魂はChat GPTや無季の春
近くに山や海がない。川があるからまだいいのか。海や山に繋がっているのだろうから。大江健三郎の影響なのかもしれないが「魂」ということを考える。還っていく魂というか、輪廻転生じゃないけど、自然の中に生きて自然の中に還っていく。そういう死生観が合ったのだと思う。
そういえばChat GPTの話題が持ちきりで、昨日聞いた「飛ぶ教室」でも言っていた。
すぐに出来そうな気がしたが英語でめげてしまった。グーグル翻訳も使いこなせていないのに。
結論から言うとChat GPTで困ることは何もないということだ。俳句は困るだろうな。Chat GPTの方がセンスが良かったりするだろうから。ただ選者でないのだから自分の好きな言葉を見つけてその時の気分に乗せればいいのである。それ以上でも以下でもない。だって今の気持ちで俳句を作ってと出来た俳句は自分の感情とは程遠いものなのだから。今日の一句。
昨日は午前中に図書館に行って読書。『燃あがる緑の木』を読みきれなかったのだが95%の位置まで読んで家に帰ってから読み切った。後半読書を味わうという風ではなかったかな。だいたい9割読めば感想は出てくるものだった。結末で大きく変わることはないのだ。
今月は大江健三郎を読もう。今日は朝一で選挙に行って江ノ島に行く予定。海が見たかった。
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