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いまはもうない場所

 飲食店の立ち上げに関わったことが人生の中で何度かある。その店は、初めて関わった店だった。人は時として、人生の中で、何を血迷ってか突然、飲食店を出店しようとすることがある。自分自身でも出店したことがあるので経験があるが、どういうわけか、お店を出そうと思ってしまうときが、突然訪れるのである。八割の店が上手く行かない、そう言っても過言ではないと思うくらいに、飲食店の経営というのは難しい。言葉に正確を期するのであれば、簡単すぎる、という言い方の方が適切かもしれない。もっとも、簡単すぎるからこそ、難しいのだが。何か特別な技能やスキルが要求されることよりも、ほんのすこしの閃きとセンス、そして、あとはその簡単なことをただただ愚直なまでに継続し続けることが、飲食店の経営に求められることなのだと思う。小さな改革と大きな継続、とでも言えばいいのだろうか。いろいろと出来ることが多い人には飲食店の経営は向かない、と、自分の経験からも、わたしは思っている。その店は、国立競技場からほど近い路地のビルの地下にあった。わたしよりも六歳年上の佐藤さんという人が経営者だった。その人とは、家庭教師派遣会社を通して、わたしがまだ小学生だった頃に出会った。親がせっかく入れてくれた学校ではあったが、独自性の濃い私立校の初等教育に上手く馴染めず、勉強でも落ちこぼれそうになっていたわたしを、課題を済ませると漫画の単行本をくれる、というなんとも単純な方法で勉強をするように彼は導いてくれた。彼の指先は、いつも黒く汚れていた。酒が飲めない彼はいつも煙草を吸っていて、パチンコとか競馬とかのギャンブルをとても好んだ。パチンコ屋の手垢でいつも指先が真っ黒になっていて、鞄には競馬場のマークカードがいつも入っていた。彼は、当時、わたしが好きだった「こち亀」のコミックスを、宿題の進捗に合わせて持参してくれた。家に全巻ある、と彼は言っていたが、今になって思うと、うちに来る前にいちいちブックオフで買っていたのではないかというような気もする。だが、仮にもしそうだったとしても、大人になったあとのわたしに対しても、そのことを最後まで明かさずに通し続けた彼のあり方は、最後にあった時の彼と同じ年齢になった今のわたしとしては、妙にほほえましく思えたりもする。彼が大学を卒業して就職したこともあって、家庭教師に来てもらっていたのは中学生くらいまでだったが、その後もしばらくして、わたしが大学生になると、再び交流するようになった。一言で言ってしまえば、古い考え方、なのかもしれない。彼は、とても独自性のある考え方をする人で、見栄え、をいつも大切にしていた。それがプライドと呼ばれるものなのかどうかはわからないが、他人にどう見えるかということをとても重視し、お金の使い方とか仕事のこなしかたとか、そういうところで、時として仮にとても効率のわるいことだったとしても、甘んじて自らそっちに進んでいく、というような選択をする人だった。その店は、彼が営んでいた小さな音楽制作会社の事務所を兼ねたもので、代々木にあった家賃の高いマンションの一室の事務所から越してくるという形でスタートした。ビルの地下とはいえ、家賃は安くなく、設備も古かった。そこに、最低限の工事で入居し、近所の店から買った料理をそのまま出したり、そのへんの酒屋で買ってきた酒をカウンターに並べたりするというようなでたらめなスタイルで営業がスタートした。資本金は一千万円ということになっていたが、ひとくち百万円で複数の人から出資を集めて、それで運営するという計画で、実際には確か六百万円くらいしか集まらなかった。その中には、彼の幼馴染の友人も出資者として参加していて、郷里の母親から百万円を借りて出資したと言っていた。当時まだ学生だったわたしにしてみると、一千万円どころか、百万円でさえも、具体的に想像できない、とてつもない大金に思えたものだった。わたしは学生だったこともあり、出資は免れて、労働力で貢献するということで、オーナーのひとりとなっていた。設備の購入や運搬、内装の設計や、イベントの企画準備、などに物理的な形で貢献をして、イベントスペースとして貸し出したり、ライブを開催したりして経営していこうとしていたその店の立ち上げをわたしは手伝った。出店の企画が始まったのは確か夏前くらいで、ほとんど居抜きでの入居だったこともあり、その後、夏が終わるくらいにはもう何も作業はないというくらいに店は一応は完成していた。経営者である佐藤さんは、とにかく家事に疎い人で、得意な料理といえばカップラーメン、というようなひとだった。その上、お酒も全く飲めない体質だったので、飲食店の実務を宰るのに向いていない人材なのは傍から見ていても自明のことだった。客が支払う料金に見合ったサービスを提供して、経営を安定化させるためにも、アルバイトでいいから専門性のあるスタッフを雇うようにと進言するわたしと、そのようなことに人件費は割けないと主張する彼との間で、静かな諍いがあったこともあり、九月が終わる頃には、オレは店には顔をだすことが殆どなくなった。ビールサーバーの好条件での導入や、アルコールメーカーからの店内装飾品の協賛を調達するため、飲食業界に力のある知人を店のスタート時にわたしは彼に紹介していた。金額にしてい五十万円くらいはそのことにより浮いた計算になったこともあり、その半額である二十五万円を、その知人に還元する、ということで当初、双方の間で話がついていたはずだった。しかし、すぐにでも支払う準備があると言い続ける彼と、いつになっても入金されない、という知人の間を取り持たなければならないことになり、彼には何度か電話したが全く出ないので、11月頃にわたしは久しぶりに店に足を運んだ。店は潰れていて、鍵のかかったシャッターにはホコリが積もっていた。彼とも親交のあった近所のカフェに立ち寄ると、苦い顔をしたマスターが、あいつロクでもなかったな、君に言っても仕方ないけどさ、ほんとひどい話だったよ、と夜逃げ同然で追われる様にして彼が店を手放した顛末を話してくれた。羽振りが良かった、いや、正確に言えば、羽振りを良く見せていた、割に、当然といえば当然だが、彼は資金繰りには苦しんでいたようで、滞納していた家賃を払えないまま強制立ち退きのような形での廃業になったと聞かされた。それから五年の月日が経ち、共通の友人を混じえて、昔の恋人と久しぶりに食事をした帰りに、わたしはたまたまその店の跡地の前を通った。看板には全く違う店の名を示すものが掛かっていて、その後、別の店が入居していたことが容易にわかったが、ビルの地上部分は解体工事がほとんど済んでいた。地下部がどうなっているのかはわからなかったが、そのうちに、解体されて更地になってしまうのだろうと思った。その日からまた一年の月日が過ぎた。いまはもう別のビルが建っているのだろうか。それ以来、その場所には行っていないので、いまどういうふうになっているのかをわたしは知らない。そして、その元恋人とも、その日以来会っていない。(2018/01/09/20:28)

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