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#ネタバレ 映画「さびしんぼう」

「さびしんぼう」
1985年作品
こちら側の顔だけ見ていてください
2015/12/29 7:12 by さくらんぼ (修正あり)

( 引用している他の作品も含め、私の映画レビューはすべて「ネタバレ」のつもりでお読みください。)

満月の夜、月を見上げると、昔とおなじようにウサギさんが見えます。

でも、月の裏側はロケットの時代にならないと見ることはできませんでした。

尾道から見える島々も、いつも同じ顔を見せています。

船に乗って沖へ出ないと、島の裏側は見えません。

この映画「さびしんぼう」は、もしかしたら、島が月とおなじように、内地からは、いつも片側しか見えないことから着想を得て、「こちら側の顔だけ見ていてください」と、そんな主題を綴った映画だったのでしょう

アイドルでなくとも、ただのおじさんでも、リアルで見せている顔と、ネットで見せている顔、人に見せている顔と、誰にも見せない自分自身の顔など、いろいろ無意識にお面(仮面?)を使い分けています。

昔観ただけなので詳細は忘れてしまいましたが、この映画「さびしんぼう」のヒロイン:百合子は、貧しい家庭のようでしたね。島の魚屋さんで、お金が足りなくて、財布をのぞいてから、お魚を半分だけ買うシーンがありました。

でも百合子は、どこかのお嬢様のように、ピアノでショパンを弾いているイメージだけを大切にして欲しかったのですね。

ヒロキのことは、どうも好きだったようですが、それ以上深いお付き合いをされて、お金持ちの、大きなお寺の跡取り息子であるヒロキの前で、恥をかきたくなかったのです。女の子ですものね。

この映画はリバイバル上映のとき映画館で観ました。そして、一人旅で尾道へ行きました。

山の中腹にある、閑散としたお寺にも行きました。

展望台に登ったら、旅人らしい若い女性が、一人たたずんでいました。

★★★★★

追記 ( 二人の“さびしんぼう” ) 
2018/1/10 10:08 by さくらんぼ

再放送していたので、改めて観ています。

今さらですが、「美少女“さびしんぼう”の悲恋は ≒ 道化の“さびしんぼう”の悲恋(母の悲恋)」なのですね。

だから、男の哀しみはヒロキが、女の哀しみは道化の“さびしんぼう”が描いていると言えます。

そして、道化の“さびしんぼう”は、ヒロキが大掃除の時にバラまいた写真から飛びだしたのですね。モノクロ写真だから白塗りの顔をしているのでしょうか。いわば写真に閉じ込められた「念」のようなものですね。

追記Ⅱ ( 南の島の想いで ) 
2018/1/10 10:26 by さくらんぼ

若い頃、友だちグループで南の島へ行き、現地の人に観光ビデオの撮影をしてもらった事があります。

カメラマンは、可愛い日系人・女子高生のバイトのようでした。ふと、日本へつれて帰りたい気持ちになったほどの。

陽光の下、ビデオはとても良く撮れています。しかし何年か後、久しぶりに観たら無性に寂しくなったのです。たしかに映像の中にはたくさんの私がいますが、いつも私の魂は不在なのです。

そこで友人たちは楽しんでいますが、私一人だけは抜け殻なのです。理由は良く分かりません。私は過去も現在も、そこへ行くことはできなかったのです。寂しくなった私は、ビデオを捨ててしまいました。

追記Ⅲ ( 映画「異人たちとの夏」 ) 
2018/1/11 22:00 by さくらんぼ

映画「さびしんぼう」

かつて劇場で観て、大人の私も大感激しましたが、久しぶりにTVで観て思ったのは、「子供向けだったんだな」という事です。特に男子高校生3人が絡む前半はそうですね。

だから、誰かが大人向けに大胆なリメイクをしたら、面白いかもしれないと思っていました。

でも、すでに、それは完成しているのかもしれないと、本日気づきました。その作品名は映画「異人たちとの夏」です。

この二本は深いところで繋がっているような気がします。

追記Ⅳ ( 島にある小さな稲荷神社 ) 
2018/1/12 15:13 by さくらんぼ

>そして、道化の“さびしんぼう”は、ヒロキが大掃除の時にバラまいた写真から飛びだしたのですね。モノクロ写真だから白塗りの顔をしているのでしょうか。いわば写真に閉じ込められた「念」のようなものですね。(追記より)

