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再会

目が覚めると泣いていた。

号泣だった。涙があふれてきて、あふれてきて止まらなかった。夢のなかで私は確かに生きていた。夢と現実の境目はなかった。あの世界の私も、本当の私だった。それを、残したい。という思いがただそこにあるだけだった。

ある街を私はひとりで歩いていた。なんとなくこちらを伺ってくるある男性に気付いたものの、その男性に見覚えはなかった。

男性はニコニコと笑っていて「こんにちは」と私に話しかけた。

私も「こんにちは」とかるく頭を下げてそのまま歩いていた。男性もそのまま私の横に並んで笑顔のまま歩いていた。

「何か?」と私が歩きながら訊くと、その男性は「僕、君を待ってたんだ」と言った。まさか、と心のなかで呟いて実際に苦笑した。新手のナンパだろうか。いや私なんぞがナンパなんてされるわけがない。いや、でもこの男性は60代、いいとこ50代だろうか。それなら私なんかでも確かにいいのかもしれない。

男性は私に並走しながら話し続けた。

「あのね、僕は今日君にここで会うために来たんだよ。信じられないかもしれないけどネ(^^♪ 見た瞬間にすぐ君だってわかったよ。だって僕君の小さい時の写真をずっと持っていたからネ♪ ホラ、これだよ」

立ち止まって、男性は私に3枚の写真を見せた。

一枚目は小さな女の子が一人で写っている。二枚目は横顔。三枚目は女の子と、若い女性と、若い男性が記念写真のように写っていた。

「この写真が、私ですか?」

「そうだよ(^^♪」

まさか。こんな写真は見たことがない。いや、見覚えがない。見覚えがないのは私の頭がポンコツなだけで、もしかしたら本当にこの写真は私なんじゃないだろうか。そう思えてくるから怖かった。

「僕もにわかには信じられなかったんだけどね。あ、僕もこないだ記憶が殆ど無くなっちゃったんだけどね。ある人がこの写真を僕に渡してくれて。あぁ、確かにこれは僕だなって。若い時の自分ぐらいは解るさ。だけどこの横にいる女性と、この女の子だけは全く覚えてなくてね・・・・あぁ、君なのに、ごめんよ。それでね、これは昔僕らが家族だった時の写真なんだよって教えてもらったんだ。」

「僕は、正直嬉しかったんだ。僕にも家族と呼べる人がいたんだってことがね。だから、こうやって会いに来たの。そう、僕はもうすぐこの肉体を離れないといけないからネ」

「ハ?」

一瞬で、このひとは何を話しているのかと理解不能になった。

家族に会いに来たとか、もうすぐ肉体から離れるとか。あぁ、でも不思議とスッと頭に入ってくる。そうか、これは肉体が処理しているんじゃなくて、きっと魂が経験していることなんだ。そう瞬時に感覚を味わった。

そうか、きっと私はこの何回めかわからないタイミングでの生まれ変わりで、はるか昔に家族だったこの人は私に会うために、ここまで来たんだ。

そう思ったとき、もしかしたらこの地球上でであうすべての人が、同じような意味を持っているのではないかという感覚に陥った。

私はこの世界が現実とは違うことを知っていた。だけど、この人と会うために今こうして私はここにいるんだということを実感していた。

私はその男性に写真を返すと、「家族だったんですね、私」と呟いた。男性は変わらない笑顔のまま、頷いていた。

「君に、会いたかったんだ」

何故かその言葉が、リアルさを増して突き刺さった。本当にこの人は私に会いたいと思ってくれていたこと。そして、いつのときの生まれ変わりなのかはわからないけれど、でも明らかに直近ではない。その直近の親とは異なる感覚がある。その懐かしくて温かい感覚は、これまでも何度も何度もわたしは覚えがあった。

それは私が介護の仕事をはじめてすぐから感じていた感覚でもあった。

仕事とはいえ、慣れない作業をひとつひとつこなさなければならないプレッシャーを感じながらも、それを上回るように、目の前に出会う利用者一人一人に対して、同様の懐かしくて温かい感覚を感じていた。この感覚をうまく言葉にすることが難しかったのだけれど、そうだ、この感覚だ、と、その男性の話を聞いて納得した。

初めまして、なのにどこかで会ったような・・・いやむしろ家族のような不思議な感覚だった。それは「久しぶり。会いたかった。」という感覚であり、そして「私はあなたに会うために今ここに居るんだ」という感覚が勝手に浮かんできていた。現実なのに現実ではない世界観がそこに存在していたのだ。まさに、今と同じだ。

今は、夢の場所で、同様の再会があり、以前は現実のなかで、同様の再会があったのだろうと思われる。

私の「あなたに会うために今ここに居る」という感情は、単純に「介護というおセンチな職種に酔っているだけ」と、私は自分に言い聞かせようとしていた。でも、人間の私が、魂の声へ言い聞かせても、何ら意味をなさないのは当たり前なのだ。だって感情を生み出しているのではなくて、それは私という魂の選択の結果なのだから。

その瞬間はいつも、私の魂は、会いたかった人(実際には人として再会するんだけど、きっと魂同士の再会であるのだと思う)に会えて、ものすごく喜んでいるのが分かった。感情なんかおっつくまえに、涙が流れるのだ。そして本当にこの瞬間に居られて良かった、嬉しいと、いう感覚がじんわり浮かび上がってくるのだった。

介護の仕事をするなかで、それが私の実感としての喜びだった。人の役に立てるとか、ありがとうと言われるのがうれしいとか、そんなものはどうでも良かった。ただただ、目の前にいるあなたに、会いたかった。その感覚は最強だった。

目の前にいるその男性は、肉体を離れる前に私に会うためにここに来てくれたのだということ。そしてその男性も、きっと今までの私と同様の感覚を今この瞬間感じているのだと思うと、やはりほんとうの家族というか、片割れだったんだろうと実感できた。

「カンタキ、ってそこで最後を迎えられるんだね。」

その男性の父親らしき人が看護小規模多機能で亡くなったときのことが記された手紙を、私に見せてくれた。肉体を離れるという感覚は私にはわからないけれど、でもきっと、なんども同様に肉体を離れるという経験を繰り返してきたんだってことは、実感としてそこにあった。きっと今までさまざまな場で、肉体から離れたんだろうと思う。だけど、きっとこの男性にとって、カンタキで肉体から離れるという経験は、きっと初めての事なのだと思った。

「ここで、僕が最後を迎えるときネ、君が傍にいてくれたらいいなって思うんだけど(^^♪」

満面の笑みで その男性は私に言った。私はこの人の子供であり片割れであり一部なのだということをまざまざと感じて、

その男性を抱きしめると、「うん。そうだね、そうしよう」

と口にしていた。


私はその男性が、最期を迎える場所へ向かおうとしていた。なぜだかものすごくワクワクしていた。

次の瞬間、私は人間の世界へ戻ってきたのを感じた。

そして、目から涙が溢れ出てきたのだった。

そうか。彼はまたどこかへ旅をしに行ったんだ。そしてまたいつかきっとどこかで、会いたいとお互いが想うとき、再会を果たすのだろうと思った。


もっと読んでみたい!という気持ちが 何かを必ず変えていきます。私の周りも、読んでくださった方も、その周りも(o^^o)