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縁日

 子供の頃は大好きだったはずなのに、大人になって久しぶりに触れてみると本当に全く興味が持てなくなっていて、驚いた。子供の頃は夢に満ち溢れていた輪投げとか射的とかのゲームも、細々と並んでいる駄菓子も。大人になってしまったオレの心を何も踊らせてくれなかった。そこで縁日をやっているということは、午前中に用事で出かけたときに車で通りすがって知った。昼過ぎに家に戻って、車は置いて、歩いて縁日に出かけた。どんなもんなのか見物しようと思って出向いたわけだが、なにかおもしろい物が売っていたりするのではないかと気になったのも、縁日に行ってみようと思った理由だった。不動尊というのが具体的に何なのかをよく知らないのだが、寺か神社かの区分で言えば、寺サイドに入るものらしい。そういえば、不動前という駅がすぐ近くにあるが、不動尊の前だから不動前なのか、という当たり前のことに、縁日への道すがらの今更にして思い至った。縁日は思っていたよりも大規模で、二十をゆうに超えるであろう数の屋台が出店していた。たこ焼き屋の屋台の脇でパイプ椅子にすわった中年の女が緑と黒の煙草の箱から煙草を取り出して火をつけようとしている。それよりも少し若い女がたこ焼き屋の屋台のなかで焼きかけのたこ焼きの生地にたこを並べている。その斜向かいには少し大きめの屋台が出ていて、おばあちゃんがおでんを売っている。用事に出かけた帰り道に蕎麦屋に行ってきてしまい、全くの満腹だったこともあって、どの食べ物を見ても買いたいとも食べたいとも思えなかった。干し柿を売る屋台やいくつかあった。同じような商材はほぼ隣接する屋台で売っているのが、普通に考えてすごいと思ったが、彼らはあまりそういうことを関係なさそうな感じで、それぞれ独立して干し柿を売っていた。屋台には、みのもんたのおもいっきりTVで紹介された、と書かれたボードが掲げられていたが、みのもんたをTVで見なくなってもう数年が経つ。そのボードに拠ると、干し柿は眼病や高血圧に効果抜群、らしい。少し離れたところに、ゲームのコーナーがあった。射的とわなげとピンボールと、お手玉で的を崩すゲームがあった。どのブースも、プレステとかそういうなんだか豪華そうな景品を掲げていたが、掲げている景品の箱は色あせてボロボロだったし、お手玉で的を崩すゲームは、どう見てもひと投げですべての缶を落とすのはたぶん無理だろうな、というふうに的が並べられていた。子供がそのゲームにチャレンジしていたが、なかなか的が崩せなくて、最後の一個を落とせるまで、屋台のじいさんはお手玉を渡し続けた。ほれもう一個、ちゃんと狙って、ほらほら、などとじいさんに言われながらその男の子は崩せるまでお手玉を投げ続けて、やっと最後の一個を落とすと、景品サービスだよ、と言って、ポテチとかチョコとかのお菓子が並んだブースにじいさんはその子を案内した。射的コーナーではカップルが二人で的を撃っていて、拾った弾を撃ったら罰金、というボードが高々と掲げられていた。それをみて、そうか、落ちてる弾を拾えばタダでたくさん撃てるよなぁなどとオレは思った。果たして、こういう屋台の営業で利益がでるのだろうか。まぁ確かにワンゲーム五百円で、仮に百円のお菓子を景品であげたとしても、四百円の利益が出る。一時間に五人くれば二千円、八時間やったとして一万六千円。もうちょっと客は来るかもしれないが、場所代とか運送費とかを払うと、そう大した額は残らないような気がする。わなげも、射的もお手玉投げも、ブースにいるのはみんなシニアだった。お手玉のじいさんは歯のない口でモゴモゴと喋る。彼らは今、普段どういう暮らしをしているのか、少しだけ気になった。この縁日は毎月定期的に開催されているらしいが、もう何十年もこうして毎月、この場所でわなげとか射的とかを提供してきたのだろうか。食べ物のブースが集まっているあたりに戻ると、今川焼きとかたこ焼きとかがまたあった。いったい何軒のたこ焼き屋がここに出店しているのだろうか。確かに屋台が多ければ賑やかには見えるだろうけれど、たこ焼き屋が四軒も五軒もあっても意味がないような気がする。チョコバナナとかクレープとかの若者向けの屋台も幾つか並んでいて、店の中には高校生くらいの男の子とか女の子とかが入って、バナナをチョコに浸けたり、クレープを巻いたりしていた。