島で、美少女“さびしんぼう”とヒロキが逢瀬した場所は、二回ともお稲荷さんの前でした。赤い服を着た白狐の像もありました。

美少女“さびしんぼう”も赤い服を着ていました。ヒロキが褒めると、「母の形見なの…」と。

彼女が魚を買うシーンがあります。

財布をのぞいてから、2匹ではなく、「一匹ください」と言う彼女。

「お父さまは、お元気ですか」と魚屋。

「はい」と言う彼女。

帰りがけに「これを…」と言ってオマケを渡す魚屋。

「いつも、すみません」と彼女。

もしかしたら彼女の家は、島にある小さな稲荷神社なのかもしれないですね。

母は他界し、父も病に臥せっている。しかし島民の尊敬を集めていた由緒ある家柄だったことが、魚屋さんとのやりとりで分かるような気がします。だから彼女にも品格がある。今は寂しく、生活が苦しいほど傾いていますが。

対するヒロキの家は勢いのある立派なお寺です。

この恋、貧富以外にも、身分違いの気配もあります(世には神仏習合もあるようですが)。だから彼女は及び腰だった。同業者だから余計に「みじめ」を感じたのかもしれません。

そんな彼女の「念」は、白狐に飛び移り、写真を乗っ取ったのかもしれません。だから道化の“さびしんぼう”の正体は「白狐」でもあります。その混とんとした「得体の知れない世界観」が、この映画の味わいです。

ちなみに、映画の前半、ヒロキたち3人の男子高校生が出てきますが、その内の一人が、何回もジャンプして回転をします。あの、失礼ながら(これみよがしで)目障りなシーンは、獣霊「狐」の棲む世界を暗示した、必要なものだったのかもしれません。

そして、実験室ですき焼きを食べていると、先生(岸部一徳さん)が出てきて乗っ取ってしまうシーンもあります。あれが「乗っ取り」の伏線だったのかもしれません。そう言えば、岸部一徳さんは、どこか狐に似てますね。それに、白狐らしく白衣も着てましたし。

追記Ⅴ ( 勝利の笑顔 ) 
2018/1/12 17:44 by さくらんぼ

恋愛において、つかまえたのか、つかまえられたのかは、いつも謎なのです。

ヒロキが美少女“さびしんぼう”にピアノ型のオルゴールを贈った時、ピアニストになりたい彼女は、「うれしいけど…ほんものがほしい」と思った気がします。

そんな彼女は、いえ、正確には彼女と瓜二つの娘が、最後に登場します。

母の道化の“さびしんぼう”が登場したように、ダブルミーニングで、あれは彼女自身でもあるはずです。

その彼女が、本物のピアノでショパンを弾き、ピアノの上の飾られた、あのオルゴールを見て、にっこり笑うのは、あれはきっと、勝利の笑顔でもあったのでしょう。

追記Ⅵ ( 嘘八百 ) 
2018/1/13 10:16 by さくらんぼ

>そんな彼女の「念」は、白狐に飛び移り、写真を乗っ取ったのかもしれません。だから道化の“さびしんぼう”の正体は「白狐」でもあります。その混とんとした「得体の知れない世界観」が、この映画の味わいです。

>そして、実験室ですき焼きを食べていると、先生(岸部一徳さん)が出てきて乗っ取ってしまうシーンもあります。あれが「乗っ取り」の伏線だったのかもしれません。そう言えば、岸部一徳さんは、どこか狐に似てますね。それに、白狐らしく白衣も着てましたし。

