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初投稿35【お金を稼ぐ必要性と依存性】

稼ぐ理由が分からなくなった。

今月に入り、考えを改めました。
何だかんだ、家庭を築いて子どもが生まれて、稼ぐ必要性が発生したことから、「男なら稼がねば!」のマインドになっていました。

肉体的にも精神的にも疲弊して、自分の時間も体力も消費して。
家族と一緒にいられる時間も削ってまで稼ぐ必要はあるのだろうか。

まだ子どもは小学校にも上がっておらず、僕以外、頼れる家族がいない妻。
妻の母は僕と入籍した直後に他界し、実父はその前年に他界。
育ての父は筋ジストロフィーで足も悪いため、頼るわけにはいかず。
僕の両親にもなかなか気を遣って頼れていない状況です。

何となく稼ぎたかったと思える失敗の連続。

僕の年収は400万円もありません。
ありませんので、老後や先々かかる費用の為にと、
今まで色々と半端に手を出してきました。

結婚前には、自分の抱えている負債を見直し、数年かけて結婚後に完済。
その傍ら、自己分析と副業ビジネスを通信で学んでいました。
その頃は、オンラインサロンやコンテンツ販売がSNS上で溢れる前。
チャンスの時期だったにも関わらず、途中で挫折。

結婚後は、夫婦でせっせとメルカリで不要品の売却。
少しずつ売り上げも伸びていたけれど、最近は面倒になっちゃって放置。
昨年はブログに手を出してみたけれど、しんど過ぎて、7記事で更新はストップ。

結局のところ、副業で手早く確実に収入を得られたのは、
看護師免許を活かした肉体労働のアルバイトでした。

何のために働いているのか分からなくなった。

数年間、自分の休日を返上しながらやってきた理由は何だったのだろうか。
一体、僕は何がしたいのか。
何になりたいのか。
何を目指しているのか、さっぱり分かりません。

決して、以前のように鬱傾向でもなければ、燃え尽き症候群に浸っているわけでもありません。

とにかく、働きたくない。無気力ではないです。
働きたくないという気力がある。

理想は、週にきちんと3日働いて稼ぎ、
2日間は、稼いでも稼がなくても良い日があって、
残りの2日は休みをとる。

それが、僕の今の理想です。

それで、何となく
職場で働いている1週間の平均日数を割り出してみる事にしました。

すでに実現してた。

というか、忘れてました。

結論から言うと、バイトや副業なしだと、
すでに、週に3~4日働いて、たまに有休使えば3~4日休めていました。
ちなみに有休消化率は100%です。
その有休も2年経過すると、2年前に追加された有休は消滅。
もしもの時のためにと使わずにとっていたので、
大変もったいない事をしていました。

月に6回夜勤がありまして、週に1~2回は夜勤があります。
条件として、夜勤入りの日を勤務日、明けを休日に含めます。
なぜなら、夜勤は他の病院と比べて楽で仮眠もしっかりとれるからです。
帰宅後も仮眠は眠れて2~3時間。日中に活動する事もできます。
きついけど。

そんなこんなで、計算してみたら、
週に3~4日働いて、たまに有休使えば3~4日休めている事に気付きました。
シフト表を見れば、とうに気付くはずなんですけど。

あぁそうだった。
それで、
休日を使って副業をやってみようか!マインドに駆られていたのでした。
貯金や学費も稼がないかんし退職金も激安だし。

たぶん何とかなる。

そんなこんなで、やりかけてみては、しんどくなって、
あ~でもない。こ~でもない。を繰り返していたのでした。

漠然とした不安があったんですよね。
ネットやSNSの情報を眺めていると、
「このままでは日本がやばい事になる!自分たちの事は自分で何とかできるように、今のうちから取り組んでおかねば!」
そんな危機感もあって、1番に浮かんだのが、職場に依存しない稼ぎ方を身に着ける事でした。

でもそれ、ただ何となくやってみたい大義名分だったんですよね。
現状を打破したい!変わりたい!みたいな。

それで、苦になったら、色々と辞める理由をつけて辞める。
そして、しばらく時間が経ったら、「これだ!」とまた別のものに手を付ける。何かできる気になったら満足して理由つけて退く。
その繰り返しです。
たぶん、3~4周はしました。
長らくフリーターをしていたので、掛け持ち癖があるのかもしれません。
なぜネットビジネスばかりに目が行ってたのかと言うと、単にカッコ良い!と憧れがありました。
でも、実際は根気と根性と知識も必要でした。

