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錆びたポスト

 その店の門の前にあった大きくて錆びたポストを見て、不意にわたしは既視感に囚われた。千葉の山奥にある和食料理店で、隠れ屋敷という名前が店名についているくらいには、わけのわからない山奥にある店だった。どうしたの、だいじょぶ? 車に忘れ物を取りに行っていた智裕が戻ってきて、そのポストを見つめて立ち止まっているわたしに気がついてそう声をかけてきた。うん、平気、入ろっか、お店。大げさな門をくぐって、ガラガラと音がする引き戸を開けた。その店は、地場の食材をメインに扱っていて、個室タイプの客席で、目の前に置かれた七輪で肉とか野菜とかを炭火で炙って食べるというようなスタイルの店だった。祝日だったので店内は客で賑わっていたが、電話で予約していたのですんなりと席に通してもらえた。客席にはお湯の入ったポットと急須と茶葉が置いてあって、智裕がそれで二人分のお茶を淹れてくれた。智裕が茶葉を急須に入れてお湯を注ぐのを眺めながら、わたしはさっき見た錆びたポストのことを思い出していた。明日からまた寒波が来るんだってね、きょうだって充分に寒いのになぁ。携帯の画面を眺めながら智裕がそうつぶやく。テーブルの上に置かれたお湯の入った急須にわたしは指先を添えた。七輪の中の火はまだ少し弱く、あまり暖かくはなかった。急須の温度が、わたしの冷えた指先を暖める。寒いの、やだなぁ。相変わらずポストのことを考えながら、わたしは相槌を打った。大学生のくせに智裕は自分の車を持っていて、大学生のくせにわたしたちはそれに乗って旅行に来ていた。休日は今日までなので明日からはまた授業だ。この店を選んだのは智裕で、たぶんだけどさ、絶対美味しいと思うんだよね、などと言って電話をかけて席を予約していた。自分の車を持っていると言っても、智裕の車は国産の古いもので、本人曰く、スポーツカーだと言っているが、それが本当にスポーツカーなのかどうかわたしにはよくわからなかったし、車を持っているからと言って別にお金持ちなわけではなくて、旅費も割り勘だし、昨日泊まったのも山奥のへんてこなラブホテルだった。駐車場の入り口にゲートがあって、そこでおじさんから鍵を受け取る仕組みになっていて、わたしはいままでにそんなところには泊まったことがなかったし、智裕も仕組みがよくわからなくて少し戸惑っていたようだった。部屋には下品なピンク色のレザーのソファが置いてあって、壁紙は煙草のヤニで汚れていた。寝具は湿っぽい匂いがしたが、祝日の夜なのに二人で一泊六千円で泊まれるのだから、別に仕方がないと思った。智裕が注いでくれたほうじ茶を飲みながら、メニューを眺めてわたしたちは注文を決めた。お刺身がついているランチコースにした。今朝、そのへんてこなラブホテルにあったティーバッグの緑茶を飲んだが、渋いだけで全く美味しくないひどい味だった。それに比べて、ここのお茶はきちんとお茶の香りがしてなんだか嬉しいと思った。智裕もわたしも学部の三年生で、この春から四年になる。智裕はもう就活が終わっていて、広告系のプロダクションから内定をもらっている。わたしは進学するかどうするかでまだ迷っていて、そろそろ進路を決めなければならないという事実を思い出す度にいつも憂鬱になる。さっきのポスト、どっかでみたことあるんだよなぁ。わたしはぼんやりとそうつぶやいた。あの外にあったでかいやつ? 昔のポストって、みんなあんな感じだったんじゃないかな。わたしの湯呑みにまだお茶が入っているのをちらりと視線で確認しながら、智裕は自分の湯呑みにお茶を注ぎ足した。昔のポストがみんなあんな感じだったのはそりゃそうなんだけどさ、でもうちらが子供のころにはもうあんなのなかったと思うし、でもよく見てた気がするんだよね…。どこで見てたんだろう、家の近所とかなんかそんな感じのとこにさ、ずっとあったような気がするんだけど。智裕はさしてポストのことには興味のなさそうな様子で窓の外を眺めていた。晴れてはいたが気温は低く、すっかり葉の落ちた木々の姿が、寒々しさを強調しているように見えた。その直後に料理が一気に運ばれてきた。小鉢が四品、牛乳と胡麻で作った豆腐、野菜と豚バラの炊合せ、麦ごはん、とろろ、カルパッチョのようなスズキのお造り、鶏と豚と野菜の串焼き、という具合で、いろいろなものを細々と楽しめるのが楽しくてわたしも智裕も夢中になって食べたが、思っていた以上に量が多く、食べ終わるころにはすっかり満腹になっていた。駄菓子屋だ。デザートの小鉢が運ばれてきたとき、不意にわたしはどこであのポストを見たのかを思い出した。子供のころにさ、近所の坂の途中に駄菓子屋さんがあってね、そこの店の前に、たぶん飾りだったんだろうとおもうけど、さっきのとおんなじようなポストが置いてあったの。そのポストに別に思い入れがあったというわけではないのに、店の前にあったあのポストに、わたしはなぜだか不思議な親近感を感じていた。デザートの小鉢からバニラアイスをスプーンですくいながら、智裕は黙ってわたしの話を聞いていた。(2018/01/08/16:17)

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