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#ネタバレ 映画「ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ」

「ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ」
2019年作品
ルーツとの断絶
2020/10/15 9:14 by さくらんぼ(修正あり)

( 引用している他の作品も含め、私の映画レビューはすべて「ネタバレ」のつもりでお読みください。)

「ゴジラ」とか「砂の器」みたいな派手な映画も面白いですが、私たちの日常風景+αみたいな、日常風景の延長みたいな小品も、意外と心に残るのです。どなたかも仰っていましたが。

ただ、この映画「ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ」は黒人視点に偏っているように思いました。

中立的な神の視点で描かれていれば第三者の私たちにも受け入れやすいでしょうが、そうではないので、主人公たちの行動に「それって身勝手では?」という気持ちが起こり、今ひとつ感情移入できなかったことも確かです。

クライマックスとエンドロールに流れる歌が感動的です。

★★★

追記 ( ルーツとの断絶 ) 
2020/10/15 9:51 by さくらんぼ

部屋が内的世界「心」の記号なら、家は外的世界「国」の記号なのかもしれません。

黒人である彼らのルーツはアメリカにはありません。

だからアメリカ国内は、深堀すれば、すぐにルーツが途切れてしまうのです。

それに加えて人種差別問題があります。

そんな疎外感満載の中で、彼らはアメリカを憎み、そして愛しているのでしょう。

ラスト近くに、主人公が白人女性に説教する「憎むのは愛しているからだ」みたいな言葉は、彼らの苦しみの吐露だったのでしょう。

追記Ⅱ ( 「花のサンフランシスコ」 ) 
2020/10/15 13:54 by さくらんぼ

>クライマックスとエンドロールに流れる歌が感動的です。(本文より)

その歌は「花のサンフランシスコ」ですね。

楽園のような甘い歌詞とメロディーが、現実の苦みとどう折り合いをつけるのか、あるいはつけられないのか。

恋人に裏切られても、裏切られても、まだ恋人を信じ続ける者のように崇高です。

それがラスト近くにある「愛と憎しみ」の話につながっていくのですね。

映画とは直接関係ありませんが、先日、芦田 愛菜さんが言われた「信じる」ということについての言葉も連想しました。

追記Ⅲ ( 旧居の思い出 ) 
2020/10/15 14:17 by さくらんぼ

私事で恐縮ですが、(ネットの話ではなく)一年前に引っ越しまして、すぐに旧居は解体しました。

今は駐車場になって面影もありません。

産まれてから半生記以上住んでいた家ですから、解体時には冷静ではいられないと思っていました。泣くかもしれないと本気で心配していたのです。

でも、ほとんど感慨はありませんでした。

思い返せば、楽しい思い出は、ありそうでいて、ありません。

一番懐かしいのは、物心ついてから30代まで飼っていた数匹の愛犬たちです。

特に直近の犬は記憶も鮮明で、迷惑そうな顔をしながら、今でも周囲にいるかのようです。

私の家族はあの犬たちだけだったのかもしれません。いや、ほんとうは犬にも煙たがられていたのでしょう。

だから、執着できる家がある彼らは、純な若者だな、とも思います。

追記Ⅳ ( 「水を飲むときは井戸を掘った人のことを忘れるな」 )

中国にそんなことわざがあるようです。

ところで、映画で主人公たちがしている行動は、それだけを切り取れば迷惑行為であり、受け入れることは出来ませんが、久しぶりに予告編を観て、彼等の言い分が腑に落ちました。

彼らによれば「白人は井戸を掘った(サンフランシスコを開拓した)黒人を忘れた」のでしょう。

なぜ、映画を観た当時に彼らの気持ちが理解できなかったのか、不思議ですが、あえて言えば、それほど、彼等の行動は非常識だったからだと思います。

しかし、黒人側から見れば、それと符合するほどに、白人の行為も非常識だとの、これは哀歌なのでしょう。


( 最後までお読みいただき、ありがとうございました。 

更新されたときは「今週までのパレット」でお知らせします。)


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