ヒロキが風呂に入っていると、突然父が、むりやり狭い湯船に入ってきて、思い出話を始めました。あれも乗っ取りですね。父(若い小林稔侍さん)も狐顔でした。

裸ですから、尻尾の代わりに黒い影が見えそうで、どっきり映像でした。映画館で観たとき、近くの席にいた若いお母さんが、子供に、「私はあのシーンが一番好き」と言っていましたが。

それから節分の日、ヒロキが枡に入った豆を食べながら歩いていると、自転車のチェーンが外れて困っている美少女“さびしんぼう”がいました。

彼女と近づく絶好のチャンスとばかり、枡を彼女に持たせて修理しようとするヒロキ。

しかし上手くいかず、遠慮する彼女の声を無視して、自転車持って島へ渡り、彼女の家の近くまで運ぶのです。この件をきっかけに、二人の仲は急進展。

しかし、これは本当に偶然なのでしょうか。「昔から、女はハンカチを落とすもの」なのです。

駆動できない自転車は、彼女の家の財力が衰えていることを意味するのでしょう。裕福なヒロキは、やがて結婚し、そんな彼女を助けることになるのです。

だいたい「鬼は~外!」と、豆(武器)をまかなければいけないのに、それを食べてしまい、さらに、あろうことか白狐にその武器を渡してしまったのです。

そうやって武器の代わりに自転車を持って歩くことになったヒロキ。あの時のヒロキも、乗っ取ったのか、乗っ取られたのか、微妙です。

追記Ⅶ ( 血の抗争 ) 
2018/1/14 9:57 by さくらんぼ

>それから節分の日、ヒロキが枡に入った豆を食べながら歩いていると、自転車のチェーンが外れて困っている美少女“さびしんぼう”がいました。

>彼女と近づく絶好のチャンスとばかり、枡を彼女に持たせて修理しようとするヒロキ。しかし上手くいかず、遠慮する彼女の声を無視して、自転車持って島へ渡り、彼女の家の近くまで運ぶのです。この件をきっかけに、二人の仲は急進展。(追記Ⅵより)

後日、ヒロキが家に帰ると、部屋に道化の“さびしんぼう”がいました。そしてヒロキに「チョコレートの詰め合わせ」を渡すのです。

フタを開けたとたん、慌てて放り出して、「おれを殺す気か、おれはチョコ・アレルギーなんだぞ!」と怒るヒロキ。

怒る気持ちも分かります。

うっかりアレルギー食品を食べて死ぬ人もいるぐらいですから、ヒロキにとっては、毒を盛られたに等しいほどの戦慄なのです。

でも、それに対して彼女は、「私じゃないよ。あんたの“さびしんぼう”が、表に置いて帰ったのを、持ってきてあげただけだよ」と、「それがどうした、の体」で、平然とつぶやくのです。慌てず、さわがず、「毒であったこと」には無関心のごとく。いや、知っていたみたいに。

あのときの道化の“さびしんぼう”は、白狐に乗っ取らているようです。

つまり白狐そのもの。

そして、あの「チョコレートは、節分の豆と一対になる」ものでしょう。

あれは血の抗争、壮絶なる返礼だったのです。

私は男だから分かりませんが、どこかでこんな話を聞きました。

「妊娠した女の心には、赤ちゃんが出来た喜びと、自分を妊娠させた男に対する憎しみが渦巻いている」。

「女は恋した途端、逃げだすものである」とか、「愛憎の念」「好き避け」とか、いろいろ「恋する心の振幅の大きさ」を語る言葉があります。いつでも「恋愛と憎しみは表裏一体」なのですね。

追記Ⅷ ( 二本の繋がりは ) 
2018/1/14 15:28 by さくらんぼ

>この二本は深いところで繋がっているような気がします。(追記Ⅲより)

