、得るところが少ない。男社会で厳しかったというぐらいか。アララギにいたら男のように短歌を作らねばならなかったとか。それで釋迢空が「女歌」といい始めて女性歌人が出てきたのだった。そういうところをもう少し深掘りできればおもしろかったのだが。

八十年生きればそりやぁ(佐伯裕子)

俵万智のインタビューは祖母と孫娘のような感じだったが、佐伯裕子とは娘と母のような会話かな。佐伯裕子の祖父が戦犯として処刑されたので、佐伯の方が思い入れが深いのかもしれない。ただ齋藤史はすでに過去の昔話なので、明確には明らかにしない。それは記憶と表現の違いなのか?すでに表現されたことも昔話のようになっているのである。

そこの記憶がリアリティある現実と受け取る佐伯裕子とは齟齬があるような気がする。佐伯は日本人であることのこだわりのようなものを感じるのだが、齋藤史はやはりモダンガールなのだ。佐伯裕子がこだわる変化も内面といより社会的なものの変化のように受ける。

白い手紙がとどいて明日は春となるうすいがらすも磨いて待たう

暴力のかくうつくしき世に住みてひねもすうたふわが子守うた

「白い手紙」の方はモダニズム短歌だが、「暴力の」は2.26事件後の歌だ。それは青春当時の歌とそれが過ぎ去ってしまった時(軍国主義)の時代の歌では違うのが当たり前で齋藤史の内面の変化といより社会(環境)の変化なのだ。それが信州の疎開先でも変化に対応していかなくては生きていけない人間というものを知るのだが、齋藤史の中にあるのは部外者としての異邦人性であり、その中で醒めた目で生きていかなければならなかった。そしてそれがある時から道化のようになるのだとさえ言う。

佐伯裕子の一途な真面目さ・保守主義的な傾向とは違う跳んだ婆さんなのである。それが「八十年生きればそりやぁ」という短歌になって現れる。天皇についても、人間宣言して逃げたのだという。神だったならば間違えないはずであり、人間になって間違えたという、そういう天皇だったと。この言葉は凄いな。『神聖喜劇』を書いた大西巨人が齋藤史の短歌を引用しているのが分かる気がした。

人間の色を濃くしてきた現代短歌(道浦母都子)

俵万智は軽すぎるし、佐伯裕子は重たすぎる(戦犯となった死刑囚の肉親を持つ者同士)で、一番バランスが良かったのが道浦母都子だったのかもしれない。齋藤史はやはり歌人としては異端の系譜でモダニズム短歌から始まり、それで俵万智とも相性がいい、2. 26事件後は日本が軍国主義になって自由に短歌が書けなかった時代。だから軍国主義的な短歌もあるという。そして、地方での閉じられた村社会での生活。その中で異端性を通して生きてきたのだと思う。地方の社会では生活のためということがあったが、戦時と同じくそれに染まることはなかった。どこか客観的な作家のようなところがあるのだ。小説家にならなかったのはあまりにも忙し生活の為だったからだと。それでも新聞に連載小説やラジオで短歌のコーナーとかやっていたという。

地方では歌人としては認められずに主婦として、親や夫の介護生活の中で短歌が拠り所だったようだ。そこから生まれてくるユーモアという持ち味は人間讃歌や花鳥諷詠に繋がっていくのだろう。何よりも内に閉じ込めない外部性があると思う。死者たちに対する優しさも。


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