でも、今の看護師の仕事をしていればご飯は食べていけます。
今の病院が仮に閉鎖して仕事を失ったとしても、体が元気なら仕事はあります。
なぜなら、どこの病院も介護福祉施設も深刻な人手不足ですから。
だから、AI技術が急速に発展して、ここ数年でほとんどの医療機関にマンパワー不足を埋めるような環境が整わない限りは看護師の仕事はあり続けます。
仮にそのような導入が必要になったとしても、取り入れる為の莫大な資金が地方の中小の病院にあるのか?と思います。

電子カルテでさえ、全国の病院に普及してるかと言うと、そうではありません。僕が働く職場は今でも紙カルテ。手書きでの記録です。

有能な外国人労働者がたくさん流入して、仕事を奪われないうちはまだ働ける場所があります。
医療介護サービスを施せる施設と受ける対象の人口が維持できればの話ですが、そこを心配するエネルギーは僕には必要ないです。

何がしたいのか本当にわからなくなってきたこの頃。

そこで、将来のお金のために働く思考は一旦止めて、
休日をどう過ごしたいのか考える事にしました。

絵を描いたり、歌ったり、曲を作ったり、ギターをつま弾いてみたり、バンドでスタジオ入ってみたり。
家族で外出したり、子どもとめいっぱい遊んだり、友人と飯食いに行ったり。
こうして、好きなようにブログを更新してみたり、何か発信してみたり。

でも、本当にやりたい事はもうよく分かりません。
強いて言えば、自分は何者なのか?に興味があります。
自分の事を知る為に人生があると言っても過言ではありません。

今の収入でも全然毎日それなりに楽しいし、お金持ちになって海外旅行や贅沢したいなんて欲求もありません。インドア派ですし。
近所の美味しい唐揚げや少し高価な回転寿司、NET FLIXで好きな映画やアニメが見れれば楽しく暮らせます。
日本語の通じない外国に旅行したいとも思いません。治安が日本と同じくらい良くてすぐに帰れる外国なら行ってみたいです。
職場の人たちや患者さんと触れ合って、たまに嫌な事もあるし、不満もあるけれど、しっかり休める環境ではある。食うには困ってない。
支出を見直せば、それなりにお金は蓄えられる余力はある。
現状に何の不満もありません。
不満と言えば、バイトを辞めたい。今はそれだけです。

少し前までは、副業がいつしかメインの収入源になって、看護師をやめて、
FIREなんて思い描いていました。
これまた言い訳臭くなりますが、多分向いていません。
だからと言って、組織で働くのにも向いていません。無理してます。

じゃあ、何だったらやれるのか。
たぶん、ある程度のレベルまでは何でも頑張ればやれると思います。
でも、結果に結びつく前に、途端に興味がなくなる。
そこで理由や難癖つけて満足してしまう。飽きっぽいのかもしれません。
精神科で看護師を続けられているのが不思議なくらいです。

副業とは何なのか。何だったのか。
何に執着していたのだろうか。

副業をしたい人へ。

副業を始めたい人に僕からポジティブな事は言えません。

でも、こんな僕だから言えること。
今している仕事をまず死ぬほど頑張ってみてはいかがでしょうか。
死ぬほど頑張れている人だけが、他の仕事でも成功します。

とか言いつつ、探せばあると思いますが、どこかで限界があります。
結局、どこかで自己投資やシステムの投資にお金がかかります。
必ず「さぁどうする?」と壁にぶち当たります。
そうなった時の精神的な苦しさ、辛さもまた貴重な体験になります。
そこを乗り越えられるかどうかは、
根性か、掴みたい幸せがそこにあると確信しているかです。
雇われて働いた分だけお給料がもらえるありがたみ、気楽さも改めて感じられるようになるかもしれません。

すでに副業に取り組み始めている人はそのまま頑張れば良いと思います。
大変だと思いますが、自分が納得できる嘘偽りのない明確な目標と目的があれば、やり遂げられると思います。

僕は、自分に嘘をついていました。
頭で考えれば、それらしい事は出てきます。
でも、それは本心か。真心か。
頭で考えている事と、心で思っている事は違います。
頭は騙せても、心に噓はつけませんでした。
心に噓をついてる続けていると、心が荒みます。体にもガタが来ます。

