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【短編】 あかいくすり

 みんな出かけてしまって誰もいないリビングに入った僕は、いつものようにローテーブルの上に置かれたテレビのリモコンを手に取り、赤い電源ボタンを押した。パチッと電気が通る音がした後、一瞬の間を置いて朝のニュースキャスターのおなじみの声が聞こえてくる。それをなんとなく聞きながら、僕は画面に目をやることなくリモコンを元あった場所へと戻した。

 と、その時。見慣れない銀色のシートがテーブルの上に置かれているのが目に入った。

「薬?」

 銀色の薬のシートを手に取り、透けて見えるわけでもないとわかりつつも僕は部屋を照らしている天井のライトにかざしてみる。それは見慣れた市販の鎮痛剤のシートでもなく、見たことのある処方薬でもない。シートを裏・表と返した後、僕はシートにたくさん残っている赤い薬をじっと見つめた。

 誰が飲んだんだろう。僕は家族全員の顔を順番に頭に思い描く。

 しかし、今家族で服薬している人間は誰もいなかった。いくら家族関係が希薄な家だとはいえ、誰がどこに所属しているだとか、誰がいつ病院へ行っただとか、最近調子がいいとか悪いとか、それくらいの情報は共有しているから間違いはないだろう。

 だとすると、誰かがこの家に入ってこの飲みかけの薬のシートをテーブルの上に置いて行った?

 まさか。そんなことあるわけがない。

 となると、この薬は僕のひとつ前に家を出る姉が飲んで片付け忘れていったものなのだろうか。普通に考えればそれが一番しっくりくるような気がした。

 しかし、家族で共有されていないこの薬の存在を今日うっかり僕が知ってしまった。ということは、姉はこの薬に関してあまり知られたくないと思っているんだろうか。でも一体これは何の薬なんだろう?

 僕はもう一度銀色のシートをまじまじと見つめてみた。薬は一粒だけ無くなっている。この薬は今日から飲み始めたものなのかもしれない。普段とは違う行動だからこそ、薬を飲んだ後シートを片付けるのをうっかり忘れてしまったのだろう。

 このままテーブルの上に薬のシートを置きっぱなしにしておいてもいいけど、もしこの薬を飲み始めたことをまだ誰にも告げていないのだったら、後でこっそり返してあげよう。何か理由があるからこそ、こうやって誰にも言わずに薬を飲んだんだろうし。

 僕は銀色のシートをシャツの胸ポケットに滑り込ませた。そして、なんとなくそうしなくてはならないような気がしたのでそっとその上に手を置いた。

 無機質なシートに残された薬たちはさっきまで手にしていた僕の体温が移ったのか、ほんのりと温かかった。



「ただいま」
 その日の夕方、僕が家に帰るといつもならいるはずの家族が誰一人として帰っていなかった。

 僕が一番最後に家に帰る。そういう日が今までも無かったわけじゃない。でも今日に限ってはそれがちょっとおかしな気がした。
 だって今日、僕は姉以外の人間と顔を合わせた時に平静を装いきる自信が無かったので、なるべく遅く帰ろうと、いつもなら寄らないファストフード店に入り、学校で出された課題をすべて片付けてから帰宅したのだ。

 普段の家のタイムスケジュールでいうと、今の時刻は晩御飯の片付けもすっかり終わっている頃合い。そんな時間に誰一人として家に居ない日なんて今まで一度たりとも無かったのに。

 そしておかしなところはもう一つ。家の中をすべて見て回ったところ、誰もいないにもかかわらず全ての部屋に電気が点いていたのだ。さっきまで誰かが居たという気配すら感じられないのに。

 普段、この家では誰かが居る部屋しか電気を点けないという暗黙の了解があり、廊下ですら通り終わったら消灯しなくてはいけない。そんな家の電気が全て付いている。誰もいないにもかかわらず。

