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初投稿24【命の果てに見えるもの】

今日の夕方。

先月まで受け持ちだった患者さんがうちの病院から他の病院へ転院。救急搬送された。
認知症を患い、自宅で家族が介護できる状況ではなくなり入院した方だ。

最初は介護施設が見つかるまでの間という話だったが、介護施設よりうちの精神科の方が費用が安いという事で入院も長期化している。

冗談も言えて、話しやすい穏やかな患者さん。
今はそんな風でも、入院当初は暴力もあった。
夜間徘徊があり、寝なかったり素っ裸になったり。でもそれもほとんど見なくなった。

落ち着いたし、そろそろ介護施設でも大丈夫かと思っていた。

そんな患者さんが、1週間ほど前から高熱。
コロナもインフルも陰性。
抗生剤の点滴が入るも改善せず。
肺炎を患っていた。

今日の午後から呼吸状態が悪化し、酸素の投与開始。
最終的に5ℓ/分の酸素量を投与しないと、
酸素飽和度(SPO2)を維持できない状態まで悪化した。

でも救急搬送されるまでの間、意識はあった。
きつそうにしながらも受け答えはできていた。
周りに気を遣ってくれていたのかもしれない。

「無理して話さなくて良いから、帰ってきたら〇〇さんの好きなあんぱん食べようね。」と伝えた。

救急隊員がストレッチャーに運ばれる時、
目を合わせてくれて、うんと頷いていた。

搬送される1時間前。

様子を見に行くと、
患者さんは病室入り口の白い壁の一点を見つめて手を合わせていた。

「ほら、そこにおるやろ。」と指を刺した。
彼の表情はどこか安堵したような穏やかさがあった。

僕には見えない。

少し前に、似たような事があった。
少し前に亡くなった患者さん。

その方も亡くなる日の当日。
天井を見つめて、何かを見ていた。
涙を流していた。

「何か見えるんですか?」と聞いたら、
「うん。」と言われた。
それが何かは分からない。

昔、小学生の頃、
母方の祖父にも同じような事が起きていた。

天井を見て、手を合わせ、
「ほら、おろうが。みんな来とんしゃろうが。」と話していた。

それから数日後、祖父は息を引き取った。

人は死期が近づくと意識が拡大して、
見えなかったものが見えるようになると
聞いたことがある。

お迎えが来るというのは、
そういう事なのだろうか。

今日搬送された患者さんは、
どうかそうであっては欲しくない。

不謹慎だけれど、

毎回、あの何とも言えない、
懐かしい人に会ったかのような表情は忘れられない。

僕は、その患者さんに
「その人たちには一旦帰ってもらおう。僕が追い払おうか。」と話した。

すると、
「そんな事はせんでよか。」顔をしかめて首を横に振った。

僕が出勤して病棟に入ると、
いつも「おう。」と声をかけてくれる優しいおじいさん。

認知症で、とうとう僕の名前は覚えてくれなかったけれど、顔は覚えてくれてた。
それだけでも嬉しかった。

また元気になって戻ってきて欲しいと思う。

何だかやるせない気持ち。

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