なざなら、心が納得していないから。
心が教えてくれました。

詰まるところ、心と頭が連動していなければなりません。

自分は何がしたいのか。
稼いだお金で何をしたいのか。どうありたいのか。
達成したら、どんな感情でいたいのか。

社会にどう貢献したいのか。
どれくらいどんな人に役立てられるのか。
何を施して、いつまでにいくら稼ぎたいのか。

そもそも、何で稼ぎたいのか。
それを行っている自分は幸せなのか。
自分にとっての幸せの定義は何なのか。その尺度は何なのか。
どこで評価するのか。

自分は何者なのか。

そんな事を少しでも分かりやすい表現で深く自分を掘り下げ、
棚卸しできた人が成功しているのだと思います。
心と直結していれば、頭がフル回転して行動力が増します。

そうでなければ、行動がストップします。
無理すると病気になるかもしれません。
自律神経にも影響を与えているのでしょう。
精神科の患者さんには、そのような方も実際にいます。

これからどうしようか。

そんな僕が偉そうな事を言える立場ではなく、
自分事となると、途端に見えなくなるわけです。

なので、考えるのはやめて、家計の計算をしました。
今は働く意欲もなければ、稼ぐ意欲もありませんので。
お金への執着を一旦手放そうと思ってです。

生活の為にお金が必要!ついでに自分も良い思いしたい!ではムリゲーでした。
それが、たとえ表面上、SNSやブログで、
どんなにたいそうな事を述べていてもです。

消極的な方法です。増やすのではなく、引き算です。

・毎月、何万円あれば、今の生活をギリギリ保てるのか。
・1年の中で最もお金のかかる月は、何万円なのか。
・それまでに何万円、準備しておけば良いのか。

僕の場合は、最低25万円、お金のかかる月で最高45万円あれば、今の生活を維持できる事が分かりました。
それ以上は、余分な蓄えです。確実に貯金や投資に使えるお金になります。

それで、現在、僕の月収は24~25万円。今の職場だけだとギリギリです。
でも、週3~4日だけ働いて、あとは休めます。
その不足分を仕方なく大義名分をつけて、バイトや副業に勤しんでいたわけです。妻にも在宅で稼いでもらいながら。
それでやっとこさ、少し余裕がある感じです。
減らすのは簡単なので、毎月のサブスクや通信費、定期購買などを見直し、
ひとまず2万円ほど固定費を減らしました。

便利な世の中になったもので、無料で使えるもの、学べるもの、楽しめるものは沢山あります。無料じゃなくても格安で利用できるものも。
節約しやすい世の中になりました。
生活をコンパクトにして、ミニマリストを目指して良いかもしれません。

で、副業もバイトも頻度を減らして、
お金を稼ぐ事を意識するのはもう辞めます。
お金は好きですが、大金に夢膨らませて、副業やバイトに時間を費やす事が馬鹿らしく感じるようになってしまいました。
これもまた言い訳の一つかもしれません。
必要な時に、必要な分だけ稼げる環境があれば良いです。

お金があれば、選択肢が増えます。
でも、その選択肢は万人には必要ないと思います。
それぞれに有効活用できる分だけの選択肢があれば、幸せではないでしょうか。
余分に選択肢が増えれば、その人にとっての無駄な誘惑に釣られて、
本来描いていた幸せがぼやけてきませんか。

だからこそ、自分の幸せってどんな事なのか。
どうありたいのかは最初に確認しておく必要があると思います。

生活の豊かさ=お金が沢山ある事 とは限りません。

そりゃ、あるに越したことはないです。
でも、その人その人が適切に扱える分だけの必要な金額だけあれば良いと思うのです。
適切に扱うには、やはり色んな体験と教養が必要です。
だから、世間的に成功しても、そこに甘んじず、
率先して常に切磋琢磨している人は多いのだと思います。

なので、いくら稼ぎたいのか決めておくことは重要です。
自分の幸せな状況を実現させる為に必要な金額です。
それ以上の稼ぎは、次なる目標や自分の幸せの規模拡大がなければ余分なものです。

僕は正直、今のままで良いです。疲れました(笑)
こんな事を述べておきながらですが。

でも、支払いを滞らせたくないので、30万円は稼げたら良いなと思います。
なので働きたくないけれど、現実的にあと5万円は稼ぐ必要があります。
休み返上してアルバイトするか妻の在宅ワークの協力で収入を得るしかありません。
ネットビジネスでの副業では間に合いませんから。

僕個人としては、
ネットでの副業は遊びの延長、趣味感覚で始めるのがお手頃かと思います。
楽しめないならやめて良いし、そこをクヨクヨする必要もない。
どうしても早急にお金が必要なら、バイトの求人を探して沢山働けば良いと思います。
その方が、少しは健康的です。