日曜日だったが、クレープの屋台には制服を着た女子高生が並んでいる。いちごスペシャルおまたせしました、と言って包み紙に巻かれたクレープを店の女の子が差し出して、うわーおいしそー、と言って女子高生はそれを受け取った。広場の隅っこには池があって、男の子がそこでザリガニを釣っていた。垂らした糸の先にはスルメイカがついていて、池のなかにいるザリガニがそれに食いついている。池のふちに置かれたプラスチックのカップにはザリガニと水が入っていた。ザリガニ釣りなんて随分と見ていなかったが、よく見るとその池にはうじゃうじゃザリガニがいた。毎月釣ってるんですよ、たぶん誰かが放したんじゃないかな、この池、十匹はいるかなぁ。まじまじと眺めていると、男の子の後ろにいたお父さんがそう話してくれた。耳にピアスをしていたが落ち着いた雰囲気の三十代なかばくらいの感じの人だった。へぇ、そんなにいるんですね、なに食べて生きてるんですかね、エサとかいるのかな。オレは池の中を覗き込んだ。スルメのついた糸を垂らすと、ザリガニはすぐに食いつく。男の子が糸を引くと、ザリガニは宙にあがったが、途中でスルメを離してしまい、また池のなかに戻ってしまった。お父さんにスルメのついた糸を渡して、男の子はどこかへ走っていってしまった。しっかり食いつくのを待って糸を引くと、お父さんはあっさりザリガニを釣り上げた。その池の横には小さな滝があって、水を汲めるところに人が並んでいる。何年か前に、祖父と二人でこの不動尊に来たことを不意に思い出した。たぶん、三年位前だったと思う。キミと一緒じゃなきゃ、行けないとこ、たくさんある。その祖父とこの不動尊に来たとき、この滝を眺めながら、オレの頭の中では山崎まさよしの曲が流れていた。これ以上、迷わない、もう、待たせないよ。その頃オレは、確か付き合っている彼女と別れようとしていた。それで、頭の中には智美のことを思い描いていた。結局もういまは智美のいない人生を過ごしているが、その頃のオレは、真剣に、智美と生きていきたいと思っていた。誰かの事を、何の迷いもなく、まっすぐに、好きだと思えたのは、若かったからなのだろうか。これも何年か前、随分と昔のことだが、いつか、別の女の友達と食事をした帰りに、死ぬほど誰かのことを好きになったことってある? と唐突に聞かれた。間髪をいれずに迷いなく、ある、とオレはその問いに答えた。智美の様子はインスタとかでいまもたまに目にする。会いたいと思う気持ちはもちろんあるが、会ったところでどうなるわけでもないような気もするし、それで自分がどうしたいのかも、よくわからない。あの頃、例えばなにか自分の人生を犠牲にするようなことがあったとしても、智美を幸せにしたいとオレは思っていた。相手を想う期間の長さが愛着を生んでいるのではないだろうかとか、ただの執着なのではないだろうかとか思ったりしたこともあったが、それでも、智美のことが大切過ぎた。でも、結局、いまオレの隣には、智美はいない。ザリガニ釣りをしていた男の子がまた走って戻ってきて、ザリガニ釣りを再開した。通り過ぎたおばあさんがその様子を眺めていて、なつかしいわねぇ、アメリカザリガニ、昔は食べのよ、と言って男の子の手元を覗き込んだ。寒々しい空の下に、屋台の食べ物屋の煙の匂いが漂う。ソースが焦げる音がして、干柿いかがですかー、という女の声が響く。男の子が今度はきちんとザリガニを釣り上げた。釣ったところでね、持って帰っても困るし、リリースするんですな。男の子のお父さんがさっきそう言って自分が釣ったザリガニを池に離していた。男の子も、しばらくしたら釣ったザリガニを池に離すのだろう。さっきコップのなかに入っていたザリガニは男の子がいない間に自力で脱走して池に戻った。智美に最後に会ったのはもう一年以上も前のことだった。オレはなんとなくiPhoneをポケットから取り出して、メッセンジャーアプリの智美の画面を開いて、それからやっぱり閉じて、またポケットに仕舞った。まだ湯気がたつ焼き立てのたこ焼きを頬張りながら歩く若い女がオレの横を通り過ぎていった。(2018/01/30/14:18)

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