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黒い夢群像

修士一年 島崎紗椰

 微睡みからふと目覚めると、車は止まっていた。運転席がガチャリと開き、冷い外気が車内に滑り込む。海沿いの凍りつくような冷たさが、熱をもった頬に気持ちいい。まだ眠ったままの凝り固まった身体を無理矢理に起こす。
 車を降りると、悪魔が出迎えてくれた。眼球を剥き出し、鼻の穴を広げて、パッカリと口をあけた真っ黒い顔。全身の半分を巨大な顔が占めている。上に一本、下に一本、立派な牙が生えて、その間からざらついた舌がつきでて、唇をいやらしく舐めている。顔の威圧感とは不相応な細い腕、痩せた胴体。気味悪く笑う小人の頭に腕をついて、こちらを驚きとも威嚇ともとれる表情で凝視する。異形の者はどこもかしこも真っ黒だった。
 入り口の傍らに立つ悪魔に対し、建物は白いタイル張りのシンプルな見た目だった。自動扉の上には金文字で「マコンデ美術館」とある。伊勢の家族旅行に美術館がでてくるとは思っていなかった。美術好きな自分への父の計らいだろう。それにしても三重県の端っこにしては大層な美術館だ。黒い悪魔に頭を下げつつ足を踏み入れる。
 期待を超える物々が陳列していた。溶けて滴る人間、大木から突き出る大きな男の顔、小さな悪魔たち、あらゆる部位が省略された人間の姿。どれも艶やかな黒一色の彫刻だった。ときには掘り出す途中で作業をやめてしまったかのように、木のままの部分もある。黒い異形の者たちが部屋中に並び、観光客を取り囲んでいた。入り口の黒い悪魔の彫刻を見てから思い浮かべていた「アフリカン・アート」という言葉が確信に変わる。ここはアフリカの芸術作品を集めた美術館のようだ。
 壁に貼られた解説文を読んで、ここが「マコンデ族」と呼ばれる部族の彫刻品を収集した美術館だということがわかった。
「東アフリカのタンザニア、モザンビーク両国国境に広がる5000平方kmの広大な高原地帯、マコンデ高原に住むマコンデ族は、バンドゥ族の一員で、およそ50万人の人口を有しています。マコンデの名は、この高原の名に由来しています。海抜500〜800mの高さにある外界から隔絶した高原で、古代のマコンデ文化はすばらしい彫刻芸術の花を咲かせました。最初の父親が黒檀を彫って最初の母親を創ったという伝説を持つ彼らにとって、黒檀の木は聖なる意味を持ち、今日まで数世紀の歳月を費やして独自の木彫りの技術を発展させてきました。(マコンデ美術館HPマコンデとは?より)」
 モチーフは人々が折り重なるようにつながったウジャマー、精霊(シェタニ)、人物、動物などさまざまだ。人物をとりあげると、そのなかでもまたいくつかのテーマに分けられる。伝説、飢餓や病気、愛と性、群衆といったふうに。
 あの黒い悪魔は「シェタニ」という精霊だったようだ。
「シェタニは気まぐれに人を助けたり、困らせたりする伝説上の妖精で、人間、動物、怪物と好きなように姿を変えると言われています。」
 館内にもシェタニを題材にした作品が数多く並んでいた。目や耳や口が異様に大きかったり、頬から手が伸びていたりと異形の姿をしていることが多い。なかでも何匹ものシェタニが溶けあうようにつながっている柱のような作品は、どこかユーモラスを感じさせるものの、やはり狂気が迫ってくる。叫んだり笑ったり驚いたりしている歪な顔、顔、顔。その身体は溶けてネバネバとくっつきあっている。悪夢のワンシーンだ。
 マコンデの彫り師たちは、夢にでてきた場面を作品に起こすことも多いらしい。夢の中でシェタニが豊作に喜んだり、怪我をして泣いていたり、何匹ものシェタニとつながっていたりする様を、見たまま作品にする。シェタニの作品だけではない、人物像や動物のなかにも、似たように夢にでてきたイメージを掘り起こした作品が見られた。
 それにしても、どれが夢でどれが彼らの現実を写し取った作品なのか検討がつかない。ヘビを頭に乗せて寝転んでいる巨大な老人。女の腹がさけて赤ん坊の顔が覗き、それに嬉しそうに手を伸ばす幼子。枝を咥えた骸骨。定期的に旱魃に見舞われ飢餓を経験してきたせいか、骸骨のモチーフは多く見られた。とくに骸骨が頭に水瓶をのせて、背中には赤ん坊を背負い、杖をついて放浪している姿は、そう違いのない現実を想起させた。夢か現実か、曖昧な境界線にただ魅了される。

 館長は名古屋の民芸品店でたまたま出会ったマコンデの彫刻に衝撃をうけ、個人的に集めるようになったという。彫刻品のほか、ティンガティンガ派の絵画とバチック、楽器、生活用具などの民俗資料、あわせて600点以上を30余年かけて収集した。そして1991年ついに、美術館の開館を達成する。はじめのうちは輸入業者を通して入手していた作品群が、彼はそれでは飽き足らなくなった。自らアフリカへおもむき、芸術家から直接買い付けるようになっていった。務めていた鉄工所を担保にして数千万円をかけ、六年の月日を費やして自力で建設した。ひとりの男をそうまでさせる魔力が、黒く光る彫刻群にあったのだ。

 マコンデ彫刻に使われる黒檀は非常に硬く、木の木目や、成長する過程でうまれた空洞やねじれに、作家のイメージが邪魔されることもある。しかしそんなときには、木の流れにそって完成図を変更していくのが彼ら流だ。マコンデの人々にしてみれば、勝手に夢に現れてひと騒動していく悪魔も、あっちこっちにまがりくねって融通のきかない木も、同じなのだろう。存在を主張するものどもと喧嘩することはせず、支配することも強制することもせず、ただその声に耳を傾ける。彼らにとっては、夢と現実を厳格に区切る必要などないのかもしれない。夢のなかに現実が現れることがあるならば、現実のなかに夢が現れることがあってもおかしくないのではないか。陽気で暢気な彼らが、凄惨な植民地支配を経た後に辿り着いた日々は、いまだ安寧とは言い難い。しかしそれを凌駕する流動的で自由な感性と性格が、独立以来、一度も大規模な民族間抗争が起きていないという驚異的な歴史を築くにいたったのだろう。
 美術館をでると、雲さえない青空が視界を攫った。
 熱くなった肺に澄んだ空気が流れ込み、とたんに身体が凍えてくる。暖房と木の温もりに満ちた館内を名残惜しく思いながら、そそくさと冷えきった車内に乗り込んだ。エンジンが勢い良くガスを噴かし、黒光る車体が身震いする。
 去り際に振り返ると、あの入り口の悪魔はまだこちらを見ていた。入ろうとする者、出ていく者を選別するような眼差しで。