今日を真剣に楽しく生きてください。

というわけで、

僕が今、痛切に感じているのは、お金と幸せは直結しないという事です。

描いている幸せは誰からの影響でしょうか。
今抱えている漠然とした不安は何ですか。
何が欲しいのですか。何を求めているのでしょうか。

それはマーケティングによる影響かもしれません。

スピリチュアルな話題、都市伝説や陰謀論、インフルエンサー、
世間で流れているニュース、広告等も、
すべて基本はマーケティング、脳科学、ビジネスありきだと捉えて良いかもしれません。
みんな、それで必死こいて飯食って税金を納めているのですから。

そのビジネスのお陰で僕たちの生活も成り立っています。
雇ってもらってお給料も頂いています。
お金というツールのお陰で、衣食住、何不自由なく暮らせているのですから、善悪二元論で物事を見てはいけないなと思います。
矛盾しているかもしれませんが。

そんな傍ら、国内外で色々と物騒な流れもありますし、
考えたらキリがない将来の不安があるのも事実です。

だからと言って、僕にはどうする事も出来ません。
何かを少しだけ我慢して、家族を養うので精一杯です。

世の中を動かせるのは、それなりの力をもった人たちにしか出来ないと思います。

でも、僕たち一人一人が立ち上がれば…
なんて大それた事、僕は納得出来ません。

あるのは、ただただ、日常を生きているという現実です。
世の中を悲観するのはやめて、気楽に生きよう!その方が楽!だとも
思いません。

昨年度の国内の自殺者数は21,837人です。
(「令和5年中における自殺の状況」厚生労働省自殺対策推進室 警察庁生活安全局生活安全企画課より)

人口も減っていますし、国も外国人労働者の受け入れに本腰入れています。

健康上の問題で日常生活に制限のない期間(健康寿命)は、令和元年時点で男性が72.68年、女性が75.38年です。以前よりも伸びている傾向です。
(令和5年版高齢社会白書(全体版)内閣府HPより)

でも、年金制度はどう転ぶかちょっと不安ですよね。現時点で大変な思いをしている年金受給中の方々も大勢います。

少子高齢化どころか、多死社会です。
先の事を考えていたら、焦りしかありません。

どんなに自分の時間を費やしてお金を稼いでも、いつかはみんな平等に死を迎えます。
老後のためにと貯金や投資をしていても、いつ亡くなるかは誰にも分かりません。

僕の祖父は80過ぎても、「老後が…」と言っていました。
家族でお金に最も執着のある父方の祖父だけ、
唯一、祖父母の中で今も元気に生きて、老人ホームで過ごしています。
今年で95歳です。認知症にもなっていません。

老後の為にと貯めた貯金や建てたアパートの家賃収入、年金はほとんど、その介護施設の入居費になっています。

先日、父に「年金の元をとらないかんけん、まだ頑張らないかん」と祖父が話していたとのこと。

さて、祖父は幸せなのでしょうか。
いつになったら、「もう十分。満足した」となるのでしょう。

いつまでも元気でいて欲しいとは思っていますが、
いつまでケチケチした生活を続けるのだろうと不思議に思います。

3年前に他界した祖母は、老後は夫婦でゆっくり旅行なんかして過ごせると思っていました。ところが、祖父の節約生活は止まらず。
お金はあっても、祖母が望むような老後の豊かな暮らしは実現しませんでした。
その後、祖母は鬱になり入院。病院や介護施設を転々とする生活を長らく送り、認知症を患い、最後は口から食事も摂れなくなり、精神科で亡くなりました。老後まで貯めたお金は施設費の支払いに充てられていました。

今は、叔母が祖父の遺産相続を少しでも多く相続したいようで、祖父に近づき、お金の事で根掘り葉掘りしています。
若くして実家を飛び出し、県をまたいで祖父母の面倒もろくに見て来ず。
起業して1世代で成功した夫がいて、資産は沢山持っているにも関わらず。

方や、僕の実家の両親は年金暮らしで慎ましく生活しています。

果たして、お金持ちは、全員が幸せでしょうか。
単に「持って」いたら幸せになれるのでしょうか。
お金持ちになった後の有効な使い道は考えていますか。

お金に心を支配されない人生を歩みたいものです。
身近な人が身をもって教えてくれました。

ただただ、僕たちには日々の生活があって、
今を精一杯、今できること、関われる人、与えられた役割を全うする。

いつ死んでも良いように。
悔いのない生き方にシフトしても良いタイミングかもしれませんね。

お金は、人を幸せにする為に必要な分だけ稼いで、使ってゆきたいものです。
楽しくなる生活の仕方を考えて、自分の心が喜ぶように工夫したら良いだけです。

これからはお金の豊かさに執着せず、心の豊かさを大切にしていけたらなと思います。

ここまでの長文、読んで下さってありがとうございました。


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