虚構的楽観と悲観的な現実の話


ファクトフルネスという本がたくさん売れた。
世界は本当は少しずつでも確実に良くなっていることをデータで語る本だった。
確かに世界は全体最適化へと向かっているのだろう。
それは世間一般で言う正義の基に良いことであって、そういう意味では良い方向に向かっている。
しかしながら、世界ってそんな単純なことじゃない。
自立できて私的な成功を収めた余裕のある人たちの「良い」ことなんだ。
わたしみたいな自分の身すら守れない、自分の心すら隠せない人にとっての「良い」ということとは、多分だけれど、大きく違うのだろう。

私は世界を客観することはどうしてもできない。もしできると主張する人がいるならば、それは人間をやめているか、ただの傲慢だ。
良いか悪いかは人それぞれの主観でしかない。
全体最適化を良いとするのは道徳的に正しいのかもしれない。
美しい自己犠牲と滑稽な自己満足で塗れて、さぞ幸せなことだろう。
その美しさも幸せも良いと思う、貴方にとって。
だから私には、押さえつけないで欲しい。
その美しさも、その幸せも、貴方のものであるだけで、私のものでは無いのだ。
わかったら、とりあえず、少し離れて欲しい。

そもそも何をもって「良い」といっているのか。
現実をもってデータで語られたって私には響かなかった。
納得はした。
事実を知った。
確かにファクトフルネスだ。
だから何だ。
それは地球の全体最適化だ。
私の思う世界じゃない。
私の世界は私の周りだけなんだ。

本は虚構だ。
虚構は楽観と悲観を絶えず主張して私達を惑わせてくる。
私には目に写る世界と頭の中の想像しかないのに。
それ以上のことを虚構は求めてくるのだから。

積み上げたモノを一度崩してしまいたい。

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