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【コロナの時見た夢の話】田中のこと

酷く足が痛む夜だった。
足の内側の筋肉を直接、ゆっくりと、火で炙られている。
そんな痛みを感じていた。
足の痛みに加えて、熱でうなされ、鼻が詰まっているため満足に息すらできない。

せめて眠ってしまってこの痛みから逃れたい。
慣れ親しんだ7畳の和室が、嫌に広く感じた。

じゅくじゅくと痛む足の先から、大便を漏らした時のような、ねっとりと温たい不安がじわりじわりと僕の身体を侵食してきた。

逃げるように目を瞑った。
夜の20時だったと思う。

気がついたら、高いところにいた。
足の痛みはすっかりなくなっていた。
眼下には、真っ黒な空間が広がっている。銀色に煌めく小さな光が散らばっていた。

あぁ、ここは宇宙だ。

僕は素直にそう思えた。

僕の真下に、円柱を横に倒したような形の真っ白な宇宙船があった。
宇宙船の中には、ヒトがいた。
当然、宇宙船には屋根がある。真上にいる僕には中は見えるはずがない。
しかし、僕には中が見えた。そのことに何も疑問持たずに、中のヒトを見ていた。

中のヒトは男だった。
上背は175センチくらいだろう。ボウズに近い黒の短髪に切れ長の目をした男だった。上下を真っ白なタイツに身を包んでいた。
見覚えのない男だった。

だが、僕はわかった。

田中がいる。
田中が生きている。
田中は何をするのだろう。
田中はどこに行くのだろう。

その男は、間違いなく田中だった。

田中は宇宙船の中を歩いていた。
地面から少し足を浮け、漂うように歩いていた。まるでピーターパンのような漂い方だったと思う。

真っ白で、細長い宇宙船を漂っている田中を見て、僕は何かに似ていると感じた。
その時は思い出せなかったけど、後になって気づいた。

あれは、精子だ。

卵子のもとに往く精子だ。

そんな中、田中の前に1人の男が現れた。

Unityだ。
また、僕の頭の中に自然と名前が浮かんだ。

Unityは田中と全く同じ顔や体型だった。
髪も、目も、服も、何もかもが同じだ。
しかしながら、僕はそのことに何も疑問に思わなかった。
なぜなら、この世界では、人間は皆同じ姿だからだ。
そのことが、自然と理解できた。

突然、Unityは破顔した。
口をだらんと開き、よだれを垂れ流し、笑った。

瞬間、Unityの腹が光る。

世界のすべてを覆う光だった。
真っ黒だった宇宙は、真っ白になった。
目を開けられないほどの、灼熱の光のはずだ。
だけど、その光は、なんだか暖かく、日曜日の午前のカーテンから溢れてくるような、
どこか懐かしさを覚えた。

そんな光の中、Unityの腹から、一人の男が誕生した。
頭から、ゆっくりと、Unityの腹から出てきた。
ボウズに近い黒の短髪、切れ長の目、真っ白なタイツ。
田中だ。
田中が生まれた。
新しい田中が、生まれた田中と全く同じ見た目をしているUnityから誕生した。

「おぉ、うぇ、い。うぅ、うううう、けっ、ぷふぅ。」

歓喜か、嗚咽か、どちらかわからない音をUnityは喉から鳴らす。
Unityの目から涙がこぼれ、口角は緩やかに上がり、口からは止めどなく涎があふれていた。
新しい田中は腰から上の上半身だけ、Unityの腹から出ていた。
腰から上だけの田中は、Unityの腹にくっついたまま、じっとUnityを見ていた。

そんなUnityと腰から上だけの田中を、田中は見つめていた。

田中は何を考えているのだろう。
僕は田中の目を見つめた。

濃いブラウンの虹彩に、真っ黒な瞳孔。
その目からは何も読み取れない。
無。
完全な虚無だった。

その目から、なにかを読み取ろうと、
僕はじっと田中の目を見ていた。

いつまでそうしていただろう。
田中の目から、僅かに喜び、悲しみ、侮蔑、嫉妬・・・そのような感情を感じ取れたと思った瞬間。

目が開いた。

痰の詰まったゴミ箱。
埃の溜まったサッシ。
カーテンから僅かに漏れる無機質な蛍光灯の光。
湿り気を孕んだい草の匂い。
ぐっしょりと濡れたマットレス。

慣れ親しんだ部屋に戻ってきたと思ったのも束の間、
にわかに足の痛みが戻ってきた。

枕元の時計を見る。
21時。
目を瞑ってから1時間しか経っていない。
足の痛みとこの事実に辟易としながら、僕は田中のことを考えていた。

あれは夢だったのだろう。
そう割り切ることは簡単だった。
しかし、確かに田中はあそこに”いた”。
最後の田中の目から僅かに感じた嫉妬。
あの感情が最もエネルギーが高く、僕の中に蠢いている。
田中だけじゃない。
真っ黒な宇宙も。
細長い円柱の宇宙船も。
だらしなく笑うUnityも。
Unityの腹から腰から上だけ生えている田中も。

僕は、すべてを、忘れない。

相変わらず、足は変わらずじくじく痛み、喉も真っ赤に腫れ上がっていた。
声が一切出せず、用を足したかったが、足を動かすことが出来なかった。

だけど、僕の心はどこか穏やかだった。
世界の真理を垣間見た。そんな気がしたからだろう。

僕は再び目を瞑った。
田中にまた会えることを祈って。

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あれから半年以上経つけれど。
田中には会えていない。
きっと、もう二度と会えないと思うけど、
僕は未だに時々眠るときに田中のことを思い出す。
田中が生きている。ただそれだけを願って、眠りにつく。

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