「そうだ。靴……」

 僕は慌てて玄関に引き返した。誰も帰っていないのなら玄関に靴は一足も置かれていないはずだ。

 しかしその期待は見事に裏切られた。玄関にはこの家に住む全員分の靴が所せましと並んでいたのだ。
 そうだ。そうなのだ。さっき僕が家に帰ってきた時、家族の靴を避けながら靴を抜いだのだ。なので家の中には家族そろっているのが正解なのだ。

 僕の心臓がドクドクと耳障りなほど大きな音を立て始めた。その鼓動は僕のシャツ越しにもわかるほどの大きな動きで、胸ポケットがカサリと音を立てた。
 僕はふいに姉のものであろう薬が胸ポケットに入っていることを思い出し、そろそろと胸ポケットに手を伸ばした。そして朝滑り込ませた銀色の薬のシートをゆっくりと取り出すとじっと見つめ、そして思わずゴクリと唾を飲み込んだ。

 僕の手にしたシートに残されたたくさんの赤い薬。僕の記憶が確かなら、これらの赤い粒たちは朝見たときには小さく硬そうで、それを包むプラスチックの半球部分にはもっと空間に余裕があったはずだ。それが今、ブヨブヨとしたスライムのようなものがかろうじて丸い形を維持しながら窮屈そうにプラスチックの半球に収まっている。そのうえ、この赤い物体はよく見ると鼓動を打っているようだった。

 今日一日、僕はこの薬のシートを肌身離さず持っていた。だから誰かにすり替えられたということは無い。そして今日僕は一度たりとも胸ポケットからこのシートを取り出していないので、いつ赤い薬がこのような姿に変わってしまったのかはわからない。

 しかし、薬が変わってしまった事と居るはずの人間が家にいないことと何か関係があるんだろうか。

 僕は壁に背中を付けるとゆっくりとその場に座り込んだ。そして銀色のシートの中で脈打つ赤いものを見つめ続けた。本当は目を背けたかったけれど、吸い付いたように僕の視線は赤い物体から離れない。

 どれくらいそうしていたんだろう。
 見つめ続けていたから目がおかしくなってきたのか、シートの中の赤い物体の鼓動がだんだんゆっくりになってきたような気がした。いや、そもそもこれは鼓動なんてしていなかったんじゃないか。目の錯覚だったのかもしれない。
 そう考えたその時、ピタリと赤いものの動きが止まった。

 やっぱり気のせいだったんだ。
 少し家の中の状況がおかしかったから、パニックによる妄想にでも襲われたのかもしれない。もう少し落ち着いたら赤いぶよぶよに見えているコレも、朝見た小さな硬い粒に戻っていくのだろう。

 僕は気持ちを落ち着けようと目を閉じ、ゆっくりと深呼吸を3回繰り返した。

 そう。落ち着け。これは現実じゃ無い。

 何度か自分にそう言い聞かせ、気持ちがかなり落ち着いてきたので僕は目を開けるとにした。

 ふうっと小さく息を吐き、ゆっくりと目を開ける。そして手に持ったままの薬のシートに目を向けた瞬間、シートの中の赤いぶよぶよした物体にギロリとした目が現れた。全ての半球にひとつずつの目。その全ての目が僕を見つめている。

 僕を見つめる眼差したちに僕は見覚えがある。
 そう。これは……

 確信を持った瞬間、僕は意識を失った。


ーーー
「おっ邪魔っしまぁーす」

 誰もいない家に上がると私はすぐに目当ての物を見つけた。玄関を入ってすぐの廊下にポツンと落ちていたそれを拾うと赤い粒を数える。

「いーち、にー、さーん、しー、ごー、ろく」
 この家は6人家族って聞いてからピッタリ! って、シートに空きがないからわざわざ数えなくてもよかったんだけど、こういうことはキッチリしたい性格ですし?
 って、私、誰に喋ってんだか。まぁいいや。今日はここで最後だし。とっととコレ届けてさっさと家にかーえろっと。

 肩から下げたポシェットに温かい銀色のシートを詰め込むとクルリと体の向きを変え、私はテクテクと歩き始めた。

<終>

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