「母の念」と、「白狐の念」の間で翻弄されるヒロキ。

なぜこんな構図なのかと言うと、それはきっと「少年の第一の恋人は母親で、第二の恋人が他所の女」だからですね。映画「さびしんぼう」はそんな映画でもありました。

中には、大人になっても親離れしていない人もいます。

それが映画「異人たちとの夏」。

あれもやっぱり、「両親の念」と、「他所の女の念」との間で、翻弄された青年の物語でした。

追記Ⅸ ( 時の流れ ) 
2018/1/15 10:35 by さくらんぼ

ヒロキのカメラにフィルムが入っていないのは(写真に出来ないのは)、被写体になる美少女“さびしんぼう”が未来だからですね。

道化の“さびしんぼう”の写真があるのは、それが過去だからでしょう。

彼女は16歳の人生しか生きられない。

ヒロキも親離れしなければならないのです。

ラストシーンでは、本物のピアノが現在と未来であり、ピアノのオルゴールが過去ですね。

追記Ⅹ ( お土産探しでエネルギーを半分使った日 ) 
2021/12/27 9:39 by さくらんぼ

>アイドルでなくとも、ただのおじさんでも、リアルで見せている顔と、ネットで見せている顔、人に見せている顔と、誰にも見せない自分自身の顔など、いろいろ無意識にお面(仮面?)を使い分けています。(本文より)

どこかに「アイドルが虚像ならブロガーは実像だ」と書いだのは誰だ(苦笑)。

それはともかく、自分のレビューを改めて読みましたが、半分ぐらいは意味不明でした。私もきっと白狐に乗っ取られていたのでしょう。

ところで、この作品に心酔して、青春の日の私は尾道に一人旅をしました。

日帰りだったのか、どこか別の街に一泊したのかも思い出せませんが、この主人公たちの心象風景のようにさみしい旅だったことは確かです。

思い出すのは、着いて早々、情緒の無い幹線道路を歩き続け、恩ある先輩へのお土産を探し、結局、「尾道なんとかと書かれたテレホンカード」しか見つけられなかったこと。

憧れの尾道水道には、意外と旅情に水をかける工場みたいな建物が多かったこと。

夕方近くに小高い山の中腹にあるお寺に行ったら、一人旅の若い女性だけが佇んでいて、なぜか胸がキューンとしたこと。

帰りに小さな地元食堂で食べた、天ぷら定食だったかラーメンだったかが(なぜか記憶が混ざっている)、胃にもたれたことぐらいです。

追記11 2022.9.5 ( カメラマンという仲間外れ )

>若い頃、友だちグループで南の島へ行き、現地の人に観光ビデオの撮影をしてもらった事があります。

>カメラマンは、可愛い日系人・女子高生のバイトのようでした。ふと、日本へつれて帰りたい気持ちになったほどの。

>陽光の下、ビデオはとても良く撮れています。しかし何年か後、久しぶりに観たら無性に寂しくなったのです。たしかに映像の中にはたくさんの私がいますが、いつも私の魂は不在なのです。

>そこで友人たちは楽しんでいますが、私一人だけは抜け殻なのです。理由は良く分かりません。私は過去も現在も、そこへ行くことはできなかったのです。寂しくなった私は、ビデオを捨ててしまいました。(追記2より)

このビデオ、10名近くで旅行に行ったのに、気のせいか、少し多めに私が撮影されているようなのです。少し群れから離れていることが多かったはずなのに。

この事に対して、今まで私は、(はずかしながら)密かに自惚れていました。「彼女も私に気があったのかな?」と。

でも、こちらにレビューを再掲して気がついたことがあります。

カメラマンの彼女は(当然ですが)いつも輪の外にいます。仲間外れのように。

そんな彼女は、群れから離れ、一人いることが多い私に、無意識に感情移入していたのではないでしょうか。

彼女もまた、“さびしんぼう”だったのかもしれません。

追記12 2022.9.5 ( お借りした画像は )

キーワード「節分」でご縁がありました。明治神宮も行ってみたいです。少し上下しました。ありがとうございました。



( 最後までお読みいただき、ありがとうございました。 

更新されたときは「今週までのパレット」でお知らせします。)


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